17番の日記...17番

 

 

センバツ・2 - 2004年04月04日(日)

済美の勢いは止まらなかった。創部3年目の新星が、関東覇者・土浦湖北、東海の雄・東邦、東の横綱・東北、前々年夏の覇者・明徳義塾、神宮大会覇者・愛工大名電を撃破。たった3年で、なぜこのような結果が出せたのか。この強さは、「運」や「勢い」だけでは決してない。

済美は学校創立100周年を迎えた01年を機に男女共学化の方針が発表され、02年から男子生徒の募集が始まった。この時期に、済美は積極的な学校経営を展開する。

野球部とサッカー部の強化費として、約10億円の資金をつぎ込んだ。校名の宣伝媒体として運動部を利用することは珍しいことではない。しかし、この金額には驚いた。

野球部の練習設備は高校球界のレベルをはるかに超えている。「済美球場」という野球部専用のグラウンドがある。照明、客席などが完備されており、高校の施設とは思えない。昨夏、尽誠学園、徳島商業、松山商業へ実際に行ったが、この甲子園常連3校の施設と比較にならない。高校日本一になるための「施設」は完璧だった。

上甲正典監督の力は不可欠だった。宇和島東を日本一に導いたその指導方針は済美でも健在。打球の飛距離を伸ばすため、ぬらして重くしたボールを木製バットで打つ練習や、フォームを矯正するために10キロの鉛を入れたベルトを着けてのティー打撃などを取り入れた。普段は温かな人柄で選手と接し、練習では鬼と化す。グラウンドの内外で違う顔を持ち、選手と接する。そういった対応が、監督と選手の信頼関係を築いた。選手が監督を信じてついてきた。監督が選手の秘めた力を引き出した。「信頼関係」、「練習量」はどのチームにも劣らないものだった。

そして、「無欲」。創部3年目の済美は失うものがない。他の強豪校にありがちな、勝たなければならないプレッシャーがない。明徳の選手達を見ていると、おかしな表現ではあるが「悲しく」思えてくる。ヒットを打っても表情を全く変えずに、クールな顔を見せる。これはこれで、そんなことで満足せずにあくまで勝つために試合をしているという姿勢が見え、共感する人も多いと思う。しかし、どんなすごい高校球児も所詮16〜18歳なのである。こんな多感な年齢なのに、甲子園でヒットを打って嬉しくないはずがない。少しの笑みでもいいから、素直に喜べばいいのだ。明徳の選手達は、甲子園でプレーできるという喜びを噛み締めているだろうか。準決勝・済美対明徳は、まさに対極した選手達が甲子園のグラウンドに立っていた。

「施設」、「信頼関係」、「練習量」、「無欲」。済美は、日本一になる要素を兼ね備えていた。創部3年目での高校日本一は奇跡ではなく、必然だったのかもしれない。


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