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:::2008年02月23日(土)
:::がらんどう




さみしい、さみしい、さみしい。
明日の朝一番に粗大ごみの回収が来るので、今日は母やおば&だんな様に手伝ってもらって、大きなものを運び出しました。レンジ、ガスレンジ、カラーボックス、など、など、など。


がらんどうにダンボールが十数個+水曜日まで使うものがちょこっとだけ置いてあるわがやになりました。こんなに広い部屋に住んでいたのか、と感慨深さと、さみしさと。
テレビを置いていた場所の壁がちょっとだけ黒ずんでいて、それを拭きながら感慨深い思いでいました。日に焼けないままの真白な壁がまぶしいです。そうして、水曜日の引越しまで暇になってしまった。この時間をどう使おうか。
母がおじと東京見物に回るからついておいでよ、と言いますが、浮かれた気分で観光地を回る気になれず迷い中。忙しなく動き回るよりは、ゆっくりすごしたいなあ。


料理道具はすべて搬出してしまったので、今夜からはコンビニご飯になってしまいました。今までは適当ながらも毎日家で作っていたので、なんか、わびしい・・・!
外に出るには遅い時間になってしまったため仕方がないけど、手伝ってもらったみんなでコンビニご飯を囲む姿がかなり申し訳なかったです。おば一家にお米とか洗剤とか家具をもらってもらえたことが救いかな。


ネットは一応引越しの日までつながるようになっているのですが、27日以降実家では、居間しかネットがつなげない状態になっているので、私の部屋まで電波を飛ばせるようにならないと日記が書けないかもしれません。がんばって調べて、無線でできるようにしなければ!と思っています。


引越しできる形になってよかった、とほっとする気持ちと、(超いまさらだけど)もう引き返せないという寂しい気持ちがない混ぜになっておかしな気分。
今日は母がうちに泊まるので、ちょっと早めに寝ることになりそうです。


早く気持ちを切り替えて前を向かなくては。



:::2008年02月19日(火)
:::小休止




朝方「こんなんじゃ、だめなんじゃああ」と浅い眠りから飛び起きて、とりあえず保留で持ち帰ろうと思っていたボーダーグッズたちを処分する英断。後悔したら、また買えばいい。
おかげで荷造り作業も、金曜日に母がうちに寄って、実家で使いたいもの選抜(食器とか鍋とか)をしてくれたら詰めればいいや、な状態になりました。ようやく引越し日が見えてきた。


今日はおばとの銀座デートだったのですが、彼女のだんな様が早番で始発出勤のため、べらぼうに早い時間にうちに到着。朝からおにぎりを持ってきてくれました。
実家から送ってもらったけど、私は苦手でいっぱい余っていた各種缶詰(味が濃すぎて苦手)を里子に出しました。知らなかったけど割といい缶詰がそろっていたみたい。コンビニから缶詰たちを送り出しつつ、まずは新宿へ。


とうとう区役所で転出届の手続きを済ませてしまいました。ううん、これで、これでもう本当に私は都民→県民になるのね、とまたちょっとへこたれつつ。粗大ごみシールたちも調達しました。
んでその後、埼玉在住のおばが西武新宿駅はどこかと訊ねるので、案内。こっちに着て何年目だ、こんな新宿駅近くにあったなんて、と遠い目になるおばをなだめて、銀座へ。駅を遠目に見るためだけにあそこに出向くなんてきっと私たちだけ、というくらいに、駅を指差し確認してすぐ旅立ちました。


宝くじゲッターと化したり、和カフェでまったりしたり、歌舞伎座を案内しつつチラシを頂戴したり、おば感涙の岩手物産店で岩谷堂羊羹を購入したり、一人だと入りづらいデパートを冷やかしたり・・・。なんか目的のない銀座も面白いものですね。
その後、だんな様の帰宅までに帰らなければということで、夕方に帰ってきました。
おばとは母がうちへ顔を出すときにまた来るとのことなので最後ではないせいか、もうすぐ会えなくなるんだよ、なんていいながらも寂しいよりも楽しいデートになりました。


おばが、実家に戻ってから東京に遊びに来るときは、布団の関係で夏限定だけど泊まってもいいと言ってくれました。わー。
こちらまで電車代だけで往復2万円なので、ホテルをとる余裕もないし日帰りでもへこたれないように体力をつけなくては!とひそかに自分に課していたので、夏だけでもゆったり週末コースで遊びにこられたらうれしいです。
歌舞伎のいい演目があったら行きたい!と思っていたので、夜公演でもOKとなると幅が広がります。友達ともゆっくり会えます。いいニュース。


金曜日までに進行しなければいけない分はとりあえず終わったので、明日あさってはあまり働かず、ゆったりすごそうと思います。何をしようかな。



:::2008年02月18日(月)
:::ほんとうのさいご




金曜日に大学の時の友達で集まって、最後のお別れをして悲しんでいたけれど、神様のプレゼント。本当なら金曜日にお別れだったはずのみずさんからうれしいお誘いがあって、文楽を観てきました。義経千本桜です。
話に聞いていた某春の殿方とも少しだけお会いできて、しっかり幸せぶりを確認できました。いい感じ、いい感じ。応援してます。


私は友達が多いほうではないけれど、その代わりずっと付き合っていきたい友達ばかりなので、その友達の多くがいるこちらを離れるのが本当に悲しくて、ここのところ夜眠るために明かりや音楽を消すと眠れなくて、情けないけど泣いてしまったりすることがあります。泣くのはなんか女々しくて嫌だけど、体が小さい分抱えられる感情の容量が少ないのでこぼれてくるのだ。そうに違いないので一人の時だけ自分に許します。
親しい人たちと別れるのだから悲しいのは当たり前だけど、それが自分の不甲斐なさの結果なのだと思うと情けない。これまで一生懸命やってきたつもりだけど、もう少し違う結果につながるようにすることもできたんだろうか、とか、そんなことを思います。
いつでも未来は白紙だから、きっと何をやってもそんな風な類の不安とか後悔は尽きることはないのだろう。だから極力悩まないでいられるように、これまで同様一生懸命でいるしかない。分かっているけど切ないです。


明日はこちらに住んでいる、ちょうど私の10歳年上、だけどもしかしたら私より若いハートの持ち主かも知れないおばとのお別れデートで銀座に行きます。
おばが転勤でこちらに越してきてから数年、2ヶ月に1回くらいのペースで遊びに行ったり家にお邪魔したり、それまで年1回のお墓参りの際にのみ会っていたときから考えると随分会っていることにびっくりします。今回帰ることについても、取り留めのない私の相談に付き合ってもらって本当に感謝。私にとってお姉さんみたいな存在です。実際お姉ちゃんって呼んでいます。
私が実家に戻ったらまた以前のペースか、それ以下しか会うことができなくなるので寂しいです。
おばは東北、とりわけ故郷の岩手を愛しているので、向こうに戻って落ち着いたら感謝の気持ちを込めて、尋常じゃない量の南部せんべい(知る限り一番おいしいあのお店の!)を贈ろうと思います。


今日はお別れの日だったので、ちょっと悲しくなってしまいましたが、ずっと悲しいままではいいことはやってこないし、前に進むことができないような気がするので、できるだけ早く向く方向を前にシフトしなければ。笑う門には福来る、の精神で。
中途半端に残っているカルーアリキュールを消化して、ふんわり気分で寝ようと思います。



:::2008年02月16日(土)
:::切ってゆく作業




昨日は昼から夜の割と深い時間まで、大学時代の友達たちとごはん、歓談、飲みコース。
これからは、少なくとも今までのようには会えないのだろうな、と思うと名残惜しいけれども、結局はいつものようなノリで楽しく過ごして帰ってきました。
社会人になって、学生のノリで集まれる友人は何人かいるものの、本当の学生の頃から変わらず付き合える友達はこれからは決して増えることがないので、そんな彼女らと離れることはなんだか心許ないです。
特にそれぞれが同じ年頃の女子としてしっかりと生きているなあというのをとても感じて、空中ブランコ状態の自分を省みながら小石を蹴りたい気分でした。


そんな昨日から一変、今日はまた部屋の片付けを、ほうじ茶と揚げせんべいを褒美にがんばりました。頑張ったといっても、頑張れば頑張るだけ部屋の足の踏み場がなくなって行くのはなぜでしょう。段取りとか要領という言葉とは縁遠い自分を実感。
押入れの奥の方から出てきた、以前かなり強引に同情させられて1クールだけ新聞を取った際にもらった洗濯石鹸の山に遭遇。てっきり聴かなくなったCDを保管している場所だと思っていたので、部屋のリストラ探索はしていなかった場所。これはどうしようか思案中。


洗剤の近くから出てきた、書きこんでしまったために売ろうにも売れない本をつい、読み耽ってしまいました。
読み耽るといっても小説ではなくて図がいっぱいの歴史を勉強しようの本や、やや学術図書寄りの本なので「やめられないとまらない」状態にはならなかったのですが、その本を買い求めた当時に箱庭を作って、そのなかで小説っぽいものを書き散らしていた頃のことがなつかしくなって、2,3篇手元のメモ帳に書き付けていました。


こちらにいる時には、精神もしくは肉体が忙しかったりして、なんだか放置されて曇りまくったガラスみたいな気持ちの悪い文章しか書けないことに辟易してしばらく書いていなかったのですが、気持ち悪かろうが書いた方が良かったのかもしれないと思いました。気持ち的になんとなく昇華出来るものがある気がする。巧拙を気にせず、これからはさらさらっと書いて溜め込まずに済むものは溜め込まないようにしよう、と思います。


本といえば、森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」が気になります。気になっていたところに角川サイトの試し読みを読んで、好きな感じの匂いがぷんぷんだったので、引越しが終わったら買おうと思います。装丁もアジカンのジャケットの人とのことで、いい感じ。
最近引越しを決めてからというもの、本を売ることはあっても買うことはなかったので、日本語能力が退化していたらどうしようとちょっぴり不安。活字から離れることはできないので、好きな小説等の二次創作をしているサイトやオンノベサイトなどで活字を補給しているのですが、やっぱり紙をめくって本が読みたいです。


というかその前に荷物をなんとかしなければ本当にまずい。なのに私って本当にどうしようもない。
世の引越しを間近に控えた人たちはどう、キッチリこの引っ越し作業のもろもろを乗り越えているんだろう。寄り道して本を読んだりとかはないんだろうなあ。
そのかわりに、今日は水道やら電気やら、最大のライフラインであるネットの手続きをしました。なんだかこれで本当に終わり、という感じになるのが物悲しくて延ばし延ばしにしていた各手続きですが、恙無く終了。
あとは転出届と郵便の転送の手続きで終わりです。うわあ、終わり。


昨日友達と会っている時に散々に帰りたくないを連呼していた私ですが、もどっていらっしゃいよと言ってもらって、そうかそこを目指すのもありかなと思いました。
いまの状態では帰らざるを得ないけれど、そうじゃない状況になればまた戻ってくる事だって不可能ではないのよね、と。先を考えなければ100万くらい貯めたら戻れる。
その先、の部分をなんとかできるような方策も考えてみようと思います。いましている副業を頑張って、さらにまた副業を増やして、という感じ?なんだか社会の枠組みからどんどん規格外になって行く予感ですが、それもなしではないんだと。そんな宙ぶらりんの26歳、5月で27歳の私です。恥ずかしい!



:::2008年02月14日(木)
:::かえりたくない




だらだら引っ越しの準備を続けていた私ですが、とうとう引っ越し日が決まりました!
27日に引っ越し&母が別件でこちらへ来ているので合流しつつ、少し観光案内泊をして実家へ、という感じになる予定です。


・・・と、超具体的に決まり、かつ、日が迫ってきたのですが、ここにきて帰る決断をした理由の決定的なひとつがクリアになったため、「しょうがないよね、帰ろう」→「帰らないとどうしようもないって分かってるけど、やっぱ帰りたくないよ!」に戻ってしまいました!もー、どんだけだ!
人のことを自分の行動の理由にするのは本当に本当にやめた方がいい!と、いまさらながら学びました。状況が変わって(むしろ好転して)ギリギリの所で折り合いを付けていた気持ちの天秤が逆にふれてしまった。


具体的にいうと、実はここ数か月父が耳鳴りがするなあ〜(先月)→父の脳に聴神経腫瘍があることが発覚(先週)→その道の権威のとこで調べたらごくごくごく初期だし経過を見守るので手術は様子を見ながら10年後位でOK☆
なんて、悪い方向に行っていたらまだここには書けなかっただろうことがありまして。うすうす父の体調が危ない兆候があるからそばについていたら安心かなというのが割と帰ることを決めた決め手になったんですが、その後ちょっと普通じゃない展開(脳がヤバイ)(命に関わる箇所ではないんですが、元々父は足に障害があるので手術でさらに障害がでたら会社生活が危険)になって、「ああ、私が帰ることで役立てるなら良かった」(私)「娘が側にいてくれると助かる」(親)・・・なムードになっていた所が。
今日、経過を見守ればいいし的な診断になったことで「あなたもいい年なんだから帰ってきて定職について結婚しなきゃだめ!○○さんのところも(以下略)」「結婚できなかったら遺産に家をあげるかわりに老後を養ってもらえるから安心」というものに一変した実家ムードに。手のひら返しすぎです!


父の病気が思ったほどではなかったのはかなり嬉しいのですが、涙ながらに「もう両親も老いてきたから帰ってきてもらうと安心だ」っていう話が一気に、「おじいちゃんも姉弟のどちらかは手元に残した方がいいって話してたの。弟は結婚しちゃったけどあなたが奇特な人を見つけて結婚&実家の近くで暮らしてくれれば安泰」とかに変わって、ちょっとというかかなりいやな気持ちでいっぱいです・・・。両親、ごめん、でも私、ずっと結婚しない気がするよ・・・!
実家に帰っても、上京する前みたいな感じじゃなくて、きちんとした大人として両親と距離を保って生活できると思っていたので、今から干渉する気満々なところにかなり不安を感じます。まあ、自己満足で役立つしとか考えていた自分が悪いのですが、ちょっと変わりすぎてついていけない。


という感じに直前で周りの雰囲気が一変して、帰りたくない欲がめっちゃめちゃ湧いています。自分の状態を鑑みるとやっぱり実家に戻るのがベターかなということは、あいかわらずあるけれど。
なんというか、小学生の時に両親が家を買って、ようやく社宅から持ち家になれるイエー!な雰囲気の両親を見ながら「転校したくない・・・」って泣いてた頃を思い出す、というかそれにピッタリな心境です。ちなみに当時は初恋&淡い初カレとの別れでした。それと同じくらい今せつないです。
今回は小学生の時の養ってもらってる身だし、っていう折り合いの付け方ができなくて、完全に自分で決めたことなので余計に複雑。


今からそんなことを考えるのはバカだし、実家に戻ることよりもハードルが高くなるけれど、もし実家で暮らして自分が危惧していた息苦しさが、将来どうしようの不安に勝つようならば、がんばってまた家を出て暮らすこともできるんだ、と考えることが今の支えのような感じです。
なぜ自分の心がこうもゆらゆらしているのか、我ながら本当にあきれるばかりだけれども、これからの人生ずっとと考えると、どうにも割り切れません。こういう時、職人みたいに「自分はずっとこれでやっていくんだ」っていうものがあったらな、と思います。
私はふらふらしてるし甘ったれだし、精神的にも社会的にも人に頼ってばかりで、自立しているとはいえないけれど、いつか自分の生き方や場所を状況に左右されずにこれと決められるようになりたいです。


・・・ってやっぱり、「家」とか「結婚」とか、私には向かない気がものすごくします。結婚だって、したいとは思うけどやっぱり自分がこれと決めたひとでないなら意味ないなって思うし、それこそ後から「やっぱり違う!」ってなりそう(かーなーりありうる)。
そういうのがなくてもこれがあるから!っていうのを今の私は求めているんだろうなあ。実家に帰って仕事を探して、見つけて、始めて、そうしたらそこでずっと働きたいと思えるようになるんだろうか。
家族のことは心配で、父の脳腫瘍の話を聞いた時は世界すべてのことが遠い話しのように感じて実家に駆けつけてしまったのですが、差し迫った時でなければやっぱり私は自分が可愛いのだな。途方もなくワガママで自分勝手だ。


そんなわけで、とってもとっても悲しい東京との別れになりそうです。
明日は大学の友達と集まります。全員が集まるのはひさしぶりで、いつも個人個人と会う感じだったのでとても楽しみ。明日会ったらもう、少なくともしばらくは会えないのだなと思うと、楽しみだけど寂しいです。が、まずは今を楽しんでこようと思います。


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