なべて世はこともなし
日記アーカイブ(インデックス)へ前日の日記はこちら翌日の日記はこちらアイルランド真実紀行へ


2006年05月30日(火) 誰も知らない合法的ダブリンバスただ乗り方、教えます。

ダブリン市民のあてにならない足、ダブリンバスですが、合法的にただ乗りができることをご存知でしょうか。むろんご存じないと思います。なにせ、地元のダブリン市民のほとんども知らないらしいですから。むろん、ただ乗りという以上は、老人や福祉関係でもらえるパスのことじゃありません。そんなもんをガイジンである私がもらえるようになるまで、果たして何年かかるやら。


今度機会があったら運転手さんの近所に陣取ってみてください。結構多くの人がただ乗りしてますよ。特に老人。老人パスが支給されているらしいのですが、パスをちゃんと提示してる人のほうが珍しいくらい。中には胸ポケットに手を突っ込んで老人パスを出す振りをして通り過ぎるじーさんとか、ひどいのになると、"I have a pass."と言ってそのまま通り過ぎるばーさんまでいます。


運転手さんのほうもなあなあで済ませているのがアイルランド的というか…呆れるくらいいい加減。「オトナが駄目だからコドモが駄目になった」と日本で嘆いている人がいるみたいですが、このずるい老人たちから見ると、アイルランドも同じような気がする。


私が言ってるのはこの方法じゃあありません。別の方法です。あ、実は、この方法、私は何年かかっても使えません。実は使えるのは、女性のみなのです。私は男ですから、無理。しかも、ある一定の時間のみ。


うーん、これ以上引っ張るのは無理ですね。じゃあ、書きましょう。


ダブリンバスは、終バスに限り、女性は無料で乗車できます。


はぁ…という女性の皆様、やり方は簡単です。終バスに乗るとき、運賃を払うかわりに運転手さんに


「私、お金ないの」


と言ってみましょう。運転手さんはそれ以上追求してきません。文句も言ってきません。


推定ですが、これ、本当にお金がないとかなにかで困っている女性の救済策なのでしょう。ばか面して市中心部をちょっと外れた危ない地域を歩いていて犯罪にでも巻き込まれてはいけないという配慮なのだと思います。この紳士的ともいえる配慮を踏みにじってお金を持っているくせに「私、お金ないの」といえる厚顔無恥な女性はぜひ試してみてください。まあ、そんなことをせずとも、運賃はせいぜい2ユーロ程度。ちゃんと払ってくださいませ。


なお、この情報、正しいという自信はありますが、万が一トラブってもわたしゃ知りません。


というわけで、次回はダブリンバスつながりでダブリンバスギャラリーへ。と言っても、もちろんバスヲタのダブリンバスの写真集じゃありません。なにやら変なものを入手した模様です(邪笑)。あ、その前に小ネタを二つばかし挟むことにしよう。


2006年05月28日(日) Snigelは会社を辞めるんじゃなかったっけ?という方へ

今年の2月の日記で会社を辞める辞めると大騒ぎしてました。昨日の日記にも書いた通り、かなり本気で辞めるつもりで、会社よりも早めに辞める意思表示をしなければいけなかった会社のとなりにあるジムは本当に辞めてしまいました。


当初の予定ではこうでした。


3月の終わりに勤続4年ボーナスをもらう。

その日に辞表を出す。

4/1より3週間日本に行く

日本から帰ってきて1週間テキトーに働いて退職
(引継ぎなんて知ったことじゃねえ)

(゚Д゚)ウマー



2月の時点では本気でキレてました。たとえプーになってもヒッキーになっても向こう見ずに会社を辞める覚悟でした。何、人間ケツに火がつきゃなんとかなるもんです(そうなのか?)。


この会社を辞める気になったのは、ひとえにひでー上司とかち合ったからです。この上司のどこかの国の偉大なる首領様並みの傍若無人ぶりは枚挙にいとまがないのですが、ひとつだけ武勇伝を紹介しましょう。


ある日、この上司、社員にとってあまりに不当な提案を会議上でしました。あまりに不当なのですが、偉大なる首領様に逆らえる人はいませんから、誰も文句は言いません。ただのひとりを除いて。実は、私とかなり仲の良かったドイツ人が公然と反対しました。その結果がどうなったかでこの偉大なる首領様の本性が分かります。


翌日、偶然休みだった彼の机はこの部長の隣の席に勝手に移動(しかもこのアホ上司が彼を背中から 四六時中監視する形になる)。で、この勇気ある同僚は翌週辞めていきました。こうして、まともな神経を持つ、まともな人たちがどんどん粛清されていきました。 私が辞めなかった理由は、そう。当時、まだ転職自由なビザを もっていなかったからです。


で、この上司は長くだらだらいるだけの私が目の上のタンコブだったのでしょう。いろいろな方法で私に嫌がらせをしてきまして、ちょっとやそっとのことではめげない私をして会社に愛想を尽かすまでに至ったのです。


で、Xデー(辞表提出日)としていた3月27日のぴったし1週間前に思わぬ大逆転劇が起こりました。


このくされアホバカ人間のクズ上司(そこまで言うか)が私より一歩先んじ手辞表を提出しやがったのです。


…こうして私は直接の会社を辞める理由をなくしてしまいました。


実際日本から帰ってくるとこの上司は会社から消え去っており。その後私は実に平穏無事にスチャラカ社員(死語)してます。というわけで、現状、確かに何も得るものはないものの、テキトーにやってりゃテキトーな金が入ってくるという実にぬるま湯的なテキトー状態になってしまったわけです。それはエノキダ!の高木君状態ですね(この意味が分かる1万人に一人の人は作者までメールください。分からない方はスルーしてください)。


この上司が辞めたときに、寄せ書きのカードが社内を回ったらしいです。思いきり笑わせていただいたことに、社員の多くがこのカードへの寄せ書きを拒否。カードの多くが空白のままという異常事態になったそうです。そんな中、アイロニーという言葉が何かをよく知っている別のドイツ人の同僚はこんな言葉を書いたそうです。


「新しいスタートはいつでも素晴らしいことです。一からやり直すことができるのですから」


私がこの同僚を見直したことは言うまでもありません。



次回予告。


次回は、ダブリンバスに合法的にただ乗りする方法をお教えします。そんな方法があるんかい…という方。あるんですよ。乞うご期待。


2006年05月27日(土) 3年ごしに懲りもせずダイエットに再挑戦します

もう当時から読者さんは完全に入れ替わってしまっているでしょうが、私、2003年1月から2月の初めにかけて、ダイエットの実証実験をしたことがあります。いや、実証実験というのは嘘で、当時の同居人Samanthaを巻き込んで、新年早々ダイエット勝負をしたのです。


当時のルール:一か月に6キロの減量に挑戦する。もしどちらかが成功してどちらかが失敗したら失敗者は成功者に50ユーロ払う。ただし、どちらも成功あるいは失敗した場合、引き分け。


これ、Samanthaはある意味被害者でした。要はね、自分ひとりでやると挫折することが目に見えているので、50ユーロを賭けることで途中で「やーめた」となるのを意地でも防ごうとしたわけ。さらに、このホムペで読者さんに宣言することで、退路を完全に塞いだのです。その方法を今また繰り替えそうとしている自分がここにいます。


で、ダイエット方なんて何も知らない私は、「食べなきゃ痩せるだろう」という、当たり前といえば当たり前、原始的といえば原始的な理論で、ダイエットに挑戦。結果1ヶ月で8キロ痩せました


当時掲示板などで、「そういうやり方じゃあリバウンドするよ」とか「体壊すよ」とかありがたい警告をいただいたのですが、意外にも体を壊すことなく、あっという間にリバウンドすることもありませんでした。


…そう、「あっという間」にはリバウンドしませんでした。だけどあれから3年以上が経ち、8キロ痩せた最痩時(勝手に言葉を作りました)に比べると5キロ太りました。中年太りなんですか。


まあ、この事実は敢えて見て見ぬふりをしていたのですが、数年ぶり、つまり、私がもっとも痩せていた頃から会ってなかった人に会ったときに開口一番


「あれー、Snigelさん太りました?最初わかんなかったですよ」


まあ、「なんでそんなことを言うねん」と怒る人も世の中にはいるでしょうが、私の場合(あるいはこの場合)「良くぞ言ってくれた」と思いました。そう、誰も言わないから何もしない。裸の王様状態。そう言ってくれる人がいたので、再び、ダイエットすることにしました。


今回の目標。2003年の水準に戻す。つまり5キロ減らす。


というわけで、実は月曜日から既に始めてます。友人からは「男のくせになんでこんなに安易にダイエットするんだか」と呆れられてますが、いいんです。このままアイルランドで堕落人生を送ってたら、体重は雪ダルマ式に増えていくことは必定です。だから一定の期間で歯止めをかけることは重要なのです。


で、今回も前回同様不必要なものを食べないことが基本。で、ある程度は運動もしなければ…と思ってます。


運動。そう、これが問題。2月の時点で、会社を辞めることを決意し、ジムを3月末で辞めてしまいました。というのも、ジムは会社のとなりにあり、つまり、家から15キロも離れたところにあるジムは会社を辞める以上メンバーである必然性がなかったわけ。そして、会社が一月の通知期間が必要だったのに対し、ジムは2ヶ月の通知期間が必要だったので、会社よりも一月早く退会届けを出したわけ。


ところが、その後の1ヶ月に紆余曲折というか大逆転劇があり、会社は当座は辞めないことになり、ジムだけ辞めてしまったのです(この「大逆転劇」は翌日の日記に掲載)。


というわけで、歩くのは家から車までの10歩。車から会社までの50歩…。これを運動不足と言わずに何と言う…というわけで、とりあえず「歩こう!」と思ったわけ。…ま、走ろうとか思わないとこに私の限界が垣間見えるわけですが。


まずは手始めに、用事があったので町まで歩くことに。片道5キロは軽くあるはず。この距離を歩くというのは私にとってはなかなかの決意です。アイルランドに来てだいぶ改善されたのですが、私の人生の中に「歩く」という選択肢は少なくとも大学に入るまでありませんでした。Q州の片田舎で育った私。100メートル離れた場所にすら車で行く親の背中を見て育ちましたから、移動の手段といえば車だったのです。車の免許を持っていなかった当時は妥協しても自転車。


このQ州の片田舎において、公共交通機関といえばバスだけ。そのバスも1時間に1本とかの世界でしたから、公共交通機関を使うという概念もありません。この点は、東京の片隅の某三流私大に来て改善されたものの、それでも歩くという選択肢はなかったのです。こう書くと、5キロを歩くというのは私にとっては大変な決意であることが分かってくれるかと(え?わからんて?)。


かくして、となりのトロロのメーのごとく、両手を振って元気に歩きはじめました。


今日の天気は、珍しく晴れ。風は強いものの快適。「おお、歩くのも悪くないなあ」と元気に歩く。日本で買ってきたMP3プレイヤーからはさだまさしの「最終案内」が聞こえ(マテ)、らんらんらんと鼻歌を歌いながら歩いていた。


…が、そんな小さなシアワセは長くは続かなかった。


突然、顔から背中にかけてのすべての毛穴がかゆくなった。そう、花粉症。今年は、なぜか目や鼻からではなく皮膚から来ました。


それからはまさに苦行。「線香花火」も耳に届かなくなり(ダカラマテ)、ひたすらに、かゆい。風に向かって歩くから悪いのかと、地面を見て歩きはじめると、それまでの楽しい気持ちはどこへやら。もう、とことん嫌になりました。結局、町にはたどり着かず40分ほど歩いて帰ってきました。


こうして、痩せたいけれども屋外での運動はあまりできないという事実に気がついた私。ジムに再入会してもいいけど、今の会社は腰掛けだから長くいるつもりはないし…というわけで、今回のダイエットもやはり食べないだけになりそうな気配。


ちなみに、1週間で2キロ減りました。あと3キロ。目標達成は簡単なような気もするし、その2キロは最初の3日間で減っただけで現状頭打ち。かなり無理な目標な気もする。とりあえず、続く。


2006年05月22日(月) 時間にルーズな人とは行きたくないぞ。Saturday Night Fever

彼女といっしょにミュージカルSaturday Night Feverを見に行きたいなあと思いました。この70年代のヒット曲満載のミュージカル、きっと楽しめるに違いない。…そうは思ったものの、チケットはすでに完売に近い状態で残っていたのは一番高い50ユーロの席のみ。給料日前で金欠だった私は素直に諦めました。


ところが、金曜日になって会社の同僚が…


同僚:「Saturday Night Feverのチケットがあるんだけど、行く?」
私:「へっ?どしたの?」
同僚:「Sports and Socials Clubのチケットがあまってる」
私:「いくら?」
同僚:「タダでいいよ」
私:「のった♪」



ああ、会社のSports and Socials Club。会社の福利厚生のための会。入社と同時に強制入会させられ、月に10ユーロ超を天引きされていたものの、全く参加したいような企画がない。入会後1年をしてはじめて参加した企画はとんでもないものに成り果てて(詳細はここここ)、結局お金の無駄だと判断して、総務にものすごい嫌味を言われつつ(というかケンカしつつ)退会したのです。


それ以来、案の定といえば案の定、何の興味のあるイベントもないまま。で、今回、Sports and Socials ClubでこのSaturday Night Feverの鑑賞券を共同購入したらしい。なんでも32.5ユーロの券を希望者は10ユーロで買ったらしい(22.5ユーロはSports and Socials Clubの積立金で負担)。全額積立金が出ないところにこのSports and Socials Clubの限界を感じるわけですが。


で、おそらく誰かキャンセルが出たのでしょう。その分を会員でもない私がタダでもらえることとなったわけ。得をしたというか、Sports and Socials Clubなんて入っている意味がやっぱりないと感じたというか。


で、この同僚が入場券を持っているために、私は彼女と開演15分前の8時15分に劇場前で待ち合わせることに。この彼女、約束の時間に来たことがないというまー実に時間にルーズな方でして。調子のいいときだけ日本人になる私としては、こういう時間にルーズな人というのが嫌いなのです。ミュージカルは待ってくれません。だから彼女に「間違いなく約束の時間に来るように」と頼みました。


彼女が息を切らせてやってきたのは、開演10分後の8時40分。


幸いというか、意外というか、この劇場、遅れてきた私たちを中に入れてくれました。フツー遅れてきたら休憩までは入れてくれないんじゃないだろうか。このへんがアイルランドのいい加減さがいい方向に働いた…という事例になるのだろうか。


私はトイレに行くからと彼女たちとは別の入口から二階席へ。もうショーは始まっているから私は自分の席を探そうとはせずに他の人の視界の邪魔にならない場所で立ち見を始める。


しばらくすると、係の人が来て


係:「だいじょうぶですか?」
私:「ああ、自分の席が見つからないので。おかまいなく」
係:「だったら、そこの通路際の空いている席へどうぞ」
私:「え?いいの?」



と…私は会社の同僚から遠く離れた二階席のほぼ最前列で鑑賞することに。ちなみに同僚は一番後ろの席だったようです。


いいショーでした。お客もノリがいいし、何より生まれて初めての経験でした。やってるほとんどすべての曲を知っているというミュージカルは。だからこそ最初の10分を見逃したことはイコンとして残りそうです。


そりゃタダでもらったチケットで文句を言うなと言われりゃそれまでですが、やはり時間を守らない人とはあまりつきあいたくありません。で、この時間にルーズな同僚はアイルランド人だった...というオチをご期待の方。残念でした。この同僚はドイツ人。何事にも例外というものがあるようで。


2006年05月18日(木) 迷惑電話?人の話は最後まで聞きましょう。

おとといの日記を書いた後、さっそく電話がかかってきました。


それは午後8時。なかなか良くできた和風パスタを食べ終わって皿を洗っているときにケータイが鳴りました。蛇足ながら最近のマイブームは和風パスタ。母が隠し味にと持たせてくれた昆布茶。なるほど、隠し味として使うといい味が出るんだわ。鮭フレークでおいしい和風パスタになりました。…以上で脱線終わり。


で、皿を洗っていて手が濡れていたので、同居人ひでばかすに電話に出るよう頼む。


ひでばかす:「もしもーし。はい?はあ、はあ。ちょっとお待ちを。…おーい、Snigel、Bank of Irelandだってよ」


迷惑電話by Bank of Irelandキター━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!


このくされBank of Ireland、いりもしないカーローンだとか、住宅ローンだとかを盛んに勧めてくるんですよ。3ヶ月に1度くらいの割で電話が鳴るでしょうか。タチが悪いのは、こういう時間帯にも電話をかけてくるんですよね。


先日の件でキレてた私、ひでかすからケータイを受け取るなりに


ぶちっ


と切ってしまいました。


スッキリー


ところが、ひでばかすは


ひでばかす:「いいの?50ユーロがどうこう言ってたよ。今の電話はセールスじゃないよ」
私:「え゛?」



しでかした?と思い、今かかってきた電話番号を見ると…うーん、基本ですね。番号非通知。


うーんと思っていると、ありがたいことにBank of Ireland様はもう一度電話をかけてきてくれた(おいおい、「くされ」が「様」になるんかい)。


相手:「去年の7月3日に弊社空港支店で50ユーロを拾われましたよね?」


ん?


ここで話は、去年の7月3日に戻る。


「一度は行きたいマルタ旅行記」に書いた通り、私、1週間ほどマルタに行きました。で、マルタはEUについ最近参加したものの、未だにマルタリラなるマイナー通貨を使ってます。それを両替するためにBank of Irelandの空港支店でマルタリラを手に入れようと思ったわけ(この話、日記に書いたつもりなのにどうやら書き落としていることに今気がついた)。


で、カウンターで順番待ちをしてました。列の二番目。一番前(つまり私の前)はおばちゃんと5歳くらいのコドモ。私は信じられないものを見ます。


50ユーロ札がカウンター脇の床に落ちている。


目の前にいたクソガキもこれに気がつきまして、母親の腕をつかんで


クソガキ:「ママ、あそこ、見てみて」


などと言い出すので、私はクソガキに先んじてさっとこの50ユーロを拾いました。


で、ここで、悪魔の囁き。


悪魔:「そのまま、ポケットに入れちゃいな。大丈夫だよ。アイルランドだし」(意味不明)


それに対し天使が…


天使:「駄目よ。そんなことしたら。正直に生きないと」


そんな悪魔と天使のせめぎあいを耳にしつつ私は至極まっとうな結論に至りました。


私:「監視カメラが2台もあるところでお金をポケットに入れるのは無理」


かくして、カウンターに


私:「床に50ユーロ落ちてました」


すると、係のおねえさんは…


係:「あら。じゃあここに名前と電話番号書いて。もし1ヶ月誰も申し出なかったらあなたのものになるから」


で、それっきりでした。この話を友人にしたら、


友人:「んなもん、Bank of Idiotの係がガメるに決まってんじゃん」


…そうだよなあ。正直者が馬鹿を見るのがこの世の中の基本か。


それからほぼ1年。そんなことなどすっかりと忘れてました。で、今日になって電話がかかってきたのです。


相手:「去年の7月3日に弊社空港支店で50ユーロを拾われましたよね?」
私:「そういえばそんなことがありましたよね」
相手:「誰も取りに来ないので、あなたに差し上げます」



えっ?


これには正直驚きました。まさかそんなことになるとは夢にも思ってませんでしたから。


相手:「Bank of Irelandに口座はお持ちですか」
私:「はい。12345768です」



慌てて間違えました。12345678でした。


かくして、今日電話したら、ちゃんと50ユーロ入金されました。これにはさすがの私も驚きました。ちょっと得した気分です。なんで1ヶ月のはずがほぼ1年かかるのか問い詰めたい気がせんでもないけど。


今日の教訓:セールス電話とは決めてかかれない。とりあえず話を聞こう。


2006年05月16日(火) アイルランドのタチの悪い迷惑電話について

同じ仕事を4年もやってると、いい加減、体が仕事を覚えてきます。頭は完全に停止しているのに手が勝手に仕事をしている状態…むろん医学的にはそういうことはありえないのでしょうが、感覚的には、そんな感じで仕事が進んでいきます。


そんな、「オートマチックモード」の時にケータイが鳴りました。マナーモードにするのを忘れていたので思い切り呼び出し音が鳴ってしまいました。


そもそも、私のケータイなんてほとんど鳴りません。とにもかくにも万一にもスケジュールの変更があると困るヒコーキ関係などはともかく、スーパーだとかいろんな会社関係にはケータイの番号は極力開示しないようにしてます。だって、鳴るとうざいじゃないですか(じゃあなんでケータイを持ってんだって)。それに対し、どうせ誰もでない家の電話番号は、必要なときに限っては開示してますが。


そんなわけで、私のケータイが鳴るときは、たいがい私の彼女か、ひでばかすか、ごくごく一部の友人と相場が決まっているわけです。そんな人たちは、余ほどのことがない限り仕事中に電話してこないし、もし仕事中に電話をしてきても、私の会社の直通番号を知ってますから、仕事中にケータイが鳴るというのは私にとってはかなり珍しいことなのです。


で、鳴ったケータイの画面を見て一瞬凍ってしまう。


なにこの番号?国番号357?どこだよ。それ?


ごくごく親しい友人に約一名、神出鬼没で世界中どっから電話をかけてくるか想像もつかないアホタレがいるので、そいつかと思い電話に出る。


私:「もしもし」
相手:「Snigelさんはいらっしゃいますか」



…思わずケータイを耳から話したくなるような元気のいいオヤジ。こりゃろくでもない電話だろうなと一瞬で想像がついた。私は思い切り冷たい声


私:「私ですが。どちら様でしょう」
相手:「何とか社のDavidでーす。あなた日本人ですか?」
私:「はあ」
相手:(日本語で)
「コンニチハ」


ぶちっ。自分の頭のどっかでキレた音がした。このくされセールスマン、片言の日本語を話したら、こっちの機嫌が良くなると思ったか。日本人だったら何か買うとでも思ったか?このハゲ。


もう、相手ははげたセールスマンだと決めてしまった私(決めつけがひどいし、ハゲだったら何だというのかという疑問が残る)。ともあれ、私はさらに冷たい声で…


私:「何の御用でしょう」
相手:「Snigelさんのお金を増やす特別な方法を…」



ぶちっ。


会社で怒り出すのも大人気ないので、静かに電話を切りました。


電話を切ったあと、腹が立ってきました。セールスコールがケータイにかかってきたということは、どっかで私の個人情報が漏れたに違いない。家の番号はともかく、ケータイにかかってきたというのが気に入りません。何せ、上にも書いたとおり、航空会社以外では、ほとんどどこにも電話番号を教えてないのに、どっから私の個人情報が漏れ出たんだ?まさか日本大使館…のはずはないしなあ(だとすればゆゆしき大問題ですが)。


例の国番号を調べたところ、出てきた地名は


キプロス。


いやー、地球は狭くなりました。キプロスから迷惑電話かよ。


この私のケータイの番号の情報漏洩、意外なところでその原因がわかりました。その日の夕方家に帰るとうちの同居人のひとりが…


同居人:「今日、Davidさんから電話あった?」


はぁ?なんでこいつそのこと知ってるの?


私:「なんで?」
同居人:「朝、電話がかかってきて、緊急な感じだったから、ケータイの番号教えたよ」



ハァ?お前、バカ?どこのアンポンタンがセールスマンに人のケータイの番号を教えるんだ?あのセールスマンのどこに緊急性を感じるんだ?


こうして、ケータイ番号の漏洩元は以外と簡単にわかってしまったのですが、それでも疑問に残るのは、家のどこから家の番号が漏洩したかということ。ケータイほどではないにせよ、なるべく家の電話番号は人には教えないようにしてます。もちろん電話帳にも載せてません。


ところが、この家のオーナーが私たちが引っ越す前に同じ番号を使っており、かつ、電話帳にも番号を載せていたので、前のオーナーあてにくだらぬ電話がかかってきます。
まだ、家のオーナーの番号を知っているのはいいほうで、下手すると、


相手:「この家のオーナーさんはいらっしゃいますか」


とか


相手:「この電話の名義人さんはいらっしゃいますか」


なんて、誰がどう聞いてもセールスまるばれで電話をかけてくるアホタレがけっこういます。それならまだいいほうで、一度、血管が本当にキレそうになったのが…


私:「もしもし」
相手:「おめでとうございます。あなたは、たった今、懸賞に当選しました。当選品を受け取るために9番をダイヤルしてください」



と、テープに言われたとき。自動のダイヤラーか何かを使っていると思われるこの迷惑電話。違法じゃないのか?このときは、本気でオペレーターを引っ張り出して怒鳴ろうかと思いましたが、9番を押したことでどうのこうのといちゃもんをつけられると嫌だと思い、そのまま泣く泣く切りました。


これ以来、私、家の電話に出たときは相手が何か言うまで何も言わなくなりました。


今後、くだらぬセールス電話がかかってきたら、とことん意地悪してやろうと、いろいろ悪だくみをしてます。実際にかかってきたら報告します。


2006年05月14日(日) 古き良きダブリンの生き残り、Screen

その昔、語学留学なるものをしていた頃は、それこそ毎日のように映画を見てました。何せ、学割で昼間だったらたった3ポンド(400円くらい)でしたからね。


それから10年。いつの間にやら、映画館に行くのもおっくうになり、たまにDVDを買っては見もせずに部屋の片隅にほっぽり投げて見もしないという変わりよう。そんな私がホントに数年ぶりに土曜日に市内のScreenという映画館へ行きました。


この映画館、どうもSavoyの補完的役割をしているらしく、SavoyでやらないいわばB級の映画をやる感じです。じゃあつまらん映画ばかりをやるのかというと実はその反対で、当時この映画館で見た映画は、Life is Beautiful(イタリア映画)やCentral Station(ブラジル映画)、Breaking the Waves(イギリス映画=邦題「奇跡の海」)など、忘れられないものが多いです。もしかすると、館長さんがこだわりの人なのかもしれません。上に挙げた3本は、機会があればぜひ見てほしい私が自信を持ってオススメする映画です。


ほんで、数年ぶりに行ったScreen。土曜日の昼間の一般料金は8.5ユーロ(1150円)。そりゃ、学生の平日割引と土曜の一般料金を比べるのが悪いのかもしれませんが、ほぼ3倍になってます。その上がった値段を使ってかどうかは知りませんが、小汚かったトイレが新しくなり、館内の座席も新調されてました。


そんな中、昔から変わらないいい味をした注意書きが未だにあったので思わず記念撮影。10年前からこの掲示はずーっとあります。




フラッシュを使わなかったのでちょっとピンボケ。スマソ。



(意訳)衛生のため、チケットを口に入れないでください。


…だそうです。どうか、皆様におかれましてもこのお願いを守るようにしましょう。


それにしても昼間だからか、Tsotsiを見ていた人は一桁。軽く150人くらい入りそうな劇場は悲しいくらいガーラガラ。生まれて初めて南アフリカ映画を見ましたが、うーん、悲しいなかにもすべてが良く練られたいい映画でした(…なんだけど、ダブリンでこの映画を上映してるのはここだけでしかもガーラガラ)。






話は変わってこちら、ダブリンのSCR(South Circular Road=ぜんぜん環状になってないのに環状を名乗るまるで東京の環七のような道。ただし、環七に比べるとそのしょぼさは(以下自主規制))と旧国道4号線(日本の日光街道と比べそのしょぼさは(以下自主規制))がぶつかるT字路の写真をご覧ください。






こっちが青信号なのに右折車が来てる…これって信号無視じゃあ…とかいう突っ込みはとりあえずおいておいて、見ての通り、ここ、T字路です。それがどーした…という方、はい、下の写真に注目。






路面の表示に注意。右レーンは直進車と右折車用。


まっずぐ壁にダイブしろってか?


その昔、どっちやねんというシリーズでも書きましたが、


アイルランドで矢印を見たら、まず、疑いましょう。壁にダイブしてからじゃ、遅いです。


写真をあぷしたおまけのおまけ。


ダブリンバスの計画性のなさの証明。






いつもゲロ混みの16をダブルデッカーでなくダブルデッカーの半分も運べないMidiバスで夕方のラッシュアワーに運行するな!アホダブリンバス。

<追記>
読者さんからのツッコミ...。ご参考まで。

あの映画館の見解は間違っています。あそこだって立派なチェーンで、館長にこだわりなどない。。。。Tsotsi 私は旧UGCで観たよ。



2006年05月09日(火) たかが右折。されど右折。

ダブリンの交通信号機、意外や意外、面制御です。


…と言っても、なんのことかわからん人がほとんどだと思います。解説すると、信号の制御方法には、点制御、線制御、面制御の三種類があるのです。


つまり、山奥にひとつだけある信号機、これ、他の信号機と連動してないので、点制御。で、今度は、幹線道路などで、信号が1本の道について(例えば国道に沿って)連動してるというのが線制御。面制御は都市部で線ではなく面で制御しているという方法です。あ、私、交通評論家じゃないので話半分で読んでくださいね。


ダブリンの信号、私が見たところ面制御です。結構高度なシステムを10年程前にオーストラリアから買ったらしいです。だけどねえ、運用がなってないのです。運用が。


混んでないはずの時間帯に突然プチ渋滞に巻き込まれて、気がつくと、100メートル先にある信号が1分以上赤が続いて5秒しか青にならない…そんな経験がアイルランドで車を運転したことがある人ならあると思います。信号の制御パターンを祭日なのに平日にしてたりとかそういうことが多々あるようです。


さらに、使う側にも問題があるということがよくあります。例えば今日の話(どうやらようやくここから本題が始まるらしい)。よい天気に誘われて、昼休みに外に食事に行った私と同僚。もう昼休みが終わる…ということで、しぶしぶ車に乗って会社に戻ることにしました。


その店から会社へは、あるT字形の交差点を本線から右折します。この交差点、平日の昼間はたいがい対向車が途切れることなく来ます。つまり、右折信号なしでは右折は困難。右折信号が出ない限り信号の変わり目を狙って1-2台が右折できれば御の字かなという感じ。


そこで出番となるのは右折信号。これが出ればいいのですが、出ないのよ。出ないというのは正確じゃない。ある条件を満たせば出ます。それは、右折車が交差点内で待機すること。


今度交差点をよく観察してみてください。右折車が待機する場所の路面になにやらマットが仕込まれてます。このマットが車を感知すると右折信号が出るようになっている交差点が結構な数あります。だけど、このマットを踏んでないと右折信号は出ません。この方法は、効果的に見えて実は致命的な欠陥があります。


一部のドライバーは運転がとことんヘタで、右折時に交差点内で待機しなければいけないことを知らない。


日本だったら、右折するなら信号が青になった交差点の中心部まで出て、対向車が途切れるのを待ちますよね。ところが、アイルランドでは信号が青になっても停止線から動かないで、ただひたすらに対向車が途切れるか、はたまた右折信号が出るのを待っているアホタレがいるのです。しかも結構な数。


で、昼休みが終わろうと言うときに、差しかかったこの交差点。目の前に右折車がいるだけなので、前から2台目。フツーならすぐに右折できる状況です。


ところが。目の前にいるドライバーは青信号になっても停止線から全く動こうともせず、ひたすらに対向車が途切れるか、はたまた右折信号が出るのを待ってます。上に書いたとおり、右折信号は交差点内で待機してないと出ません。で、右折信号が出ることなしに信号が赤になります。この運転手、実に実にヘタクソでして、交差点内で待機してないから、信号が赤になった一瞬をついて右折することもできません。


二度目の青信号。…停止線から動きません。また赤になります。


三度目の青信号。それでも停止線から動きません。そこにいたら右折信号が出ると思っていたら大間違いなのですが。そろそろ後ろからクラクションが聞こえてきました。後ろの運転手さん、かなりイラついてます(当たり前か)。


四度目の青信号。呆れたことに、まだ動かない!私が運転手だったら、今ごろ後ろからクラクションからパッシングからありとあらゆる方法で怒ってますが、助手席に座っている私はおとなしくしてました。私たちの直後の車はついに諦めて直進してしまいました。


五度目の青信号。ついにキレた後ろの運転手が、直進レーンから交差点内に割り込んで右折。ただ、センサーのマットを踏んでくれなかったので右折信号は出ず。


六度目の青信号。再び後ろから車が割り込んできました。この車がセンサーのマットを踏んでくれたおかげでようやく右折信号が出て右折することができました。


たかが右折するだけで所要時間8分(しかもぜんぜん混んでなかったのに)。


確かに、交差点内のセンサーのマットを踏めば右折信号が出る…なんてしってる必要はないけど、右折のときは交差点内で待機することくらい知っててほしい。また、こういうアホタレが結構な数いるのだから、右折信号が出る方法を変えればいいのだけど…たぶんそういうことはしないだろうなあ。この国は。


笑ったのは運転してた同僚の女性。口汚い言葉で、「そこのババー、交差点に入らないと右折信号が出ないんだよ。ヴォケ」なんて言ってますが、そういうあんただって、先月までずっと停止線で待ってる人だったでしょうが(そう、私が教えたのです)。これからも私が誰かの車に乗るたびにこの右折信号の法則を教えつづけますが、この法則がアイルランドじゅうに知れ渡るまでにあと50年はかかりそうな気配です。


2006年05月05日(金) 目撃!ダブリンバスの接触事故(解決法はアイルランド的)

午後4時前、私はO’Connell Bridgeを右折してEden Quayに入り、そこからBeresford Placeへ左折すべく信号待ちをしてました。…ってどこじゃという方、要はオコンネル橋を南から北に向かって渡って川沿いの道に入り、次の橋の交差点を左折しようと思ったわけ。…それでもわからんという方、要はダブリンの中心の中心での出来事です。


このEden QuayからBeresford Placeへの左折は、交通量が多いせいか左折レーンが2レーン用意されてます。で、私は左折後すぐの分岐をAmiens Streetに入るので右側の左折レーンの前から4番目くらいの場所で信号が変わるのを待ってました。


信号待ちの左折レーンの先頭には左車線には発車したばかりのダブリンバス、右側には、建築関係か何かと思われるワンボックスタイプの車が止まってます。


ところが、アイルランド名物、信号のサイクルを間違えた(いてっ)が起こってまして、信号が赤のうちは右から左への交通が流れるのに、どうやら次の信号が赤になるとこちらが青になるようで、要するに、こっちが青になったときは右からの交通が交差点を塞いでしまい、青になっても全く進めないわけ。


…説明の方法がヘタですか。平たく言えば信号が青になっても目の前に右からの車が並んでいるために出られないわけです。


3度目の青信号になったときに、ついに右側のワンボックスカーがキレました。左側にバスが止まっているのに関わらず、バスの前に開いた(と思われる)わずかなスペースから交差点内に突っ込もうとします。バスが、ブーブークラクションを鳴らすのに無視。で、バスのほうに思いきり寄ったと思ったら次の瞬間バスに思いっきり自分のドアミラーをかち当てます


大したことじゃない程度ですが、接触事故です。


すると、バスの運転手さんが多分怒ったのでしょう。そりゃそうだ。クラクションを鳴らしているのに、さらにバスが横にいるのを知っていながら突っ込んでくるなど愚の骨頂。怒ってしかるべきです。


バスの運転手さんは窓から手をにゅっと出してこっちに来いと合図します。「おお、ダブリンバスの運転手さんも怒るときは怒るな」わくわくしながら眺めていると、ワンボックスカーは果たしてバスの運転手の脇に止まります。すると、バスの運転手さんは窓から差し出した手をさらに伸ばして…


曲がったワンボックスカーのドアミラーを直してあげました。


えっ?怒るんじゃないの?


キョトーンと後ろから眺めている私のことを気づくはずもなく、バスの運転手さんはさし出した手で「行っていいよ」と合図。ワンボックスカーは走り去っていきました。


これだけのさやかな出来事でしたが、アイルランド的だなあと考えさせられました。これでいいんだろうなあ、アイルランド(ため息)。


2006年05月04日(木) くされAMCバスは、やっぱりくされバスだった。

本当にひさびさにくされAMCバスを使いました。ほとんどの読者さんはご存じないでしょうが、この日記開設間もない2002年の春あたりにこのくされバス会社の悪口を散々書き連ねました。この会社、陸の孤島であるうちの会社と市内を結ぶシャトルバスサービスを担っているのですが、まあ、定刻通りに運行なんてまさに夢の夢で、他のバス会社が捨てたポンコツバスで、ひどいサービスを提供してます。


実は、私が車を買ったのは、このくされAMCバスがあまりにひどくてとことんまでに愛想を尽かしたからに他ならないのです。


で、今朝、某修理工場に定期的な整備のために車を預けてきました。で、夕方車を取りに行くために本当に3年ぶりくらいにこのくされAMCバスに乗ったのです。


バス到着は意外にして定刻通り。バスがバス停に近づくといっしょにバスを待っていた同僚が言うのです。


同僚:「あ、この運転手、いちばん運転が荒い運転手だ」


…なるほど。濡れた路面にタイヤをロックさせながらバス停に入ってくるんだからただもんじゃないわ。


乗り込んだバスは、マニアックで恐縮ですが、元ダブリンバスでcityimpとして活躍していたミニバス。ダブリンバスがいい加減5年も昔に捨てた車体を未だにだましだまし使っている様子。見る人がみれば、そのくたびれぶりはごまかしようがないわけで。


私たちが乗り込んだ後、発車まで数分の余裕があった運転手は、おりしも到着した別のくされAMCバスの運転手とくっちゃべるためにバスを離れる。彼が運転席を離れた瞬間バスが後進を始める。そう、サイドブレーキを引き忘れていたんですね。このアンポンタン運転手は。私があっと思ったときはすでに遅く、後ろに停まっていた別のくされAMCバスに衝突。とてもプロの運転手とは思えないお粗末な事故。


結果、後ろのバスの樹脂バンパーは見事に割れてしまいました。なのに、この運転手はへらへら笑っているだけで意に介さない様子。


そんなことでいいのか?


そのあとも実に乱暴にバスを運転してくれまして、市中心部についた時には私はげっそりと疲れ果ててしまいました。これなら、自分で車を運転したほうがはるかに楽だと実感しました。


2006年05月03日(水) BMW嫌いです。

Q州のSnigel家の実家、諸般の事情により車が数台あります。…と言っても私が大金持の御曹司…なんて訳はなく、人が捨てたようなおんぼろな車が数台あるだけの話なのですが。


私が日本に着いた翌日のこと。ちょっと出かけようとオヤジに車を貸すように頼みます。


私:「車貸して」
父:「そのマーチに乗って行っていいよ」



…見るとおんぼろのマーチが家の前に止まってます。あまりのボロさに引いていると


父:「嫌ならそこのビーエムに乗って行ってもいいよ」


…BMWですか。


私、アイルランド反ビーエムの会の会長を務めています(10秒ほど前から)。もし読者さんの中にBMWのオーナーがいたら申し訳ないけど、少なくともアイルランドにおいては、BMWの運転手ほど、乱暴で攻撃的でジコチューでアホタレな運転手はいないと断言します。


「オレは道の王者だぜ」と言わんばかりに傍若無人な運転をするアホタレどもをケーサツはびしびし取り締まるべきだと思います。例え1キロのスピード違反でも検挙し、例えほんの数秒の駐車違反でも車輪止めをつけるべきだと声を大にして叫びたいわけです。


中年の主張はそれくらいにして、場所はQ州に戻ります。オンボロマーチか、それより年式は古くてもBMWか。悩んだ挙げ句に、なんとなくBMWのキーを手にした私。これが間違いのもとでした。そんなにBMWが嫌いならマーチを選らんどきゃ良かったと後悔してます。


で、車に乗り込もうとして唖然。ドアを開けた瞬間に私は凍りついてしまいました。






ガ、ガ、ガ、ガルウィング?


こんなアホなドア、西部警察(だっけ)の中でしか見たことがありませんでした。こんなもんが世の中に本当に存在したんですか?こんな車をどっかから拾ってきたうちの父とは一体…。しつこいですが、この時点でマーチに乗換えときゃ良かったです。


ともあれ、苦労をしてドアを閉めて出発。うちから高速道路を走り、某所へ。なるほど、BMWはエンジン音もいいし、加速感もいい。などとBMW大嫌いを標榜しつつ、運転を楽しみ始めた私。高速を降りてすぐの交通量がほとんどない国道を走っていると、道端から旗をもった制服姿のオッサンが飛び出してきました。「止まれ」とかいう旗を持ってますな。


ビバ!春の全国交通安全運動


そう。スピード違反で検挙されてしまったわけ。この片側2車線でなんの障害もない下り坂は50キロ規制らしく、そこを私は71キロで走っていたそうな。あのー、私はそれなりに気をつけていたのですが…アイルランドだったら絶対100キロ近いスピードで走っていたと…などとは全く言い訳になってませんが。以下、捕まった私はもちろんですが、捕まえたほうにも災難という名のコメディーが始まります。


まず、車から降ります。例のガルウィングで。お巡りさんの目は点になってます。すごく恥ずかしい


警官:「ええと、スピード違反です。あの下り坂の終わりにカメラがありまして、その前を50キロ規制のところ71キロで走行されてました。恐れ入りますが、こちらの車の中でお話を伺いますので、お運びいただけますか」


で、バンの中にて…。


(別の)警官:「恐れ入ります。免許証を拝見できますか」


私が提示したのはアイルランドのAA発行の国際免許証。何せ日本の運転免許証など当の昔に失効してます。お巡りさん、かわいそうに完全に困惑してます。そりゃそうだ。国際免許証がここで出てくるなんて思ってもなかったろうから。


警官:「国際…免許…ですか?」
私:「そうですが、何か?」
警官:「ええと、あの、海外にお住まいですか」
私:「はい」



警官は上司に相談。で、上司は無線でおそらく本署と話している模様。あからさまにパニくっているのがわかり、笑える。


警官:「あの、日本の免許証は?」
私:「アイルランド発行のこちらの国際免許で運転してます」



また警官は上司と相談。


警官:「Snigelさん。あの、パスポートはお持ちですか」
私:「はい?なんで日本人の私が日本国内でパスポートを持ち歩かなきゃいけないんですか」
警官:「…そうですよね」



また上司と相談。すると、上司がじきじきに出てくる。


上司:「Snigelさん。あなたのケースは実にまれなケースなんですよ。国際免許で運転されている方はたいがい外国人でパスポートの携帯が義務づけられているわけですが、あなたの場合、もちろん日本人ですから…日本人ですよね?」
私:「見ての通り、日本人です。ついでに言えばO分県人です。
上司:「そうなると、当然パスポート携帯の義務はないんですが、ただ、この国際免許が有効かどうか確認できないわけですよ」
私:「2006年4月1日発行って書いてあるじゃないですか」
上司:「そうなんですが、これが日本上陸の日付の証拠にはならないんですよ(意味不明)。そういうわけなんで…」



おっと、これは違反揉み消しか?ラッキーと心の中でほくそえんでいると…


上司:「パスポートを持って本署に出頭してください」


がくっ。世の中そんなに甘くないのねん。


考えてみれば、明日アイルランドに帰るとか言えばよかったものの、ばか正直な私は、翌々日に高速を使いかなりの時間をかけてパスポート持参でO分県警の某警察署に出頭。青切符を窓口に提示してしばらくすると、交通課の署員が出てきて…


署員:「あのー、Snigelさん、今日は、どういった御用で」


お前らが来いといったんだろうが!


そんなわけで、青切符一枚、15000円なり。まあ、点数が無関係なのがおいしかったといえばおいしかったですが…。なんとなくおんぼろマーチで走ってたら、例え同じスピードでも検挙されなかったと思うのは間違っているでしょうか。


教訓:やっぱりBMWはろくな車じゃない(どうしてそういう結論に至る?)




Snigel |MAILアイルランド真実紀行へ掲示板へ