17番の日記...17番

 

 

フジロック・2 - 2003年07月28日(月)

・2日目(26日)

10時。少し離れたライブ会場から聴こえる音楽で目が覚める。

11時40分から「RED MARQUEE」で電撃ネットワークのライブがあるので、それに間に合うように会場へと向かった。会場近くでブルコギと牛串を食った。牛串たまらんわ。

14時。「GREEN STAGE」に移動して山崎まさよしを見た。自然体なスタイルで僕は結構好きである。アンコールが起こらなかったのが気になったが・・・。その後に、COLD PLAY、PRIMAL SCREAMを堪能。

本日の、というか今年のフジロック全体のメインとも言える2日目の夜に行われる「GREEN STAGE」のライブ。今年はその舞台にビョークが立つ。

ちょいとここでビョークの解説。
1965年 11月21日アイスランド、レイキャビックのボヘミア音楽一家に生まれる。ジミヘンやクラプトンに影響されたバンド"POPS"のギタリストを継父に持つ。 1967 2歳の時に「サウンド・オブ・ミュージック」を見、歌詞を覚え、歌い出す。

1970年 5歳で地元の音楽教室に通う。そこでピアノやフルートを学ぶ。

1977年 国営のラジオ番組に出演し、「I Love to Love」を披露。これをきっかけにレコード契約。アルバム「ビョーク」発売。アイスランドでプラチナ・アルバムに。いくつかのカバー曲やアイスランド・ポップ・ナンバーを歌いこなす。

1979〜1983年 吹き寄せるパンク・ブームに乗り、いろんなバンドを組んでは解散と転々とした。 13歳では"EXODUS" 14歳で"TAPPI TIKARRASS" そして18歳でパンク・ゴス・バンド "KUKL"を結成。UKのアナーキスト・レーベルCrassとレコード契約。

1984〜1986年 2枚のアルバムを発売し、世界の舞台で活躍。有名な事実としてデヴィッド・ボウイがこのバンドのファンだった事が上げられる。これがシュガーキューブスの母体となった。

1996年 2月に武道館ライヴで来日。リミックス・アルバム「テレグラム」を発売。このジャケット写真にはビョークが大リスペクトを抱く荒木経惟の名前がクレジットされている。この年ビョークは数々の事件に苛まれ、ロンドンを離れてスペインで次作のレコーディングを行った。

1999年 映画撮影のため、ほとんどの時をデンマークで過ごす。年末にブロドスキー・カルテットとともに行ったロンドンのユニオン・チャペルでのライヴは、マイクを使わない肉声のアコースティック・コンサートで全身トリハダものだったそう。 年末渋谷のユーロスペースで公開されたアート・ドキュメンタリー・シリーズの一環での「ビョーク」は、これまでの子供のころからの映像、シュガーキューブス時代、タイでの事件、ストーカー事件、そしてU2ボノのコメント、「ホモジェニック」レコーディング風景等が散りばめられたビョークの生涯を追ったような映像の連続で、"語るビョーク"、"素顔のビョーク"を見ることが出きる。

2001年 映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」日本で大ヒット!サントラもブリット・アワーズ、グラミー賞、そしてアカデミー賞の各サントラ部門にノミネートされる。

ちょいとと言いながら、長々しく書いてしまったが、ご存知の通り世界を代表する歌姫である。

21時半。真っ白なドレスを身にまとい、ビョークが登場。数々の名曲を披露した。ステージ上に細い炎が上がったり、花火が打ち上げられたりと演出がすごかった。そして何よりも、ビョーク自身がすごかった。

ビョークを生で見て思ったことは、他のミュージシャンとは「次元が違う」ということ。実力は言うまでもなく、ビョークには観客をいい意味で錯乱状態に変える力を持っている。あの神秘的な声には不思議な力を感じてしまう。素晴らしい演出、神秘的な声で僕も最高に錯乱してしまった。

最高な気分でフジロック二日目を終えることができた。寝る前に食べたキムチうどんの味は一生忘れることはないだろう。

明日、早朝に新潟を発つ。あっという間の二日間だったが、最高な気分を味わうことができた。

出費が激しいのが気になるが、いい夏休みが送れそうな気にさせてくれたフジロックであった。


-

フジロック・1 - 2003年07月27日(日)

25日にテストが終わった。この日は大きな喜びが2つある日だった。1つは前期試験が終了するということ。そして、2つ目は「FUJI ROCK FESTIVAL 03」が今日から始まるということだ。

・1日目(25日)

テストが10時半に終わり、即行飯田橋駅に向かった。そこでフジロックに一緒に行く兄と合流。総武線に乗り東京駅に向かった。東京駅で越後湯沢行の新幹線「とき」に乗り、いざ新潟へ。

越後湯沢に着いたら雨。フジロックの会場はオール野外なので雨だけは降らないでほしいと願っていたが、願いは届かなかった。越後湯沢でけんちんうどん(大盛)を食べて、会場となる苗場スキー場に向かうバスに乗り込んだ。

苗場スキー場に到着。昨日、前夜祭があったため、すでに会場には人が溢れている。まずは、寝床を確保するためにテントをはりにキャンプ場に向かった。

フジロックのテーマの一つに「自然との共存」というのがある。そもそもフジロックの会場は富士山が最初だった。名前の由来はそこから来ている。しかし、詳しい事情は分からないが環境問題が生じてしまい、以後富士山開催は断念。その後東京開催があったが、テーマである「自然との共存」が果たせず会場を再考することとなる。そこで、様々な条件にマッチした場所が新潟の苗場になったわけである。苗場開催は今年で五度目となる。

僕自身、初のテント経験だ。寝袋も昨日友人から借りてバッチリ。無事にテントを組み立て、いざ、フェスティバル会場へ!!

会場は全部で5つある。メインステージである「GREEN STAGE」、そのとなりにある「RED MARQUEE」、そして離れたところに「WHITE STAGE」、「ORANGE COURT」、「FIELD OF HEAVEN」。この5つのステージで熱いライブが展開される。「RED MARQUEE」と「FIELD OF HEAVEN」の間が一番離れているのだが、歩いて40分という距離。すごい広さだ。

最初に向かったのはよりによって一番遠い「FIELD OF HEAVEN」。そこでUAを見た。僕は女優としてのUAには興味があったが歌手としてのUAにはあまり興味がなかった。しかし、実際生で聞いてみるとなかなか良かった。小雨が降っていたのだが、それがいい感じの演出を生み出しUAの良さを引き立てているように感じた。

「GREEN STAGE」に移動し、THE MUSIC、MACY GRAYを見た。やはりメイン会場の盛り上がりはすごい。今日のメインであるUnderwarldでは一体どんな盛り上がりをみせるんだろう、なんて思ったりした。

21時半。「GREEN STAGE」で本日のメインUnderwarldが登場した。

ここで少しUnderwarldの解説をしとこう。カール・ハント、リック・スミス、ダレン・エマーソンの3人組として1993年にアルバムデビュー。彼らが本格的にブレイクしたのは、映画「トレインスポティング」にフィーチャーされた「BORN SLIPPY」のヒットからだが、以降、急激なスピードでシーンのトップへと駆け上がった。同じUKのケミカル・ブラザーズらとともに、日本でも高い人気を誇るダンス・アクトである。

一曲目はソニーのCMでおなじみのTWO MONTHS OFF。サンバのリズムがなんとも心地よく、会場全体が開放感と躍動感に満ち溢れた。その後も続々とエキサイティングなステージが続く。Underwarldのライブの魅力としてよく言われるのがインプロブィゼーション的要因がある。彼らは殆どリハーサルすることがなく、その場の状況に合わせてステージを進行していく。即効性をもたせることによって聴きなれた楽曲もリミックス作品の如く新鮮に体感できる。彼らはステージ上で曲をリミックスし、別バージョンを作り上げているのである。

そして、ラストはBORN SLIPPY。会場の盛り上がりが頂点に達した。ステージ上からレーザービームのような光線が流れ、曲とこの上ないコラボレーションを披露。最高の一言。

1日中、歩きっぱなしで疲れていたが、Underwarldでそんな疲れなんて吹っ飛んだ。

24時。余韻に浸りながら、寝袋に潜った。








 


-

野球の五輪日本代表 - 2003年07月21日(月)

言い訳にしかならないが、最近はテストとレポートに追われ日記を更新することができなかった。とゆーか、単に問題意識に欠けているだけかもしれない。書くことが好きという気持ちは常にあるので定期的に更新してくようにしよう。

先日、野球のアジア選手権兼アテネ五輪予選に出場する日本代表チームが発表された。前々から噂は耳にしていたが、全てプロ選手を選出。これには僕は愕然とした。

長嶋監督は「ドリームチームを作る」という名目でプロ選手のみを選出した。長嶋監督ならやってくれるというファンの期待もあったかもしれないが、ちょっと待ってほしい。では、毎年行われている「プロ野球オールスター」の日本球界における位置付けはどうなってしまうのか。「プロ野球オールスター」こそが「ドリームチーム」を求める場ではないのか。「ドリームチーム」を誕生させる場であるはずの「プロ野球オールスター」に、ファンが期待しないまでに日本球界は落ち込んでしまったというのか。このような一種の矛盾を秘めた今回のチーム編成にいささか疑問を感じてしまうのは僕だけではないはずだ。

あと、社会人選手を一人も選出していないのも大きな問題の一つだ。東芝の香月や東京ガスの内海などといったプロ選手に劣らない実力を持った選手が選ばれていない。現在、日本生命野球部で投手コーチを務める杉浦はソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニーと四回もの五輪出場の経験を持つが、彼がプロの道へ進まず、社会人野球一筋を貫いた理由として、五輪の存在が大きかったという。普段は脚光を浴びない舞台でプレーしているが、社会人選手がメンバーの大半を占める五輪日本代表チームは多くの人から注目を集めることができる絶好の舞台。その舞台に立つ、といことが社会人野球でプレーを続けるにあたって大きなモチベーションとなっていた。同時に社会人野球の発展に繋がる可能性も秘めていた。しかし、今回長嶋監督は、このような社会人選手の心情を全く無視した。このメンバーで予選を勝ち抜き、本選への出場権を獲得したとしても、五輪の日程上、各プロ球団の主力選手が本選の日本代表メンバーに入ることは困難だという。よって、後々、日本代表に社会人選手が入る可能性はあるらしいが、やはり予選から本選を見据えたチーム編成を行うべきである。五輪予選、本選は負ければ終わりの一発勝負がほとんど。だから、一発勝負の勘が身体に染み付いている社会人選手のほうが日本代表メンバーに向いていると思うのだ。五輪は、あくまで「勝ちに行く場」であり、単に「魅せる場」ではない。長嶋監督は何か重要な事を考え忘れているような気がしてならないのである。

目先の現実しか考えない長嶋監督の決断。今に始まったことではないが、このお方の決断はどーも僕的にしっくりこないものが多いように感じる。


-

トンネル - 2003年07月14日(月)

昨日は三次会でひょんなことから「ICE GIN(37°)」をあけてしまい、ノリでオールしてしまう。気が付けば外では鳥の声。今日は朝からバイト。場所は江ノ島に限りなく近い鵠沼海岸。

昨日から開幕した夏の甲子園神奈川県予選。藤沢八部球場でのスコアラーバイト。活気に満ち溢れる高校球児を目の当たりにし、僕の眠気も吹っ飛んだ。それにしてもエラーが盛り沢山のこの試合。一日で10回近くトンネルをやっちゃう高校野球の試合を見たのはたぶん初めてだわ。

帰りに、同じバイトに入っていた朝日新聞の記者の方に飲みに連れていってもらった。高校野球の取材は基本的に若手記者がやるものだと思い込んでいたんだけど、この方は50歳位のベテラン記者といった感じの人。昨年まで東京本社で政治部記者としてバリバリやって方で今年朝日新聞湘南支局にやってきたらしい。小泉さんとは長年の付き合いがあるらしく、「純ちゃん、しっかりしてくれよな〜」とおちょこ片手におしゃっておられました。

不眠&ICE GINが抜けきらない頭で思考回路がやばかったですが、楽しいバイト&飲みでありました。

うおー、レポートやんねーと・・・


-

サンダードルフィン - 2003年07月11日(金)

うちの大学では現在テスト期間真最中。今週は語学のテストが3つあり山場だった。とりあえずそれをクリアーし、一安心。

今日、5限の中国語のテストを終えた後、友人と東京ドームへ向かった。目的は野球を観るためではない。「サンダードルフィン」に乗るためである。

サンダードルフィンは最近、東京ドーム敷地内に出来たジェットコースターのこと。一応テストの山場を越えたということで、モヤモヤした気分をフッ飛ばしたかったのでサンダードルフィンに挑むことを決意した。

黄色い車体のコースター「サンダードルフィン」。約80mの高さから約80度で、落ちていく。観覧車の輪をくぐり抜け、最高速度約130km/hで駆け抜ける。

順番待ちの場所では案の定、カップルだらけ。まー、僕は彼女と遊園地で観覧車やジェットコースターに乗る、みたいなベタベタすぎることをやりたがらない人間なので、なんも気にならなかったが。

僕自身、ジェットコースターに乗るのは結構久しぶり。大学一年にディズニーランドでスペースマウンテンに乗った以来だ。

そして、遂にサンダードルフィン初体験。前から二番目の席。地上80mは思っていたより結構ビビる。そして80度の角度で落ちた。本当に「落ちる」という感覚。まいった。

ビビってしまったがやり終えた後は爽快感に満たされた。1000円は結構高いと思うかもしれないが、一度体験してみる価値はある。

東京ドームを地上80m、速度130km/hで見くだしたい人、お薦めです。




-

「さよなら、クロ」 - 2003年07月07日(月)

昨日、「さよなら、クロ」を観た。

非常に心暖まる映画だった。妻夫木聡と伊藤歩。なんと言ってもこの二人がハマリ役だった。もし、妻夫木聡の代わりに窪塚洋介や松田龍平が出演していたら作品として成り立っていなかっただろう。伊藤歩の代わりに広末涼子や上戸彩が出演していたら、やはり作品として成り立っていなかったと思う。それくらい、時代背景や作風にこの二人はマッチしていた。

実話に基づいたこの話。長野県のとある進学校が舞台。ある日、一匹の野良犬が学校に迷い込んだ。その日がちょうどその学校の文化祭の日で、その野良犬は急遽、あるクラスの出し物の役に駆り出されることとなる。これがきっかけとなりこの野良犬は学校の人気者となり「クロ」として教師、生徒から親しまれるようになる。以来、10年間、クロはこの学校に住み着き、4800人の青春と共に生きていく。

文部科学省推薦映画のため、僕みたいな21歳のちょい大人が観ると「青いな〜」と感じてしまう場面は多々あるが、この純粋さを妻夫木、伊藤が見事に演じきっている。妻夫木の感情表現には本当に心打たれてしまう。妻夫木、伊藤は学生時代と、その10年後の役を話の中で演じているのだが、なんの違和感も感じさせない演技を見せている。これを才能と言ってしまえばそれまでだが、このような俳優、女優はそういるものではない。

クロが最期の時を迎えるシーンは本当に泣ける。「ハチ公物語」に匹敵する。たまにはこういった感動作にふれるのもいいもんだなと思った。

心を暖かくしたい人、ぜひ観てください。


-

「旅」 - 2003年07月04日(金)

新聞を読んでいてこんな記事を見つけた。

66歳でもう一度、単独無寄港世界一周を。海洋冒険家の堀江謙一さんが来年10月出航の「SUNTORYマーメイド号の航海」計画を発表。

海上ルートのみで世界一周をする。この過酷さは想像を絶するだろう。強い精神力、生命力、体力を備えてないと成し得ることができないこの偉業。

堀江さんが試みる旅とは次元が違うが、僕も旅は好きだ。旅行ツアーみたいにあらかじめ決められた場所を巡るのは僕は「旅」ではないと思っている。「旅」とは、ある土地に行って思いもよらない発見、人との出会いを重ね、自分の視野を広げ、刺激を得るものだと思っている。ツアーのようにあらかじめ決められた場所に行って一体何が楽しいというのか。まあ、これは僕個人の価値観なのであしからず。

僕は今のところ海外経験ゼロ。僕の旅は青春18キップを使ってするのが主流。鈍行列車のため、旅の終盤は疲れがたまりダウンしてしまうというのがオチ。21歳の若者がこれなのだから、66歳の方が船で世界一周に挑戦するというバイタリティーには頭が下がる思いである。

堀江さんは航海中に子供たちとインターネットで対話する予定らしい。航海の魅力、海の魅力を子供たちに伝え、次世代へと堀江さんの想いは引き継がれていく。

自分の生きた証を残し、次世代にその想いを伝える。僕の理想の人間像が堀江さんからは感じられる。

さて、今年の夏休みはどこに「旅」しに行こうかな〜。


-

多田野数人 - 2003年07月02日(水)

今週の「週間ベースボール」の表紙に、ずっと気になっていた選手の名前を見つけた。多田野数人。高校野球、大学野球を観る人であれば知らない人はいない。僕が初めて多田野を観たのは大学一年生の時の六大学野球春季リーグ戦、法政ー立教戦だった。法政が優勝に王手をかけたこの対戦で多田野は第一戦先発、第二戦中継ぎ、第三戦先発とフル回転の働きを見せた。結局法政が二勝一敗でリーグ優勝を決め多田野の頑張りは報われなかったが、僕は多田野をこれからも見続けたいと強く思った。六大学野球で活躍し、プロに進み、日本球界を盛り上げてほしいと思った。

忘れもしない、去年の六大学秋季リーグ戦。法政ー立教戦。第一戦、第二戦とも多田野が先発することはなかった。事前情報を何も入手していなかったので「怪我でもしたのか」とその時は思った。試合を観終わり、神宮球場を後にし、駅でスポーツ新聞でも買って帰ろうと思いキオスクの前に立った瞬間、目を疑った。東スポの一面に多田野に関する記事が載っていたのだ。多田野の名前は伏せてあったが「甲子園経験があり六大学野球で活躍しており横浜への自由獲得枠での入団が確実の投手」と書いてある。間違いなく多田野のことである。内容は今更書くことはないので省略するが、内容は多田野の人生をどん底に突き落とすものであった。

マスコミは事実を伝える義務(権利)がある。しかし、人の人生を左右する権利はない。多田野は世間に対して迷惑をかけたというのか。断じてそれはない。多田野も野球プレーヤーの前に一人の人間。様々な趣味を持っていて当然。まして、多田野は野球で評価されている人間であり、それ以外のところで多田野を評価するのは筋違いである。この記事は「面白さのみを求める野球には興味の無い人間を対象にした記事」以外のなにものでもなかった。多田野本人、そして多田野の家族に対する配慮は全く感じられなかった。

この記事が一因となり、横浜は即戦力として期待していた多田野の指名を回避。一時は野球界において、多田野の名はタブーと化した。多田野が高校、大学でこれまでに積み上げてきた野球の実績は、心無い記者が書いたつまらない記事によって打ち砕かれてしまったのだ。

多田野は日本球界での居場所を無くしてしまった。

今年3月、多田野は海の向こうアメリカでクリーブランド・インディアンズとマイナー契約を結び、現在はAA級アクロンに所属している。6月27日現在の成績は14試合1勝1敗、防御率0.87。

僕が一番心配したのは日本人に対して心を閉ざしてしまわないか、ということだった。しかし、今週の週べを見て安心した。記者の質問に対してきちんと受け応えしていた。

「日本に後押ししてくださる方がいるからこそ、好きな野球を続けられています。どんなに苦しくても諦めないので、応援よろしくお願いします」(週べから抜粋)

良かった。多田野が日本を捨てていなくて。


-

「恋愛寫眞」 - 2003年07月01日(火)

結構前の話になってしまうが、「恋愛寫眞」を観た。公開初日に観たため出演者、監督の舞台挨拶付き。

この映画は一言で表現すると、「ハッキリしない映画」と言える。なにがハッキリしないかというと、笑いのシーンと真剣恋愛シーンを散りばめすぎなところである。その二シーンをバランスよく取り入れているのであれば、観終わった後に歯がゆさのようなものは残らないだろう。しかし、この映画を観終わった後に感じた事は「内容に欲張りすぎ」、「強引に笑いのシーンを入れたいがために真剣恋愛のシーンが死んでしまっている」。要は、「ハッキリしてくれ」という事だ。この映画のテーマはあくまで「恋愛」。そのテーマがインパクトとして全く残らないのだ。

確かに、岩井俊二の映画のように曖昧さを最後まで残し、ハッキリしないまま終わる映画はある。しかし、岩井映画の曖昧さには味がある。ラストまでの過程で、常に観客に対して考えさせる内容となっている。そして観終わった後にも考えさせられる。「リリィ・シュシュのすべて」では友人と映画の内容について様々な視点で語り合った。このような観客の思考回路を掻き立てる「曖昧さ」を、「恋愛寫眞」には感じないのだ。

堤幸彦監督は個人的に好きだ。しかし、恋愛映画にIWGP的要素を取り入れるのは無理がある。所々に堤監督らしい笑いの要素はあった。僕も笑ってしまった。しかし、真剣恋愛シーンとマッチするかしないかは別問題だ。

舞台挨拶で生・広末涼子、生・松田龍平、生・小池栄子、生・堤幸彦を見た。広末の小顔さにはビビッた。一つ言える事、やっぱかわいい。舞台挨拶では広末がかわいいキャラになっていたので、小池栄子が笑いキャラに徹していた。巧いというか、哀れというか・・・。芸能界はやっぱポジションニングが大切なのだ。

今度は「さよなら、クロ」が観たいな〜。


-




My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

Mail