なべて世はこともなし
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2001年07月28日(土) 夏休みのお知らせ

前にもお知らせしていた通り、今からおいらは夏休みに行ってきます。行き先は、ドイツかチェコあたりです。いえ別に隠している訳ではなくて、本当にどこに行くか決めていないのです。言うまでもなく、旅行の様子はホームページにアップデートする予定です。

次回更新は8/10頃になると思われます。

では、時間がないので、簡単ですが、このへんで。


2001年07月27日(金) チコクの連鎖反応におけるチャリンコの危機とは?

久しぶりにやってしまいました。チコク。…しかも、単なる朝寝坊で。考えてみたら、まっとうな理由なくチコクしたことは多分入社以来初めてではないだろうか。ところがこの会社、フレックス出勤だかなんだかで、今日遅れてきた分だけ長くいればオッケーという…誠にありがたい会社。

で、寝坊なんてするとろくなもんじゃないですね。大ボケが大ボケを呼んでもうどうしようもないという状態になってしまう。

まず。慌てて出てきたんで、鍵束を忘れてきてしまった。「鍵の数だけ不幸の数」と誰かが言っていたけど、人を信用できないアイルランド、まさにその言葉は正なりで、おいらの鍵束は、家の玄関の鍵二つから始まって、机の鍵にに至るまで、留置場の看守のような鍵束をいつもポケットに忍ばせている。で、その鍵束の中には…


チャリンコの鍵


…まで入っていたんですね。で、鍵を忘れたことに気がついたのは、会社の駐輪場に着いてから…。おいらのチャリンコ、不用心にもかぎもかけずに会社の裏庭の駐輪場に止めてます。1時間ほど前に確認した時にはあったのですが、果たしておいらが帰るまでチャリンコはそこで待っていてくれるのか…。幸い、CCTV(防犯カメラ)があるからなんとなく犯罪抑止効果は期待できそうな…。(期待)

んで、忘れ物は更に続く。次に気がついたのは、ケータイ。前にも書いたような気がするが、ケータイのメッセージサービスはおいらと彼女を繋ぐ必須ツール。これがないと彼女とメッセージのやり取りもできないし、彼女がいつ昼休みかも分からないから電話できない。

ま、ケータイの方はそんな実害はないにせよ、家の鍵がないのは頂けない。何せ、家に入れないんじゃ話にならない。「うーん、困った」…と思っている時に一筋の光明が射した。


…ひでかす(仮名)だ。


ひでかすはうちの同居人。この日記もあいつはおいらのPCを勝手に使ってみているだろうひでかす。確か彼の今週の勤務時間は午前11時30分から午後8時までで、今ならまだ家にいる。で、彼の会社は同じ敷地内にあるから、おいらの鍵とケータイを持ってきてくれるよう頼むことができる。よっしゃー、彼に電話や。

…電話をかけるが話し中。…あのばか、朝からインターネットで遊んでやがる。

…5分後。お、鳴った。…鳴ってる…鳴ってる…こら、早く出ろよ…鳴ってる…あのバカシャワーでも浴びてるのか…鳴ってる…また電話シカトしようってのか(おいらは家の電話にはほとんど出ないのでこの点で文句は言えない)…おーい、出てくれよー。

受話器を置いた瞬間、おいらはとんでもないことに気がついた。

ゆうべ、おいら、彼女に自分の部屋から電話をした。で、普段はホールにある電話機を自分の部屋まで持ち込んだ。で、電話線はホールに繋いだままではおいらの部屋まで届かないから、おいらの部屋まで来ているコンピュータ用の線を間借りすることにした。つまり、コンピュータにつながっているの線をいったん外して電話に繋ぎ電話した訳。で、その後、回線をコンピュータに戻して、インターネットで遊んだ。…で、一方電話は…


…しまった、コード、外れたまんまだ。自業自得。


コードが外れていたんじゃ電話は鳴らない。これ、洋の東西を問わず共通の常識(…と思う)。これは、まさにベリーバットな事態。おいら、今日は夕方来客があるのだ。その時に家に入れないという事態はとても困る。どうしよう、どうしよう。おいらが困っていると、おいらの後ろに座るまるこがいいアイディアをくれた。

「ひでかすの友達がケータイ持ってるから、彼に電話したら?」

…まるこ、おまえのことを影で「仕事がないところで仕事を増やす天才だ」なんて言ってきたけど俺が悪かった(…ってもろにここで書いてるやんけ)。お前は天才だ(今日のところは)。よし、そいつの電話番号くれ。


…というわけで、ようやくひでかすに連絡がつき、鍵を借りました。が、チャリンコは、未だに鍵もかけられないまま、裏庭でおいらの帰りを待っている。…待っていてほしい。

余談ながら、おいらは相当な田舎の出身。で、地元の中学校ではチャリンコに鍵をかけていなかった。何せ、盗まれる心配がなかったから、鍵をかける必要性がなかったのだ。その頃、おいらは鍵など持ち歩いていなかった。けど、かぎの数は年を取るに連れて増えこそすれ減りはしない。だんだん人が信じられなくなっているということなのかな…。


2001年07月26日(木) アブラぎっちょん

暑いです。今日は。とっても暑いです。最高気温が22℃まで上がるそうな。はいはいはい、石を投げない(ディスプレイ壊れちゃうよ)。日本が「酷暑」なのは知っております。でも、アイルランドでは、22℃は文句なく「暑い日」と言えるのだ。

うちの会社には、社員食堂がない。ゆえに、50メートルくらい離れた関連企業の社員食堂を間借りしている。で、そこが最近リニューアルして、なかなか良くなったのだ。と言っても、見かけが良くなっただけで、出てくるものは…いまいち。

が、社員食堂万歳。なんてったって古今東西未来永劫社員食堂は安いLのだ。お昼ご飯は2ポンドちょい(300円くらい)出せばおなかいっぱい食べられる。貧乏なおいらにはとってもありがたい。しかも、朝は9時から開いているから、ちょっとした朝食も食べることができる。

さすがはアイルランド、お望みならば、「アイリッシュブレックファースト」なぞも食べれる。ソーセージにベーコンにプディングにハッシュドポテトに目玉焼き。それに、バターをたっぷり塗ったトースト。これを食べている人も多い。

はい、前の段落をもう一度読み返してみてください。ソーセージにベーコンにプディングにハッシュドポテトに目玉焼き…何か気がつかれませんか。そう、みんなアブラもの

「知らぬはホトケ」とはよく言ったもので、これをおいらもたとえば前日の夕食を抜いたとかで、どうしてもおなかの空いている時などは、上のうちのいくつかをピックアップして食べることもある。

で、ある日の朝のこと。ソーセージとハッシュドポテトとトースト、それからカフェラッテ(しめて150円なり)をトレーに乗せて、おいらはテーブルに。で、そこで、バカ犬Taroの飼い主Kさんがとんでもないことをしてみせてくれたのだ。Kさんも同じようなものを持ってきていたのだが、彼女はまず、ナプキンでソーセージをぎゅっと握り締めたのだ。

ナプキンにはソーセージの形がくっきり残っていた。何って?そう、アブラ。ナプキンで軽く握っただけで、そりゃあもう面白いくらいの油が取れるのだ。おいらもハッシュドポテトでやってみた。

…うわー、手までべっちょり

この日を境においらは、アブラを取らないとアイルランドの朝食が食べれなくなった。考えてみたら、脂ぎったナプキンがテーブルの上に散乱する様はなかなか汚らしいし品がない。(ま、アイルランド人に品を語られたらおいらももう終わりだけどね)

で、今日、お昼におなかが空いていなかったので、軽くジャガイモを皮ごと揚げたやつにしてみた(軽くじゃないね)。で、試しにナプキンでアブラを取ってみた。

…卒倒しそうになった。

アイルランドで成人病を予防するいい方法をご存知の方はおいらに教えてください。

…暑苦しい話題ですいませんでした。


2001年07月25日(水) たまには愚痴りたい日もある。「俺だってつらいんだー」(課長ふう)

作者の正直な事前予告:今日の日記は単なる愚痴です。今日の日記は読まないで前日の日記に飛ばれた方が身の為です。

朝、仕事がなくてほけーっと、ネットで新聞を読んでたら、おいらとほぼ同時期に入社したスウェーデン人の女の子がおいらの机に嬉しそうな顔をしながらやってきた。

「わたし、9月末で会社辞めるー」

思わずおいらは心の底から、

「おめでとー♪」と言ってしまった。

いや、実際この会社のいい加減さというのはもはや人智を超えているのだ。自分の立場(権益)を守ることだけに汲々としたさいあくスーパーバイザーを始め、カスタマーサービスが何なのか知らない、アホアシスタントマネージャー。以下ばかばかしいから書かないけど、よくもまあ、というくらいとんでもな逸材が揃った会社。

で、ふつうこのテの会社批判をする時は、「俺はこんなにすごいのに…」という自己陶酔的嘆きが入っているのが世の常だが、おいらの場合はその逆。実は、この会社、2年も勤めていりゃ、主任とかにもなるのだが、おいらは今もってヒラ。実際、最初の数ヶ月は「よーしがんばろー」と思っていたのだが、だんだんこの会社の内実が分かるにつれて、「ま、クビにならないように適当にやってよう」と思うようになった。自分に実力があるとは思わない。反面、「自分の持っている力を出し尽くしてがんばろう」なんてもはや間違っても思わない。結局、「この程度の人間にこの程度の仕事」と、自分で自分を納得させている。

正直なところ、就労ビザとかなんとかいうくだらない問題がなかったら、おいらはとっくの昔にこの会社を辞めてきた。でも、ビザの問題などで辞められない。考えてみると、おいらは「やりがいのある仕事」を取る代わりに「住みたい場所」を選んでしまったのだ。それ自体後悔はしていない。でも、アイルランドはもはやおいらの住みたい場所じゃない。…てなわけで、今日も、だらだらと仕事をしています。

以上、単なる作者の愚痴でした。こんななら書かない方がよかったな。すいません。(でも、「継続はチカラなり」なのだ!)


2001年07月24日(火) どう評価する?このチャリンコ屋

チャリがパンクして道中に放り投げてきたのは昨日の日記で報告の通り。で、その後のお話です。

4時半まで仕事をして、シャトルバスに乗ってDART(電車)のClontarf Rd駅へ。そこから自転車が行き倒れたところに行っていると、さすがはおいらのぼろチャリ、誰も盗もうともせず、朝と同じ状態でご主人様の帰りを待っておった。

そもそもこのチャリンコ、新車で買ったのは1999年の12月。つまりまだ2年乗っていないのだ。にもかかわらず、サビだらけ。理由は簡単で、家の屋内に保管する場所がないので、ずーっと、中庭でアイルランドの風雨に晒されつづけてきたのだ。しかも、買ってからただの一度も掃除したことがない。スポークなどもともと銀だったとは思えないくらい真っ黒。

おいらのチャリンコ歴は長い。実はうちの母方のじいさんは自転車屋。都内某所で未だに自転車屋をやっている。で、そのじいさまに3才か4才の時初めてもらったのが、てんとう虫か何かの形をしたベルがハンドルのど真ん中についた14インチ補助輪付きの自転車(そんなかわいい頃もあったのです)。で、これ、嬉しくて嬉しくて家の近所を乗り回していたのだが、家の近所の深さ10メートルくらいある用水路(水深はないが崖)にそのチャリンコを落してしまった。

…本人はと言えば、何と、そのチャリンコを捨てて無事。あとでオヤジに崖を降りて取りに行ってもらった。

そんなのがおいらと自転車との出会いなんだから、おいらが自転車を大事にするわけがないのだ(←完全に開き直り)。で、その後も、中学校(片道3キロ)、高校(片道15キロ)と、チャリンコ通学となり、自転車に乗るのは得意中の得意なのだが、何にせよ「自転車を大事にする」という感覚をおいらは持ち合わせていないのだ。

いつものことながら話がそれた。で、パンクしたチャリンコをひっぱって、行きつけのチャリンコ屋へ。ここ、とにかく態度が悪いのだ。おいらが中へ入っていくと、おいらのチャリをいつもみてくれる兄ちゃんは、あいにく接客中。で、チャリンコを作業場に寝かそうとすると、奥に暇そうに座っていたおっさんが、

“You can’t leave the bike like that. Someone might fell over!”

などとほざく。確かに言っていること自体正論なのだが、でも、

…おまえはじゃあ暇そうにそこで何をしとるねん。お前が何とかせい


で、5分後、いつもの兄ちゃんがようやくやってきた。ちなみにその5分間、おいらは所在なげにおいらのチャリを持って立ってました。他方、奥のオヤジは暇そうにボーッとしてました。これが、アイルランドにおけるカスタマーサービスの実態です。ははは。で、まあ、この兄ちゃんが、色といいツヤといい、そして何より話し方といい、とにかく品がない。すごく無骨で友好的でない話し方をするので、おいらが嫌われているのではないかというあらぬ錯覚を抱くようになる。で、向こうが無骨な話し方をするから、こっちの話し方もおっつけぶっきらぼうになる。

“When'll it be ready?”
“Half 5”


みたいな感じ。普段のおいらなら"Can you tell me when it'll be ready?"は最低限、ことによっては"Could you possibly tell me when it will be ready?"ってな感じでていねいに話すのだが…。

まあ、それはおいといて。30分後の5時半。おいらはチャリンコ屋に戻る。予想通りチューブ交換。これがまた冗談のように安い。何とチューブ交換が技術費込みで5ポンド!(700円)しかも、チャリンコは軽くとはいえ掃除され、ギアは微調整され、ついでにチェーンには(おいらが注したこともない)オイルまで注されている。それらは完全に無料なのだから驚く。まったく、あんな話し方するから嫌われてるのかと思った。それとも、おいらのチャリンコのあまりの惨状を見るに見かねただけなのかもしれないが…。なあ、それだけ親切にしてくれるなら、あと、話し方をどうにかしてくれたらおいらは完全に満足するだろうに。その話し方は、平安美人に金髪くらいの破壊力を持って他が何も見えなくなるんだよ。

ちなみに…。うちのじいさんに確認したところによると、現在の東京の後ろタイヤのチューブ交換は2500円だそうです。

で、その足で、KillesterにあるスーパーSupervalueへ。おいらこのスーパーには滅多に来ない。何せ、アイルランドの田舎で独占状態で見かけるとんでもない田舎のスーパーのチェーン。とにかく、高い、古い、陳列いい加減といいところがない(他もひどいが輪をかけてひどいのよ)。だが、どうしてもErdingerというビールが飲みたかったのでわざわざやってきた。そう、おいらが好きなErdingerというビールはアイルランドではなかなか手に入らない。チャリンコ屋のとなりの酒屋でもたまに売っているのだが、普段は売り切れている。

で、ついでだから、今日と明日の夕飯の食材くらい買っていこうと思い、カゴを手に、物色開始。まあ、チキンの色は何だか古そうで買う気がしないし、しかも高い。で、他の肉も何だか怪しげで、うーむどうしようと思い、野菜のコーナーに行ってみると、玉ねぎは半分腐っていた。おいおいおい、玉ねぎが腐るまでどれだけの時間がかかるねん。仕方がないので、カゴを途中で放棄して、酒のコーナーに行き、Erdingerだけ買って帰りました。
ちなみにここのスーパーの店中に貼りまくったポスターとテレビコマーシャルのキャッチフレーズは…


Shopping as it should be.


おいらはこのキャッチフレーズのポスターをいつか

Shopping as it shouldn't be.


…に書き換えてやりたいと考えている。



PS 今実は、すんごく頭に来てるんです。この会社…とゆーか、うちのアホスーパーバイザーに。ネット上で個人攻撃は卑怯ですし、会社の秘密、個人のプライバシーまで関わることなんで、残念ながらこの日記に書くことはないと思うのですが…

…が…

…書きたい。(ばたっ)


2001年07月23日(月) アホばかりではないぞ!アイリッシュ

昨日の夜、うちの同居人のひとり、ひでかす(仮名)と一緒に冷蔵庫の中の残り物を駆使してカレーを作った。ルーは、以前に仕入れてきたインドネシアかタイかどこかの本格的なもの。カップヌードルくらいの入れ物を開けると中には、ミソと見まがうようなペースト状のルーが真空パックに入っていた。

で、適当な野菜を適当に煮てルーを入れて味見をしてみた。


辛い (T_T)


辛い、なんてもんじゃない、辛い辛い辛い(別の表現はないんだろうか)。で、おいら、辛いものがすごく苦手なのだ。一度、KilkennyのインディアンレストランでMidium Hotのカレーを食べて死にそうになったことがある。「中辛」のはずだったのだが…。(書いてないけど、「アイルランド南部引き回しツアー」でのひとこま)あとは、Stockholmのインディアンレストランでも火を吐きそうになったことがある。で、おいら辛いと、かまずに飲み込む、つまり、流し込んでしまうんですね。で、今日になってちょっとおなかが痛い。どうか皆さん、おいらに辛いものは与えないで下さい。

今朝は久しぶりに(ドイツ語コースが終わったので)自転車通勤!…ということで、数週間庭にほっぽりだしてあったチャリンコにのろうとすると…


パンクしとる…(T_T)


仕方ないので、携帯用のポンプで空気を入れて、さらに念を入れてそのポンプをかばんに押し込んで、出発…したのはいいが、パンクは結構ひどいらしく、数百メートル走った段階で空気が抜けてしまった。仕方がないから、もう一回入れ直したが、やはりだめ。道中にチャリンコを捨ててきました。帰りまでそこにあればいいが…

そんな話はまさにどうでもいい話でして。昨日予告してあった、「アイルランド人はそんなにバカじゃないんだよ」というお話、始めさせていただきます。

先週は金曜日の話。ドイツ語コースの打ち上げも兼ねて、クラスメート10人ほどで夜出掛けました。おいらがたまに行くDame CourtのStag’s Headの地下で飲み始めました。

で、クラスでは話さないようなことまでいろいろ話したのですが、なかなか面白いやつが多かった。やはり、(前にも書いた気がするが)ドイツ語を金を出して勉強しようとかいう連中は、知的レベルにおいても、人間性においても厚みがあって面白い。

意外な事実として浮き上がってきたことは、、クラスの15人中ほぼ半分にあたる7人が、ドイツ・オーストリア・スイスのドイツ語圏の人間を彼(女)に持っている。やはりそうでもなきゃドイツ語を勉強しようという気にならないのかな。で、クラスの中で、「もしかしてゲイかなー」と思っていた22才の兄ちゃんは…やはりゲイだった。何でもオーストリアにがいるんだそうな。おいら、自分はゲイじゃないが、ゲイに対する偏見はまったくない。むしろよく言われるように、「いい人」が多いよね。彼も話してみると面白い。

で、そうかと思えば、大金持ちの娘も発見。…といっても、ブランド物に身を包んでいるわけでなく、見かけは(アイルランド人らしくなく)落ち着いた感じ。が、お父さんは、某企業のお偉方らしく、ダブリン−サンフランシスコ間を最低月二回、ヴァージンのファーストクラスで旅行するそうな。ああ、世の中にはあの「ファーストクラス」を日常で体験する人がいるのねん(無論ひがみ)。

他にはシティセンターから25キロも離れたLucanからドイツ語を学ぶために通学していたおねえさん。大学院で19−20世紀のアイルランドの歴史を学んでいるそうな。しまった、もう少し歴史に詳しかったらいろんな質問ができたのに。

話す内容も、やはりおっつけ面白くなる。比較文化論とか、ついでに小泉改革に至るまで(何でそんなことまで知ってるんだろうねえ。この人たちは)とっても退屈しない数時間だった。

そう、アイルランド人のひとりのアホの後ろには、こういう目立たない知性溢れる人がいるのだね。ただ、残念なことには、そういう知性溢れる人は昼間の星のごとく、アホなアイルランド人の後ろに隠れてしまうのでした。

…あれ?オチがないなー。ま、そんな日もある…ということで。

PS 「アイルランド人は裸で寝るのか?」に異論反論来てます。

「私の知る限りアイルランド人でもちゃんと服来て寝るよ」(とある方の意見)
そして、日記のネタになった本人からは「だって、本当にベッドが汚れるもん!」というご意見を頂きました。具体的にどう汚れるかについてもご指摘を頂きましたが、それはとてもここには書けません…。

皆様の異論・反論募集中です。


2001年07月22日(日) ダブリンバス事件簿(その7)

アイルランド人の脳ミソが足りないんじゃないか、いや、もとから入っていないんじゃないか、と思う時がある。昨日のバスの中でもそうだった。

結婚まで秒読みに入ってしまったバカ犬Taroの飼い主KさんとMarcちゃん、この家に昨日お邪魔し、午後10時半頃、彼らの家を出て、シティセンター経由で自宅に帰ろうという時の話。

彼らの家は、BlackrockとDun Laoghaireの間にある。話はそれるけど、Dun Laoghaireっていう地名、知らなきゃ読めないですよね。なぜだかは知りませんが、この地名はアイルランド語表記なのです。読み方は「ダンリアリー」です。ちなみにWalesまで高速船が出ている港町なのです。んで、彼の家の前には7番のバス停。住宅地の真ん中なので、バス停の周りには本当に何もない。

午後10時半ともなると、バスの数はめっきり少なくなる。ましてや土曜日、ますます少ない。20分ほど待つと、ようやくバスがやってきた。すごいスピードで飛ばしてきてる。あれ、おいらがいるのにスピード緩めないな。おいおい。(おいら、手を挙げる)で、バスはバス停から10メートルくらいのところから急ブレーキ

バスはけたたましい急ブレーキ音と共に、おいらの前をタイヤをロックさせながら通過してゆく。で、バス停から20メートルくらい離れたところにようやく止まった。

…あのー、薄暗いバス停で誰かが立ってたら、それはバスを待ってる人だと気がつかないんでしょうか?おまえ、脳ミソ入ってるか?

で、バスに乗る。またこの運転手がよくいる超飛ばし屋で、急発進、急ブレーキ、急ハンドルなんでも来いと言った感じの運転。よくもまあ、こんな二階建てバスを横転させないものだと思う。で、バスはBlackrockへ。ここで乗ってきたのが、おいらより少し若い(22歳前後?)のどこかに出かけるのだかドレスアップを本人はしてるつもりなのだろうけど、とっても品のない女性3人が乗ってくる。で、言うことがすばらしい。

「下りのバスに乗ってて、乗り越ししちゃったのー。乗せてって」

と、3人は運賃を払わずに乗車。こんなことを言うくらいだからまあ、バス停3つか4つのがしたくらいだろうとおいらは考える。で、彼女たちはおいらの真向かいに座りバス中に響き渡る大声でどうしようもない話を始める。…ああ。こうやってバカ話に夢中になって乗り越しちゃったのねん…と納得するが、それにしてもうるさいぞ。

ところが、待てど暮らせど彼女たちはバスから降りない。彼女たちが降りたのは、なんとほぼシティセンターに着いたと言っていいGrand Canal。土地勘のない人に東京の中央線で説明すると、東京駅から御茶ノ水駅に行くのに中央線に乗り、三鷹で乗り越したことに気がついた感じだろうか。

…どうして3人いて誰も気がつかないんだ?おまえら耳掃除の時、脳ミソまでかき出したんじゃないのか?

で、急ブレーキと急発進を繰り返し、故障中の信号も何のその、バスは無事にシティセンター着。このバス、O’Connell St のEasonsの前でほぼ全員の客が降りるのだが、そこに着くまでにQuayからO’Connell Stに向かい3車線の道路を右折する。そこの右折レーンで信号待ちをしていると、たばこを吸う、これまたいかにも脳ミソが入ってなさそうな15くらいのガキがやってきて(言うまでもなくスポーツウェア姿

ガキ:「ここで降ろして」
運転手:「…(無視)」
ガキ:「ここで降ろしてくれよ。おれ、Temple Barの方に行くんだから」
運転手:「たばこを消せ」
ガキ:「(たばこを消しながら)だから降ろしてくれよって」
運転手:「ダメ」
ガキ:「なんでダメなんだよー」
運転手:「後ろから車が来てるから」
(バスは右折レーンにいます)
ガキ:「じゃあ(右折したすぐ先の)橋の上で降ろしてくれよ」
運転手:「…(無視)」


で、信号は青になり、運転手はもちろん橋の上で止まることもなく、バス停まで止まらずに行く(当たり前だわな)

…おいガキ、訳のわかんねーこと言ってんじゃねえよ。おまえの頭を叩いたら、多分一番まずそうなスイカの音がするんだろうなあ。

書いてて情けなくなってしまった。アイルランド人の名誉のために、アイルランド人はこんなバカばかりじゃないんだよ、という話を話を明日しようと思います。


2001年07月21日(土) あなた、パンツをはきますか?

その昔、日本で「パンツをはかない健康法」なるものが少しだけ話題になったことがあった。要するにパンツで腰を締め付けると健康によくないからパンツをはかないようにしよう、というもの。覚えてますか?

で、こちらの国では、そんなことが流行る前からずーっと、裸で寝る人間というのが多いようだ。はだかすっぽんぽん。一糸纏わぬ姿で夜眠る。…これがおいらにはできないんだ。

いや、できないと言うのは正確な表現じゃない。出来るんだけどしたくない。大人になって知ったのだが、世の中には男女が(それ以外の例もあるようだがおいらの知らない世界なので省略)主に寝る前にする行為というものがあるようだ。で、困ったことには、この行為、服を脱いですることが多い。で、さらに困ったことには、この行為、部屋を暗くしてすることが多い。で、だらしがないおいらはいつも、脱いだパンツが行方不明になってしまうのだ。

考えて見るとカッコをつけたがるおいら、裸で床をはいつくばってパンツを探す姿というものをいくら、そんな行為の相手であろうと見せたくはない。朝になったら明るくなるから、その時に探そうと、そのまま眠ろうとするのだが、…これがまた変な感じなのだ。

いちおう掛け布団があるから寒くない。明け方に目が覚めるとなぜかいつも掛け布団が相手方によって奪われているのだがそれは当座の問題じゃない。でも、パンツをはかないと何かが違うのだ。極端な話、なぜか漏らしてしまうのではないか…そんな不安にすら駈られる。名誉のために言っておくが、おいらは物心ついて以来そんな粗相を起こしたことはただの一度もない。だけど、パンツをはいて眠ることが当たり前という教育を受けてきたばかりに、パンツをはかないだけでものすごい違和感を覚えるのだ。

で、翻ってこっちの人間。人から聞いたりする範囲では、どうもとりわけ男は裸で眠る人間が多いようだ。で、とあるこっちの人間とひっついた日本人女性がやはりこれが気に入らないらしいのだ。彼女の場合、純粋に「服を着ないで寝るとベッドが早く汚れる!」というのが理由らしい。で、(実はおいらもそうだけど)こっちの人間の多くは朝にシャワーを浴びる傾向があるらしい。…ますますベッドが早く汚れるね。でも彼に、「夜寝る時は、シャワーに浴びるか、服を着て!」とは言えないらしい。ま、彼らは子どもの頃から服を着ないで寝ているらしいし、こういう文化の違いとかは出来るだけ尊重しないとね。

そんな彼女の折衷案、「シャワーを浴びないで寝る時はせめてパンツをはいて!」

おいらの提案、「日本からウォシュレット、持ってきたら?」


2001年07月20日(金) 億万長者へのはかなき夢

最近ロト(ロト6)と一緒に、スクラッチカードも買うようになってしまった。「いつか億万長者になりたい」という射幸心がこんな無駄遣いに走らせる。いやいや、億万長者になんかなれなくたっていいのだ。要は、このくそバカアイルランドから脱出して、どこかで穏やかに暮らしていければいいのだ。

んで、このスクラッチカード、6/24放送日テレの「電波少年」の「占い」の企画で出演者がロンドンで買ったあれと同じ。コインで枠をこすると、金額が出てくる。で、8つある枠のうち、3つ同じ金額があればその金額があたりというアホなアイルランド人にも理解できる単純なもの。コインでこするドキドキ感を実況中継致します。

まず、店で買ってきたスクラッチカード。店先でこするようなせっかちなマネはいけない。ますは、自分の机に戻ってゆっくり腰掛ける。で、財布の中から必ず1ポンドコインを取り出す。1ペンスコインでこするよりも当たりそうな気がするから(気のせい)。どうか皆様もゆっくりスクロールさせてはかなき夢をバーチャル体験してやってください。

で、第一枠をこすります。

一枠:8ポンド。

…これくらいが当選しやすいセンだから、いい感じ(「億万長者への夢はどこへやら」。

二枠:2ポンド。

出たよ。最低当選金額。これが当たってもあまり嬉しくない。

三枠:5000ポンド!

おおっと、いきなり今度はジャックポット(一等)の金額がでてきた(ちなみに日本円で70万だから…大したことがないといえばそうだが、おいらの月収の数倍であることには違いがない)

四枠:2ポンド。

2ポンドリーチ。これは、2ポンド当たりな気がする。

五枠:5000ポンド!!

おおーっと、5000ポンドもリーチ!!これは、ゴージャスなホリデーか?

六枠:8ポンド

おおーっと、2ポンド、5000ポンドに続き、8ポンドもリーチ!後残りの二つの枠うちどちらかに、これらの金額が含まれていたら当たり!

さあ、期待の七枠です。

七枠:4ポンド。

…これはまったく関係のない金額がでてきた。ここで外しといて、最後に当たりを出そうとという、心憎い演出か??

さあ、最後。8枠。心を静めてこすります。さあ、2ポンドの小額当選か。8ポンドか?それとも、夢のジャックポット5000ポンドか?!?!?!






結果は…






八枠:25ポンド。

………
……


…ホリデーの夢はおろか、たったの2ポンドも当たりませんでした。


ちなみにこのスクラッチカードの裏には1 in 6.7 wins cashと書いてます。確率論から言えば7枚買えばいくらかは当たる…はずなのだが、未だにそれ以上の枚数を買ったのに当たらない。

で、いやらしいことには、当たりそうな期待を与えておいてあたらないのだ。例えば、こんな例も。

一枠:25ポンド
二枠:50ポンド
三枠:8ポンド
四枠:2ポンド
五枠:50ポンド(50ポンドリーチ)
六枠:5000ポンド
七枠:8ポンド(8ポンドもリーチ)
八枠:5000ポンド


おいらの論評は無意味なので省略。

んで、ロト6。

これは、1から42までの二院異の数字を6つ選ぶ宝くじ。1.5ポンドで2つのラインを買えるわけだけど、それに50ペンスを追加すると、敗者復活にも参加できる。つまり最初の抽選に外れても、50ペンスを足すことで二つ目の抽選にも参加できる。むろん2つめの当選の方が当然金が低い。本選では100万ポンド(1億3500万円)がジャックポットだが、敗者復活戦では25万ポンド。(3375万円)。で、最低当選金は、本選ではマッチ3+ボーナスナンバー(その名の通り、6つの番号以外に選ばれる7つめの番号)のマッチで10ポンド。敗者復活戦ではマッチ3で上のスクラッチカードが一枚もらえる。

では、最新の水曜日の結果を見てみましょう。

おいらが選んだ番号…
ラインA: 05 19 20 26 30 35
ラインB: 09 12 15 17 34 37


で、結果は…

本 選 : 05 13 29 33 35 39 ボーナス 22
敗者復活戦: 04 10 11 22 25 32 ボーナス 38


…かすりもしない。

明日は土曜日なのでまたロト買います。(毎週水曜日と土曜日の2回抽選)もし当たった場合、おそらくこのサイトは閉鎖になる(管理しなくなる)と思いますので、更新がなくなった場合はSnigelはスペインにでも高飛びしたと思ってくださって結構です。

…多分ずっと続くだろうな。このサイト…。


2001年07月18日(水) 昨日から今日にかけてのB級事件簿

今朝おいらは…寒さで目が覚めました

…まったくなんちゅう国やねん。昨日は最悪の天気(雨+強風)のおかげで、ドイツ語コースからの帰りのバスには暖房が効いてました。…念のために申し上げますが、この日記は7/18に書いてます。

そう、昨日は天気が悪かったので、シティセンターから学校まで絶対に歩きたくなかった。だから、シティセンターからたった1キロ程度の道のりだけれども、7番のバスに乗って学校に行くことにした。

バス停の前にはすごい人だかり。ま、人間なんて所詮考えることは同じ。こんなクソ寒い日誰だって濡れたくないわな。てなわけで、おいらが乗ったバス停(ターミナルから二つ目)のバス停ですでにバスはほぼ満員。運良くおいらは、1階席の一番後ろの席に座る。

で、次のバス停はTrinity College前。ここからもバスに客が乗ってくる乗ってくる。すでに1・2階合わせて74席あるシートは完全に埋まり(ま、上は見えないけどたぶんね)、さらに20人くらいが1階に立っている。たいがいの運転手は、そんなに人を立たせない(乗車拒否する)のだが、こんな天気だったからかそれとも運転手がホトケのような人だったか、とにかく定員以上の客を乗せてバスは発車。

で、おいらのバス停はそこからたった3つめ。当然の帰結として…


降りれない。


ダブリンバスはほとんどのバスに中扉がついているものの、基本は「前乗り前おり」。中扉は労働組合が「運転手の仕事が増える」と使用を断固拒否しているらしい(こんなバカな話に作者の論評はもはや無意味)。で、おいら、バス停につくだいぶ前からベルを押し、人をかき分けて前扉へ向かい前へ前へと進んだけれど、バスがバス停に着いた時点でおいらはまだバスの中央部。バスは発車しようとしてる。仕方なく…

「中扉開けて!」と叫んで、中扉から降りた次第。


教訓:混んでるバスに短い距離乗らない。


で、帰りにもちょっとした事件が起こった。

暖房の効いたバスから降り、薄暗い道をてくてく歩いていた。1メートルくらい前には、同じくバスから降りてきた、中国人と思われる女性が先に歩いている。

そこに鳴ったはケータイ。かけてきたのは…この日記でもすっかりお馴染みバカ犬Taroの飼い主Kさん。まったく夜も遅くに何様だという抗議の意味も込めて(でも9割方冗談)、電話に出るなり、

"What do you want?"

と言ってみた。すると前を歩く女性が最低でも50センチ飛びあがった。…びっくりしちゃったのねん。そりゃ、暗い夜道で、突然後ろから"What do you want?"と叫ばれりゃフツーびびるわな。ごめん。


教訓:暗い夜道でケータイで突然叫ぶのはやめよう。


で、今朝。さらにおバカな事件発生。

おいらの隣りの席に座るうちのアホスーパーバイザー(このページが見つかったらおいらの命はないな)が席を外した。で、その隙に彼女の机の電話が鳴った。おいら、無視(どうせ私用電話だと思った)。数分後、また鳴る。無視

で、彼女が戻ってきた。で、電話に着信履歴があることに気がつく。

彼女:「Snigelさん、私の電話が鳴ったら取ってください!」
おいら:「ほーい、すいませーん」
(何の為の留守電やねん)

で、すぐにまた電話が鳴る。

彼女:「もしもしー」

で、彼女は何も言わずに電話を切ってしまう。

彼女:「間違い電話」

あ、そ。

数分後、またしつこく電話が鳴る。

彼女:「もしもし、あ…」
おいら:「どうしたの?」
彼女:「私、自分の電話あてに間違いファクスした


そう。彼女は、どこかにファクスを送ろうとして、よりによって自分の机の電話番号あてに間違いファクスを送っていたのだ。で、会社のファクスは5回まで自動で再送を試みる。てなわけで、次の一言。

彼女:「Snigel、ファクスの自動送信の解除の仕方知らない?」
おいら:「もう4回来たから、あと1回来て終わりだよ」


次の瞬間、彼女の机の電話が鳴った。合掌。

で、これ以上のアホタレがおいらの同僚にはいる。

これは約8ヵ月くらい前の話。おいらがファクスを送ってたら、おいらの同僚(日本人)が通りかかった。で、おいらがファクスを送ってるのを見て…

同僚:「え、ファクスって表面を上にして送るんじゃないの?」

そう、彼女は入社して数ヶ月、表裏を逆にして真っ白なファクスを先方に送り続けていたのだ。


教訓:会社のファクスはボロだが、それ以上に使う側に問題があった。


…こんなことを書くから、「アイルランドでの就職は簡単」なんて思われるんだろうな。あのー、念のため申し上げますが、おいらたちのアホさ加減は、例外中の例外です。誤解なきよう。


2001年07月17日(火) いい加減なのはアイルランド人だけじゃなかった

マジメに仕事をしているうちにお昼になってしまった。いかんいかんというわけで、日記の執筆をはじめました。
実は夏休みの旅行計画を立ててます。

一応10日ほど夏休みが取れたので(呑気ですいません…)彼女のMausi(仮名)と一緒にどこかのビーチにでも行こうと画策していたのです。

で、そんな計画が持ち上がったのが約一月前。彼女に「ラストミニッツ」の主催旅行(パッケージツアー=要は団体でどっかに行きどっかのホテルを取り、どこかのビーチでゆっくりするというツアー)に空きがないかどうか調べさせた。すると、「2週間くらい前にならないとラストミニッツは出ないわねえ」と言われたとのこと。

で、それから2週間後のきのう、同じ旅行代理店に行ってもらった。そこで言われたこと。

「もっと早く来ないと。もう遅いわ」

…いい加減なのはアイルランドに限った話ではないね。まったく。

で、仕方がないから、彼女のクルマで、どこかドイツ南部からオーストリア、ついでにチェコにでも行こうかと言う話になった。すごくいい話だが、一つだけ聞きたいことがある。

「誰が運転するねん」

Mausi、毎日片道25キロの道のりを30分くらいかけて通勤してるのだが、それにしては、(ここだけの話)トロいんだ。運転が。どうも、おいらの彼女になる奇特な人は、そろいも揃って運転がヘタ。こいつとオーストリアだかチェコまで行って果たして無事に帰れるんだろうか?何せ、あたしゃ車も持たないペーでパーなドライバーです。

★★★★★

メールのお返事が最近遅れ気味になってます。申し訳ありません。だいたい、各メール軽く流すことができずに、マジメに返事を書いてしまうのが問題と思われます。ただ、軽く流せない内容のメールも多いんですよね。で、メールなんですけれど、おいらに答えられることと、答えられないことってありますから、あまりできないことを要求してこないでくださいね。(注:別に変なメールを最近もらったとか言う話じゃありません。一般論として)あくまでこのページは匿名で成り立っているという面もあるのです。ただ、プライベートに関わってこない範囲で答えられることはお答えしたいと思っています。というわけで、皆様からのメールは、いつもいつも大歓迎です。メールをくださった皆様には、厚くお礼申し上げます。

メールの分類をすると、(1)感想を軽い気持ちで送ってくださる方また、アイルランドを愛してやまない方 (2)就職関連の質問 の二つにおおざっぱに大別することができます。で、(2)のアイルランドでの就職希望の方の多さには驚くばかりです。自分で言っては実もふたもないのですが、私のマイナー弱小ホームページに気がつかれる方なんてそんなに多くないだろうに、これだけ多くのメールを頂く。これは、「海外で就職したい」という方が本当に多いという事実。そして、日本の不景気の世相も反映し、かつ、海外で就職することが昔ほど夢のような話に聞こえてこない証拠なのかもしれません。で、「就職戦線異常アリ」の追記としてこれまで寄せられた質問に対するFAQでも作ろうかとも思っています。

ただ、一つ感じることは、私は本当に運がよかったということです。私が知る限りにも、結局夢が叶わず日本に帰ってしまった人もいらっしゃいます。私が知る範囲なんてほんのわずかです。私の知らないところで涙を飲んだ人も多いと思います。やはり、あまり軽く考えない方がいいと思います。もし、私のホームページを見て、「なんだ、こんなバカでもアイルランドで仕事ができるんだからおれにも簡単にできそうじゃん」なんて考えられる方がいないことを願っています。

何だかまとまらなくなりましたが、ドイツ語の講座が終わったら、この件に関しても考えるページを作りたいと思っています。気長にお待ちくださいませ。


2001年07月16日(月) リーマン杯座席争奪階段ダッシュ大会の思いで

会社の同僚であり、バカ犬Taroとマークちゃんの飼い主でもあるKさんから言われてしまった。「Snigelのきのうの日記つまんない!」

…忌憚なき意見ありがとうございます。が、さすがのおいらでも毎日A級のネタを提供しつづけることは不可能です。それに、毎日A級のネタばかりだと、この日記の信憑性から疑われ始めてしまう。…というわけでたまにはつまらない日記もあるということでご了承を。ちなみに今日の日記もつまらないです(をいをい)。

なかなか月曜日というのは起きれないです。今日も6時に目覚ましをセットしておいたのに、目が覚めたのはなぜか6時30分。それからシャワーを浴びて走って5分のうちの近所のバス停へ。6時50分発のバスにぎりぎりセーフ。朝から疲れた。で、昨日のうちに作っておいたお弁当(お弁当を作ることなど滅多にないのだが…)についでに彼女とのホットラインでもあるケータイを見事に忘れてしまった。…まったく急ぐとろくなことがない。

で、いつものバスに乗るといつものメンバー。午前7時前ともなると交通渋滞も始まっておらず、バスは来るべき時刻にちゃんと来る。で、待っているのも乗っているのもいつも同じメンバー。で、すれ違うトラックなんかも同じだったりする。

で、ふっと思い出した。昔、東京は八王子で学生なぞしてた頃、週に5回、横浜までバイトに行っていた。バイトといっても週5回1回の勤務時間は最低12時間という常識では考えられないもの。午前9時30分のその店の開店に間に合うためには午前8時2分の横浜線八王子発桜木町行きに乗らねばならなかった(もしかしたら大船行きだったような…)。

で、この電車、通勤ラッシュ時間ということもあって本当に混んでいる。で、座りたかったらホームの前方の方で10分以上前からならばないとダメ。で、12時間以上の立ち仕事で万年寝不足のおいらだから、この時間、意地でも寝ていかねばならない。ちなみに横浜線は乗りとおす奴が多いので、ここで席を取り損ねると、まず菊名まで座れない。という訳で、10分前からきちんと並ぶことが日課になっていた。

で、マニアック(ローカル)な話で申し訳ないのだが、横浜線の前から2両目はラッシュ対応の6ドア、イスなし車両。てなわけで、前から2両目に並んでも座れない。なのに、その前から2両目の最前列のドアに並ぶオヤジが居たのだ。その時おいらは最前列の車両の一番後ろのドアの列の一番前に並んでた。で、つま(はしっこ)の部分の席を狙ってたわけ。

で、ドアが開く、中から学生やリーマンがどどっと降りてくる。で、八王子の駅は後方にしか階段がないから、みんな車両の後ろの方のドアから降りようとする。で、おいらが降りる客が終わるのを待っているうちにそのオヤジ、2両目の最前列のドアから貫通路を乗り越えて、一番前の車両の貫通路脇の特等席を取りやがったのだ。

それからこのオヤジの行動を注目していると、どうも毎日そうやっているようだ。…頭に来たのもそうだが、それ以上に哀れになった。

で、実は、帰りの電車も騒動。帰りは東神奈川発の横浜線八王子行きを利用。で、横浜方面から来ると、次の電車はなぜか連絡階段を上った反対側のホームに止まっているのだ。で、おいらの乗っている京浜東北線が東神奈川に着く頃、階段を上がった反対側で待機している横浜線の車両の座席はあとわずか。という訳で、


…リーマン杯座席争奪階段ダッシュ大会
(入賞記念品:八王子までの安眠)


…が始まってしまうのでした。で、そのことをよく知るおいらは、京浜東北線の前から2両目の一番前のドアのところに横浜駅で一番最後に乗って、ベストポジションから、毎日このリーマン杯ダッシュ大会の先頭を切って走って反対側のホームへダッシュしていたのでした。

…なんだか情けない話。こんな生活が嫌になってアイルランドに来てしまいました。ま、来たら来たで、別の方面からのストレスにやられているわけですが、でもこんなバカなことをしてた頃よりかははるかにシアワセです。

PS 万が一いまだに「8時2分の貫通路ダッシュオヤジ」が横浜線に生息していたら、私の代わりに笑いながらおでこをひっぱたいてやってください。


2001年07月15日(日) 選挙の投票に行ってきました

一足早く参議院の選挙に行ってきました。

おいらが住んでいるのはダブリンの北側で、投票所となっている日本大使館は市南部のダブリン一の高級住宅街Ballsbridgeの外れ。と言う訳で、大使館に行くのには結構手間がかかる。

うちからシティセンターまではよかった。そこから7番のバスに乗って大使館まで行かねばならない。7番のターミナルはEden Quay(Quayは川岸のこと。ちなみにKeyと同じ発音)。そこでバスを待とうと思ったのだが、何か様子が変。よく見ると、小さな張り紙がある。

「7番のバスは7/15(日)よりXXX(マイナーな地名なので記憶になし)まで延伸されます。また、近日中にO’Connel Street発着になります。さらに、7B、7Dを7/16(月)より新設し、8番は廃止となります。(さらにだらだら説明が続く)」

なんだかよく分からない。待機中の運ちゃんに聞いて見ることにした。

おいら:「7番のターミナル、変わったみたいだけどどこになったか分かる?」
運転手:「えー、明日からでしょ?そこで待ってりゃあ来るよ。そのうち」


待つこと10分。やはり来ない。で、そこに偶然やってきた検札の兄ちゃんに聞いてみた。

「あ、7番は今日からO’Connel Street発着だよ」

…頼むからちゃんとわかりやすくそう書いといてくれ。

と言う訳で若干の時間を無駄にしながら大使館へ。日本大使館のロビーは10畳か12畳くらいのロビーがあり、そこにいつもはソファーなどが置いてあるのだが、そのスペースが日本の投票所のようになっている。どこから持ってきたのか、日本の投票所にあるようなついたてまである。

そこには暇そうな係りの男女2名。男の方はなぜか中学3年の数学の教科書を読んでいる。歴史の教科書というなら最近話題だし分かるのだが、なぜ数学?で、受付でパスポートと「在外選挙人証」を見せ、「投票用紙請求書」を記入。それを受付まで持って行って、今度は投票用紙をもらう。で、その投票用紙を記入場所まで持って行って、自分が投票したい候補者名を記入(今回は政党名ではなく個人名で投票しました)。で、それを封筒に入れ、さらにそれを名前の書いた封筒に入れ、それを別の封筒に入れ、提出。

…お役所仕事やなー。

で、「ご苦労様でした」と、ちびまるこちゃんの付箋紙の束をもらって終了。開票は2週間後。これだけ苦労したんだから、おいらが投票した候補者は、何としてでも当選して欲しいものです。(さすがに誰に投票したかはヒミツですが、その候補者が当選したかどうかくらいは2週間後に発表したいと思います)

で、そのあとシティセンターに戻り、靴を買い友人とパブに行き、帰ってきました。すいません、オチはないっす。


2001年07月14日(土) おいらの留学体験記(その3)

本日は2001年7月14日(土曜日)です。…たぶん。何だか自信がなくなってしまう。

なんなんだよこの寒さは!

何せ夕べの最低気温は7℃!!今日も最高気温はおそらく12℃といったところではないだろうか。念のために申し上げますが、アイルランドは北半球にあります。つまり、7月は夏真っ盛りでしかるべき時期です。な・の・に、この寒さ!究極に情けない話ですが、夕べは電気毛布のお世話になりました。今月末からのホリデーはどこか暖かいビーチにでも行きたいと思っています。

ところが、人は自分にないものを求めるようです。真夏の太陽がさんさんと輝くイタリア・スペインからは多数の観光客がアイルランドに大挙して避暑に来てます。その多くはイタリア・スペインの10代のお子様で建前上は「語学研修」。でも、その実態は10人以上の仲良しグループの修学旅行の自由時間と同じ。街を歩けば聞こえてくるのはイタリア語とスペイン語ばかり(あいつら声でかいからね)。

…とまあ、今ではとってもうざいだけになってしまったイタリア・スペインのお子様方。(注意:おいらはあのラテン系の明るさのノリは大好き。ただ単に、あのお子様がグループになってるのがうざいだけ)だけど、おいらには忘れられない思い出があるのです。

この話はこの前から書いている「おいらの留学体験記」の続きにもなります。

★ ★ ★

何だかんだでダブリン空港に着いたおいら。幸い、ホストファーザーが息子を連れて迎えに来てくれた。向こうはおいらの名前を書いた札を持ってくれていた訳じゃない。1996年当時はまだアジア人が珍しかったから、おいらを見たとたんに向こうは「あれがあいつだ」と思ったらしい。

そこからClontarfのホストファミリーの家まで車で約15分。とにかくオレンジ色の街灯のことを強く覚えている。で、ついてみると、ホストマザーがキスで迎えてくれる。これには驚いた。何せ始めた会った人にキスをするなんておいらの体験上なかったもんね。

その家は両親と9歳の息子と5歳の娘の4人暮らし。家はとてもきれいに片づけられており、幸せそうな暮らし向きだった。

まず問題になったのは、英語。わからない。いや、それは適当な表現じゃない。ある程度分かるのだが、話せないのだ。一生懸命日本のこととかを話そうとするが、自分が話したいことの10パーセントも伝えられない。

で、翌日、別の部屋にイタリアはミラノから学生がやってきた。イタリア南部の血が流れていると思われる、肌の色は濃く、真っ黒な髪をした16歳の女の子。背はあまり高くない。2週間の予定で英語を勉強しに来たんだそうな。彼女の名前は、本当に偶然なのだが、今のおいらのガールフレンドと同じ名前。

で、日曜日、考えてみたら信じられないくらい親切なホストファーザーが、車でおいらが乗るべきバス停、そして、降りるべき場所、さらには徒歩での学校の道順まで教えてくれた。彼女と一緒にダブリンの始めて見る町並みに目は釘付けになった。

で、翌月曜日。緊張の初登校日。バスに乗るのにはコインがいる。で、ホストファーザーが「アイリッシュのコインは持っているか?」と聞いてくる。おいらが鼻を膨らませてホストファーザーに見せたのは…イギリスのコイン。「それじゃあ、バスには乗れないよ」と彼は2ポンド貸してくれた。ご親切にも「運転手に、シティセンタープリーズと言うんだよ」とまでアドバイスされる。

そして彼女と一緒に8時前に家を出る。学校は9時開始。当時は交通渋滞もそんなに激しくなかったので、考えてみれば早く出過ぎた。で、彼女、乗るべきバス停を通り過ぎてしまう。おいら、「ここからバスに乗るんじゃないの」と言うが、なんだか要領を得ない。情けない話だが、独りで学校に行くよりは彼女のケツについて行った方がいいと思ったおいら、彼女の後ろ姿を追う。

で、彼女、通りを渡ってこともあろうに反対方向のバス停に。「???」と思っているうちにバスは来てしまった。彼女はすでにプリペイドカードを持っているらしくさっさと乗り込んでしまう。残されたおいらは、考えてみたらアホなくらい緊張しながら、

おいら:「シティセンタープリーズ」
運転手:「このバスはシティセンターには行かないよ。反対方向のバスに乗らないと」


…てなことを言ったんだと思う。なにせおいらは彼が何を言っているか全然わからない。仕方なく彼女に助けを求めようとするが、彼女はすでにバスの後ろの方に座ってしまっている。おいらがどうすることもできず立ちすくんでいると、運転手はつきあいきれんとばかりにバスを出してしまう。

シティセンター行きのバスとは反対方向のバスに乗った当然の帰結として、バスはシティセンターからだんだん離れていく。で、あとから分かったことだが、おいらが乗ったバスは29Aというバス。St Annes Estateの中を右に曲がり左に曲がり、おいらはほとんど投げやり状態。

で、バスはRaheny駅に着。彼女が降りたのでおいらも降りる。そう、おいらのダブリンバスデビューは、お見事なただ乗りだったのです。で、そこにはイタリア人のお子様グループ10人ばかしがいた。そう、彼らはRaheny駅で待ち合わせをして、一緒に学校に行こうとしてたわけ。

それにしてもばかな話。おいらたちのホストファミリーの家はシティセンターから5キロほどのところ。そこからわざわざ5キロほどさらにシティセンターから離れた駅からわざわざ電車に乗るのだ。あとから考えればばかばかしさここに極まれり…と言う話だが、何も知らないおいらはどうすることもできなかった。

で、DARTの改札で「シティセンタープリーズ」と言い、チケットをゲット。結局学校には定時に着きました。

はい、その後の話があるんですが、今日はこの辺で。


2001年07月13日(金) ホームレスに間違えられる

5/25の日記にも登場したバカ犬Taro。訳あって、再び一晩預かることになりました。訳と言うのは意外とバカな話なんです。

この犬の飼い主カップルのアパート、よくある話ながらペット禁止(このカップルのようにダンナが奥さんのペットになる例を除く)。で、この家の洗濯機が突然壊れて大家に電話。

彼女:「洗濯機壊れちゃったんですぅ」
大家:「じゃ、明日(月曜日)、人連れて直しに行くわ」
彼女:「えええええ?」


この国では、大家自ら家賃を回収しに来たり、大家が家にやってきたりと言うことはそんなに珍しくない。あと、ベッドや洗濯機は備え付けのことも多い。で、それらが壊れたら大家の責任。で、大家は「いなくても合鍵使ってはいるからいいよ」と言うものの、犬が見つかってはまずい。で、彼女は何とバカ犬をかくまうために、月曜日会社を休んだ

で、月曜日。大家は修理の技術者を連れて登場。彼女はバカ犬をベッドルームに隠し、こともなげに対応。ちなみに洗濯機は、線が1本はずれてただけ。

で、この彼女、大家にいらんことを言う。

彼女:「ガステーブルも壊れてるんですぅ」
大家:「じゃ、明日また来るわ」


…翌日、彼女の彼がバカ犬をかくまうためだけに会社を休んだ。

で、翌火曜日、大家が再び登場。

大家:「こりゃ、ガステーブル交換だね。金曜日また来るわ」

…もうこれ以上二人ともバカ犬のために会社を休むわけにはいかないと、おいらが一晩犬を預かることになった次第。

で、困ったことにはおいらは毎日ドイツ語のコースで忙しい。で、彼女の家まで犬を取りにいくことはおろか、彼女に家に来てもらうこともできない。仕方ないので、彼女の彼と町で待ち合わせをする。

そろそろ日も暮れた(夏はアイルランドの日は長い)午後10時20分。約束の場所のO'Connel Bridgeのすぐ近所のパブの前にいくとそこにはホームレスの男が…。道端に座り込んでうつむいて何かしている。

…よく見るとそれはマークちゃん(さっきから登場してる「彼女の彼」)だった。よくよく見れば、うつむいているのはケータイで話をしてるだけなんだけど、その風景は見事にはまっていて、おいらが待ち合わせをそこでしていなかったら、おいらは彼の存在にまず気がつかなかった。

で、彼と近所のパブへ。バカ犬同伴ではアイルランドのパブへは入れない(ペット後進国)。仕方ないので、いつも通り、リュックサックの中にバカ犬を押し込んでパブへ。

テーブルについた瞬間、バーマンがやってきた。注文を取ってもらおうと思ったら…

バーマン:「そのかばんの中見はなに?」

マークは、いたずらがばれた子供のようなつぶらな瞳でバーマンに犬を見せる。

…次の瞬間、おいらたちはパブの外にいた。

マークちゃんとつもる話はあるが、場所がない。仕方なく、場末のオフライセンス(酒屋)でビールを買い、いつもジャンキーやホームレスがたむろしている階段に座り込み酒盛りを始める。なぜかホームレスの方々は犬を連れていることが多いから…

通行人:「君たち泊まるとこがないのかい?寒くないかい?」

と聞かれる。…しかもわずか30分のうちに3回も。それ以外にも、アル中が、「たばこくれ」(注:マークはたばこを止めました)とやってきたり、ゲイの兄ちゃんが、「その犬600ポンドで売ってー」と言ってきたり、もうめちゃくちゃ。

で、疲れ果ててたおいらは11時のバスで自宅へ。自宅へ帰ると、おいらはとりあえず着替えに2階の自分の部屋へ。下で「クゥーン、クゥーン」と鳴いていたと思ったら、次の瞬間、バカ犬はおいらの足元にいた。そう、何時の間にか階段を駆け上がるようになったのだ。

…仕方ないので、ベッドで一緒に寝ました。体を摺り寄せてきてなかなかかわいい奴でした。

で翌朝(つまり今日ねん)いつも通り朝時においらは起きる。バカ犬がトイレに行きたいだろうと、下に降りて台所の中庭に続くドアーを開け放しておいた。ま、いくらなんでもそこまでバカじゃないだろうから、外でちゃんとするだろうと踏んでいたのだ。で、おいらはシャワーを浴びに風呂場へ。

シャワーから出てきたおいらのとこに、バカ犬は待ってましたとばかりにまとわりついてくる。なかなか情が湧いてくる。が、次の瞬間目に入ってきたもの…。

フラットメイト(夏休みで帰省中)の部屋の真ん中に特大のウOコ

…さすがにおいらの部屋でしたらぶん殴られるのは分かってたのねん。でも、下まで行くことは思いつかなかったのね。

…犬は飼い主に似るとは本当だった。
(ちゃんとしてるようでどこか抜けている)

その事後処理をし、朝食と水の世話をして、バカ犬を台所に閉じ込めて会社に来ました。さあ、台所がどうなっているやら。

業務連絡:マークちゃんは早く犬を引き取りに来てください。


2001年07月12日(木) ダブリンバス事件簿(その6)

会社内のごたごたに関しても書きたいことは山とあるのですが、今日は明るいネタで行きましょう。今日は、「ダブリンバス事件簿その6」を日記として先行発表したいと思ってます。

おいらがドイツ語を学んでいる学校はシティセンターから南へ約1キロほど行ったところ。で、おいらの家はシティセンターから北へ6キロほど行ったところ。シティセンターまで歩いてそこから北へ行くバスに乗ることもできるが、ドイツ語を勉強し終わってへとへとのおいらはそんな面倒なことはせずに、いつも、わずか1キロほどの距離ながら、10番のバスでシティセンターへ行き、そこからおいらの家へ向かうバスへ乗りかえる。

で、10番のバスは南のUCD(大学)からLeeson St.、St Stephens Green、シティセンター、Phibsboroを経てPhonix Parkへ至るという考えてみたら、ダブリンバス内でも有数のドル箱路線。日中は8分ごとに(建前上は)運行され、いつも混んでいる。

が、夜の10時頃となると、お客がぐっと少なくなることもあって、15分ごとの控えめな運行。で、いつもおいらの学校の前を10時5分から10分にかけてバスが通過するので、おいらはいつもこれを待っている。

きのうも10番のバスをぼーっと待っていた。10番のバスはバス停から100メートルくらい離れた交差点を左折してやってくる。ところが、一台のバスが右折で(つまり、交差点の逆方向から)やってきた。よく見れば、行き先方向幕も何も書いていないし、お客も誰も乗っていないので回送だろう。…と言うわけで手を挙げることなくバスを見送ろうと思ったら(注:ダブリンバスは乗りたかったら手を挙げる。そうしないと通過しちゃう)なんとそのバス、おいらの前で止まった。バスは空。

おいら:「このバス町に行くの?」
運転手:「いくよー、のりなー」


運転手、年の頃45−50くらいの小太りハゲで、どことなくアホの坂田と谷村新司を無理矢理合成したらこんな男になるだろうという感じ。行き先方向幕をPhonix Park行き10番にして、発車!

この男、おいらの100倍落ち着きがない。ドライバーズシートの隣りに座ったおいらに

坂田(運転手):「どっからきたの?」
おいら:「日本」
坂田:「どのくらい住んでるの?」
おいら:「3年」
坂田:「学生さん?仕事?」
おいら:「仕事」


とまあ、話しかけてくる。よく考えたら、世界中のどのバス会社も

「走行中は危険防止の為、運転手には話し掛けないこと」って注意書きがあると思う。運転手の方からくだらないことを話しかけてくるこのアホの坂田って一体…。で、話しかけてくるのはまだいいとしても、このアホの坂田、人の目を見ないと話ができないタイプらしく、前を1秒、おいらの顔を3秒のサイクルで交互に見てバスを運転させるのだ。

おいらは仕方ないから、ドライバーズシートの仕切りのところに片肘をかけ(関口宏がTBS系テレビ番組「クイズ100人に聞きました」で『大手町のサラリーマン100人に聞きました』ってやってた時のポーズ…ってもわかんないか)、運転手と話し始める。

おいら:「このバス変な方から来たけど、臨時か何か?」
坂田:「いやー、UCDまで行けなくて…」


をいをい、と言うことは、何だ?お前、休憩か何かを長く取りすぎて、ターミナルまで行かずに途中から運行を始めたということか?おまえ、おいらの乗ったバス停より手前で寒い中凍えて待っている客の立場はどうなるねん?

その後も、各バス停で客を数人づつ拾い上げながら話は続く。

坂田:「でへへ。こっちのナイトクラブについてどう思う?」

…をいをいをい、お前、猥談にニヤけた谷村新司みたいな顔してナイトクラブについて語り始めるな!

おいら:「どうしようもないね。(お前みたいなのがさかってるから行きたくもないわ)」(かっこ)内はもちろん心の中でしか言わなかった。

坂田:「そうだろう?でへへへへ。日本のはいいだろ?でさあ、日本のナイトクラブってさ、床が鏡になってるってほんとかい?」
おいら:「(んなこと知らんわと思いつつ)よく知ってるねー」
坂田:「でへへ、モノの本に書いてあってん


こんな話をしている間にも、運転手はおいらの顔ばかり見て前を見ず、バス停の客を見落としかけて、(バス停を通過した時点で急ブレーキをかけて止まった)そんなこんなでシティセンター着。

…なんだかな、と思いつつ、おいらはおいらの家の前へ行くのバス停へ(ここで話が終わらないとこがさすがはダブリン)。

バスはタイミングよくやってきた。再びおいらはドライバーズシートの隣りへ。バスが動き出したかと思ったところ6才くらいの子供が2階席から降りてきて、運転席へ。そして一言、

「パパー」

…なんで夜の10時過ぎにお前のガキを自分の仕事場に連れてきてるねん!ま、こいつはいい方で、一度、自分のガキを運転席に乗せて、ガキにドアの開閉をやらせていた、クレイマー・クレイマー真っ青の運転手も昔いたなー。

数分後、突然バスがバス停でも信号待ちでもないところで止まる。「なんだろう?」と思ってドライバーズシートを覗いてみると、

「ヘエロォー」

お前、勤務中にケータイで話すんじゃねえ!

…とってもダブリンを満喫できたバスでの通学光景でした。


2001年07月11日(水) 実質減給にへこむ

…らしくないことこの上ないですが、「がくっ」とへこんでおります。

うちの会社では年に一回給料の見直しというものがあるんです。労働組合なんてないですから、雇用側が提示した額を「ははー」っと謹んで受けるのが、我々リーマンの本分です。んで、今日、スーパーバイザーと面談の上、提示された給料を「ははー」っと受け入れました。

記憶力のいい読者様はご記憶かも知れませんですが、5/14の日記でサマーパーティーに出てきた安物のシャンペンにこの会社の将来を憂いたのが2ヵ月前の話。最近のイーコマース(電子商取引)をめぐる状況と言うのはなかなか厳しく、ま、あんまり期待しちゃあいけないかと思ってた。

が、おいらがこの会社に勤め始めたのは99年の6月。当然、2000年の7月に1度目の昇給があった。考えてみればあの頃はネットバブルがはじける前。昇給の率は13パーセント。しかも、夜勤で25パーセントのプレミアムなんぞついてたから、まあ、他のアイルランド人と比べても決して悪くない給料を得ていたのだ。

が、21世紀に入り、何だか会社は拡大しながらも、昔のような景気のいい話を聞かない。で、5月末日をもって、夜勤は終了。25パーセントのプレミアを失う。が、今月に昇給があるからと、一縷の望みを繋いでいたんですが…。

昇給率4パーセント。

「4パーセントも上がればいいじゃない!」などと言わないように。この恐るべきアイルランドバブル経済、「ダブリン家がない!」のコーナーでも詳述の通り、スーパーバブル、ハイパーどインフレの真っ只中なのだ。地価まで入れたインフレ率は、一説によると10パーセント以上なんだそうな。つまりは、インフレまで加味するとおいらの給料は6パーセントの減給ということになるわけねん。で、何度も書くけど25パーセントの夜勤のプレミアムもないから…。実質30パーセント以上の減給になってしまったわけです。

それからもう一つ。おいらの給料は日本人の同い年の同じような仕事をしている人間に比べておよそ半分か下手をするとそれ以下。こればっかりは仕方ないですがね。

すいません、愚痴ってる間に時間が来ちゃいました。あしたは何か楽しいことを書きたいと思ってます。たまにはおいらでもへこんでいる時があると言うことでご理解くださいませ。


2001年07月10日(火) 大使館から来た手紙

大使館から手紙が来ました。

第19回参議院通常選挙について

皆様にはますます日々ご清栄のこととお喜び申し上げます。
さて、第19回参議院議員通常選挙が、本邦においては来る7月29日に行われる予定となりました。(中略)万障お繰り合わせのうえ投票においで下さいますようご案内申し上げます。


てな文句で始まる手紙。ふむ、そういえばそんな頃だ。

で、投票時間などの案内のあと…

届け出た候補者(名簿登録者)または正当の政権等は、新聞、テレビ・ラジオの国際放送や政党の広報活動を通じて入手していただくことになります。

…まてまてまて、新聞?国際衛星版って確かアイルランドまで来てなかったんじゃ。

テレビ?ハワイじゃあるまいし、日本のテレビなど「風雲たけし城」くらいしかやってない(実話)。

ラジオ?やってんのかな?聞いたことなし。

政党の広報活動?小泉さんや神崎さん、あるいは鳩山さんがダブリンに来てくれたら、その努力を買って一票入れてもいいけど…来ないだろうなあ。

てなわけで、アイルランドにいてそのテの情報を手に入れるのはほとんど無理。よくは知らないけど、政党のホームページも公職選挙法かなんかの関連で告示以降は一時的に閉鎖しなくてはいけないのでは?(自信なし)

…というわけでいったい私は誰をどうやって選べばよいのだ?だいたい、支持政党があっても今回から、「非拘束名簿式」に変わるんだろ?どないせいゆーねん?

一応フォローを入れとくと、一応大使館に「政党名及び候補者リスト」を揃えるそうです。で、土日も受付をするそうですから、その努力を買って一応遠く離れた(片道1時間近くかかる)大使館まで、足を運びたいと思っています。

以上、考えてみると、えらくお堅い内容の日記でした。


2001年07月09日(月) 男のロマンを追う(恥ずかしいタイトルやなあ…)

さて、土曜日にUSITに行き、苦労の末(??)ドイツ行きのチケットを手にしたおいら。実は、これが一番安いチケットと言うわけではなかったのだ。フランクフルトに飛んで、ICE(ドイツの新幹線)でHanoverに向かった方が、時間は余計にかかるが、それでもいくらかは安くついた。それをしなかった理由はたった一つ。

男のロマン…なんだな。これが。

はいはいはい、何が男のロマンだって?おいらの友人に言わせりゃ、「宇宙戦艦ヤマトこそが男のロマン」だそうだが(若いおいらには「ヤマト」の記憶はほとんどない)、そんなことはまあいい。おいらにとって、ヒコーキに乗ることは男のロマンなのだ。…と言っても、機材とかに詳しい、いわゆるマニアとは違う。いろんな会社のサービスなどを見るのが好きなのだ。機内食を比較したり、いろいろ楽しむ。

で、私がいくらか余計にお金を出してでも得たかった「男のロマン」とは「シルバークラス」の夢なのだ。

国内線では全日空が参加している「スターアライアンスグループ」。(確か、ニュースステーションでコマーシャルをしてた)ルフトハンサやユナイテッド航空など世界の航空会社十数社の連合で、そこのフレクエントフライヤーズカード(マイレージカード)は参加各社のほぼどの便に乗ってもマイルが溜まる。カードは大人ならば誰にでもただでもらえる。飛ぶたびにマイレージが溜まり、一定のマイレージで無料航空券などがもらえるのはご存知の通り。

で、一年以内に25000マイル以上飛ぶと、「シルバークラス」、50000マイル以上飛ぶと「ゴールドクラス」にそれぞれアップグレードされる。アップグレードされると、ラウンジが使えたりとか、空席待ちの時に優先権をもらえたりとか、空港のチェックインの長い列をジャンプできたりとか、まあ要するに、お得意様特典をもらえるわけですわ。で、おいら、去年から今年にかけて、月に一度はドイツを始めどっかに行っていたので、気がつけば、8月までにもう一度どこかに飛べば、シルバークラス…という状況になっていたのだ。

考えてみたら、会社の金などでなく、自分の金で、年に25000マイル以上も飛ぶというのは尋常ではない。(だって、東京−大阪間、45往復相当でっせ)しかも、「スターアライアンス」のライバル「ワンワールド」のフレクエントフライヤーズカードも持っているのだから…自分でも呆れる。

で、「じゃあシルバークラスになるとどうなるねん」という質問が当然来ると思う。答え…

「ばっかだなー、それが男のロマンじゃあないか!」

…そう、知らないんです。ははは。ま、ダテや酔狂でシルバークラスなどを設けているわけではないでしょうから、なんかいいことあるでしょう。あ、スターアライアンスグループの空港カウンターにお勤めのあなた、最低の運賃クラスのチケットを持ちながらシルバークラスのカードを持っている挙動不審な奴がいたらそいつがおいらですので、どうか何も言わずにアップグレードしてやってください。

なお、シルバークラスになるのは9月の話ですので、その御威光は9月にレポートします。


2001年07月08日(日) Sie ist nicht hier!

北半球は今夏真っ盛り…のはずなのだが、アイルランドにいる限りそんな事実はすっかりと忘れてしまう。何せ、今日なんか同居人のドイツ人は暖房つけてたもんね(いくらなんでもそれほど寒くないだろうと思うのだが…)んで、曇天の空を見ながら家でおとなしくしてました。無駄金を使うことなく、部屋もきれいになり、まあ、いい一日だったと思う。

んで、今は午後10時。ビールを片手にこうして日記を書いてるのですが、実は1時間ほど前まで今日は日記をお休みしようかと思っていたのだ。何せ家から一歩も出なかったから特にネタがない。…が、ネタの神様はおいらを見放すことはなかったのです。その小さな事件は午後9時を少し回った頃起こった。

感心にもドイツ語をひとりで勉強していると電話が鳴る。普段家の電話は無視することが多いのだが(おいらに用事のある人はおいらが電話に出ないことを知ってるから、みんなケータイにかけてくる)今日はかかったくるあてがなかった訳ではないので、ついと電話に出てしまった。電話の向こうから聞こえてきたのは、冗談のような話ですが、ドイツ語!

人間というのはある意味感応性があるもので、おいらは小一時間ほどドイツ語を勉強していたおかげで、頭がドイツ語モードに入っていた。で、何とまあ、相手の言っていることが理解できるのだ。相手はどうも、ドイツ人の同居人に話しがしたいらしい。で、おいらは、「Sie ist nicht hier!」(彼女はいません)と言えたばかりか、相手の名前まで聞き出せた。ちなみに相手は同居人のドイツ人のお母さん。ちゃんとあいさつまでして電話を切った。

はっきり言って、英語で言えば中学校1年レベルのことを言っただけに過ぎないのだが、そんなことがとっさに言えたおいらは少し偉いと思った(天狗)

…ただお母さん、アイルランドに電話をかけてくるのにドイツ語で押し通すのはやめてください。

よく言われることだが、ドイツでは英語がよく通じる。これは真理。が、この真理には落とし穴がある。50代以上の人で英語を話せる人は実は結構少ない。理由は簡単で、彼らは英語での教育を受けてないのだ。何せ英語は第二次大戦での敵国の言葉。60年代くらいまでは英語の教育はあまり盛んでなかったそうな。(ドイツ在住の方、私のこの聞いた話が間違っているならそっと教えてやってください)

てなわけで、おいらの彼女の両親も英語を話さない。で、彼女に電話をかける時は、まずケータイに電話をして、在宅を確認してから、家にかける。なんでそんな面倒なことをするかというと、家へ電話をかけると1分20円程度なのに対し、ケータイへはその3倍程度かかるのだ。ところが、ここ数日は、変な自信をつけたおいら、「彼女の両親が出ても恐くない!」と、直接家に電話をかけている。実は実際彼女のお母さんが出たのだが、問題なし!

たかが1週間のドイツ語のコースで実力の伴わない自信をつけたおいら、こんな能天気な性格だからアイルランドでお気楽に暮らしていけるのかもしれない。


2001年07月07日(土) USITにて(その2)

おしらせ:タイトルが「USITにて(その2)になってますが、(その1)は4月の日記で全く別の話です。

街に行ってきた。ドイツ語のコースのおかげで毎日街を「通過」するのだが、今日は数時間滞在した。サマーセールが続き、かつ観光のシーズンということもあったか、曇天の空の下、街には信じられない人ごみ。街につくなり帰ろうかと本気で思った。

んで、今日街に行った目的は、USIT(学生旅行社)。例によって例のごとくドイツ行きのチケットを買ってきた。今回は今月の終わりから10日ほどの予定。ドイツ語のコースが終わった頃に合わせているので、ちょっと自分をドイツ語を試してこようなどと、自信過剰なことを考えている。

で、最近日本でも銀行などでよく見る順番待ちのチケット発給機。これがUSITにもあるのだが、チケットを取った瞬間おいらは絶句してしまった。

98人待ち。

をいをい、何時間待たないかんねん。土曜日で忙しいことは承知してたけど、まさか100人待ちとは…。ま、その場でずっとぼーっと待つほどおいらはヒマ人ではないので、そのまま買い物に出かける。…が、いかんせんものすごい人の数。靴を買おうと思ったArnott’s(デパート)はまるで三越のバーゲンのような混み方(言うまでもなく売っている商品は比較にならないくらいしょぼい)。何も買わずにそそくさ退散。

んで、結局買ったのはBoot’s(マツキヨをこぎれいにして値段がもう少し高いという感じの薬局)でとまらない鼻水対策の薬とスプレーだけ。何をしてんだか。

それからUSITに戻るも、まだすごい混みよう。見れば午後3時30分にして新規の順番待ちチケットの発給をやめてしまったらしい。新たに来た客には「この電話番号に電話して」とテレセールスの番号が書かれた紙を受付で渡しているが、普段でも15分待ちは当たり前のテレセールス。この状況下ならおそらく1時間待ってもつながらないだろう。

待つこと数十分。チケットを取った時点から計ると1時間30分後、おいらの順番がやってきた。

おいら:「忙しいみたいだねえ」
おねえさん:「もう死にそう!」

相手のカウンターの女性は小柄な人懐っこい笑顔を持ったあからさまにスペイン人のおねえさん。英語もなかなか訛りが強いが、同時に分かりやすい英語でもある。しかも、「もう死にそう!」なんていいながら、にこっと笑ってくれる。おお、日本のハンバーガー屋では無料ながら、アイルランドの店員に持ち合わせていない「笑顔」をこのおねえさんは持っているぞ。その笑顔が本当に素敵だった。その一点だけでおいらは彼女に超友好モードでいくことにする。

おいら:「とりあえずね、(カウンターに貼ってあった小さなカレンダーを見ながら)29日土曜日出発で、戻りが8/8火曜日。行き先はHanover」

彼女はおいらの言うことをメモ、ところが、HanoverをHANなどと書くので思わず言ってしまう。

おいら:「HanoverはHAじゃなくてHAだよ!」

何のことかわからない方。世界のどこの空港も「スリーレターコード」と呼ばれるものを持っている。たとえば、成田はNRT、関空はKIXという感じ。荷物のタグなどに必ず書いてあるので、よく行く空港のコードは覚えていた方が便利。インターネットでの航空券予約などの時に威力を発揮する。実際おいらはこれを知っていたおかげで、荷物が間違えてドバイ(よくは知らんが中東のどっかでしょ?)に送られるのを防いだ。(ダブリン)となるべきところが、(ドバイ)になっていたのだ。

おねえさん、目を丸くして、「あなたスリーレターコード知ってるの?」
おいら:「うちの住人ひとりはルフトハンサ、もうひとりはXX(エッセイ「世界一周」にも出てきたアメリカの航空会社)に勤めているしね。あと…」

ここから二人で仕事そっちのけで雑談開始。彼女はオーストラリアに行く途中東京に立ち寄ったことがあり、そのときに日本人の親切さと正直さに驚いたとか、航空業界の裏話とか。はっきり言って、パブで仲のいい友達と話しているような錯覚に陥った。おいらに彼女がいなかったら間違いなく飲みに誘った。大体彼女もさすがはラテン系、陽気でおおざっぱ。笑いながら、

おねえさん:「そんだけ知ってんなら、Hanoverにどこの航空会社が飛んでいるか分かるよね」
おいら:「一番安いのはBD(ブリティッシュミッドランド=イギリス第二位の航空会社)で可能性があるのはLH(ルフトハンサ)かな」

そんなことを客に聞く方も聞く方(自分が知識がないことを暴露しているようなもの)だが、笑顔で答える方も答える方。で、運賃が出てくる。…さすがははいシーズン、高い!

おいら:「高いねえ。ショルダーシーズン(繁忙期と閑散期の中間)なら200ポンドくらいで飛べるのに」
おねえさん:「エアフランスも調べようか?」
おいら:「いや、例えただでもエアフランスだけでは飛ばない(きっぱし)」

いつか書こう書こうと思っていつまで経っても書けないネタの一つに、エアフランスネタがある。この航空会社、飛ぶたびに不愉快な思いをしたり、ひどい目に遭ったりする。前回2月にパリに飛んだ時に本気で頭に来て、フレクエントフライヤーズカード(マイレージカード)にはさみを入れて叩きかえしたことがある。この話は長くなるのでまた今度。

で、おいらはこのひどい体験の話を始め、更に雑談は加速。

おねえさん:「私もエアフランス大嫌いなの!

この一言でおいらたちはカウンターごしにがっちり握手。もはや、客と店員の関係ではなくなっていた。その後、いろいろフランクフルトなどに行き先を変えるも、なかなか時刻が合って、安いというのがないので、結局最初のチケットに。

おいら:「いや、もうダブリンも3年目でね」
おねえさん:「あれ、学生証の学校名東京になってるけど











はい、私は正直に話しました。どうやって学生証を手に入れたか。ただ、さっきも言ったとおり、二人の関係はすでに「友人」で、おねえさんとその学生証入手の仕方を話しながら爆笑。ただ、おいら、上の発言は失言でもなんでもなくて、このおねえさんなら話しても大丈夫だろうという確信があったから言ったのだ。なお、学生証の手に入れ方はさすがにここでは書けません。ただ、「日本人は正直」というおねえさんの考え方は軌道修正させられたに違いない。

で、チケットを発行してもらいチケットを手に最終確認。

おねえさん:「じゃ、出発が29日で…」
おいら:「土曜日だよね」
おねえさん:「いや…日曜日
おいら:「え、ここのカレンダー、え?これ2000年のカレンダーやんけ!!!!」

そう、おいらが見たカウンターのカレンダー、何と2000年のだったんです。どういう旅行代理店やねん!…という訳で二人で爆笑しながらやり直し。USITを出た時に気がついたことは、カウンターで40分ほど過ごしていたという事実。ふつうなら15分もかからないだろうに。後ろで待ってた方、………すいませんでした。

追記
こんなメールが来ました。

>ところでUSITにて、その笑顔0円のおねえさん、HANがどこだか知っていたのかな?
>(おなじみ、もしもシリーズ)もしもそのちけっと、HAJじゃなくてHANだったら……まず、チケットが高くなり、飛行時間が10倍くらいになり、そして、Visaがないために強制送還されるでしょう。そう、そこはベトナムのハノイ(でも、マイルはたまる)。




2001年07月06日(金) ハッピーモード全開

今日は風邪もたぶん良くなり、おいらはハッピーモード全開です。それとこれとが関係あるかどうかは知りませんが、仕事に対するやる気は完全にゼロです。

誰にも聞かれていないけど、なぜおいらがハッピーモード全開かお話したいと思います。

まず、ドイツ語の授業、3日目にしてなんだか少し分かるようになってきたんです。未だにクラスの中で後ろの方にいるのは認めざるを得ませんが、それでも授業が楽しいと感じるようになってきました。で、自分のドイツ語が、少しずつ進化しているのが分かります。ちなみに、発音はひどいです。あんな、オヤジが痰を吐き出す時のような音(失礼)だせるかっつうの。

で、クラスの連中とも休み時間なんかを通じて仲良くなってきたんです。…驚くほどいいやつが多い。外国語を自分の金で学ぼうというやつだからか、外国人に対する変な偏見がないし、何より知識があるから話していて楽しい。

考えてみたら、一部のアイルランド人のおかげでかなり悪いアイルランド人の印象をおいらが持っていることは否定できないと思う。極端な話、道で罵声を投げてくるの一人のバカの存在は親切でやさしいアイルランド人100人以上のインパクトをおいらに与えるからね。バスの中での品のないガキの存在は、スーツを着て静かに本を読んでいる客100人以上のインパクトを与えるしね。そんな一部のばかどもがいなかったら、おいらはアイルランドにいつまでもすんでいいと思うかもしれない。

でも、今日会社で「クラスメートのアイルランド人はいい人だよ」という話をしたら、こんな否定的な答えが束になって返ってきた。

「それは、仕事上とか、金銭的な関係じゃあないからでしょ!」
「私が来た頃(2−3年前)はよかった。でも今は完全に変わってしまった」


うーん、アイルランド人に対するおいらの同僚の評価はどこまでも辛口のようです。ま、おいらもアイルランド人が、あるいはダブリンが変わっていくのを肌で感じます。

んで、きのう何よりも嬉しかったこと。

きのう、11時過ぎに疲れ果ててうちに帰ってきたら、おいらの部屋の前にやたらとカラフルな小さい箱が置いてある。しかもドイツの切手が貼ってある。あ、Mausi(おいらの彼女=仮名)だ。

開けてみると、いろいろ入ってたけどやはり一番嬉しかったのは手紙かな。手書きの手紙をもらったのは、彼女に限らず本当に久しぶり。インターネット全盛の世の中、たいがいのことは電子メールでことが済むし、済まなけりゃ電話をすればいい。実際彼女とのやり取りも数日前に紹介したケータイのメッセージと電話ばかりになっていた。

で、手紙を読んだ。はっきり言って大したことは書いてなかったけど、でも手書きの文字を追うだけでもおいらはとってもシアワセな気分になったのでした。

…昼ご飯を食べて、爆裂に眠くなって来ました。他に書きたいことがあったはずなのに思い出せない。…ま、いいや、思い出したらまた書きますわ。


2001年07月05日(木) 風邪がぶり返す

風邪が治りきらないうちにまた風邪を引いてしまいました。(「ぶり返した」と言う方が正確かな?)きのう夜中に悪寒で目が覚めて眠れなくなってしまった。風邪なんて、疲労と不摂生から来るもんなんだから、さっさと夕飯食って寝たいのだが、今日もドイツ語の学校。しかも日に日にハードになっていく。…というわけで、今日の日記はお休みです。すいません。


2001年07月04日(水) イタリア人に囲まれる

ダブリンは今日も雨です。きのうも雨。やはり雨が続くと気分が滅入ってきます。しかもドイツ語のコースのおかげで寝不足。今週末は本を枕に絶対なにもしないで過ごそうと思っています。

ドイツ語のコースですが、動詞をいくつか習いました。で、動詞、一人称・2人称・3人称でいちいち活用形が違うんです。単数複数でも。で、活用形が違うという説明もそうもみんな知っているらしくさらりと流されてしまいました。

もう一ついえば、日本人が不得手とすると思われる分野と、英語圏の人間が不得手とする分野って違うみたいなんですよね。なんだか、二日目にして落ちこぼれグループになりつつあるようか危機感を覚えます。がんばらないと。

で、夜の10時までしっかり勉強して、ほうほうの体で家に帰ろうとするわけですが、またこの時間バスが来ない。で、City Centreのバス停でバスを待っていると、何時の間にか30人以上のイタリア人に囲まれてしまった。

なぜかこの時期、イタリア人とスペイン人の12-18才くらいのガキどもが大挙してアイルランドに押しかけるのだ。聞いたところ、英語を勉強するのに今アイルランドが人気なんだそうな。で、引率教員付きで、20人とか50人とかの単位で大量に生徒を連れてやってくる。

で、彼らの行動の特徴として、なぜか一人では行動しない。最低5人、多くて20人くらいのグループで道いっぱいに広がりゆーっくりと歩いていくのだ。さながらミニSt. Patrics Dayのパレードの趣。で、大声でイタリア語かスペイン語を話すもんだから実に目立つ。

話がそれた。おいらがバス停に着くと、10人くらいのイタリア人のお子様がバス停でイタリア語でぎゃはぎゃは言いながら暴れている。「うっせーなー」とか思ってたら、バスが来ないこともあって、別のグループがやってきて、さらに別のグループが…。気がつけば、40人かそれ以上のイタリア人の子供においらは完全に囲まれていた。そいつらがまた、グループ同士で自己紹介を始めて、さらにマックの冷めた(と思われる)フライドポテトを交換し始めたりして、バス停付近はまさに収拾がつかない状態になってしまった。

で、30分近くたって(バスが1本来なかった)バスがようやくやってきた。乗ったらそこは小学校の遠足状態。運転手もいい加減くたびれた顔してた。

…イタリア人・スペイン人は好きだけど、この時期のお子様にだけは疲れる。


PS 今日はアメリカの独立記念日ということで、なぜか社員食堂に無料ポップコーンがあった。どーゆー会社やねん。


2001年07月03日(火) アル中と戦いつつドイツ語を習いに行く

昨日、仕事が終わるなり、勇んでドイツ語の初レッスンへ。先週の日記にも書いた通り、チャリンコで街にいくのは自殺行為なので、やむなくバスの1週間定期を買う。

市の北部、Fairviewを経由するバスの多くはO'Connel Streetから1本外れたなんとなく暗いイメージの裏通りに到着する。で、この日もその裏通りに着。ここには、”Dublin County Youth Information Centre”といういまいち何をしているんだかわからない薄暗く小汚い事務所があり、その外にはホームレス(というかアル中)が数人いつもたむろしている。

これ自体いつもの光景なので、おいらの視界にその連中は視界に入っていなかった。そして、いつもの通り通り過ぎるはずだった。ところが、そのうちの50くらいの男が、

“Small change!”

と言ってくる。おいら当然無視。どんな事情があろうと、町中で人にお金を分け与えたりはしない。で、そう言われること自体は珍しいことじゃない。ただ通り過ぎるだけ。ところが、次の瞬間、尋常でないことが起こったのだ。

…なんと、このオヤジ、通り過ぎようとするおいらを後ろから(そんなに強くないにせよ)掴んできたのだ!で、

“give me 10”(10ペンス=14円の意味なのかどうかはよくわからない)

ま、おいらもダブリン在住3年目、そんなことでは驚かない。それでも無視して通り過ぎようとする。すると、よくわからないし、わかりたくもないが、品のない言葉をおいらに投げてきたのだ。

おいらも怒らない。ただ、冷たく、でも大声で

“Shut up peasant”
(意味の分からない方は、恐れ入りますがご自分でお調べくださいませ。辞書に書いている意味以上に悪く響く言葉です。)

と言って歩き去る。後ろでなんだか言ってたが、幸いこのテの人間の言ってることはまず理解不能なので、さっぱりムシ(ただし、悪意は言語を超えるから、何かひどいことを言ってるのはわかる)。

そんな訳で、街にいくとたいがい一つはイヤなことが起こる。いいことと相殺できる日が多いから、何とかやっていけるのだけど。

で、「なんだかなー」と言わざるを得ない事態が続く。目的地の学校に殊勝にも一時間も早く到着。で、事務所に顔を出す。

おいら:「ちわー。今日からのコースに登録してたんですけど…」
事務員(多分アイルランド人):「そう、それで?

「それで」って何やねん?初日なんだしいろいろしなきゃいけないこともあるだろうが!!

おいら:「登録とかはしなくていいの?」
事務員:「お名前は?」
おいら:「…です。(一字一字スペルを言わねばならない)」
事務員:「あなた、授業料払ってませんね?」

お前ナメてんだろう?ちゃんと小切手を先週の半ばに郵送で送ったわい!

おいら:「先週送ったけど、着いてない?」
事務員:「着いてませんねえ」
おいら:「絶対に、着いてない?」
事務員:(机の上を調べ直して)「ないです」

…つまり、アイリッシュポストはおいらの小切手を迷子にしてくれたのねん…。アイリッシュポストのホームページには「アイルランドの都市間の郵便物の少なくとも90%以上は、翌日に到着しています」

ならば問う、アイリッシュポストよ。おいらの小切手はどこやねん?

とかなんとかやっているうちに、授業開始。ま、人数の多いこと多いこと。おいらが知る限り生徒の数が15人を超えることはまずないのに、そこには20人ほどの生徒が。

この生徒、そのほとんどはもちろんアイルランド人。ところが、オーストラリア人からスペイン人、変わったところではマレーシア人なんかも混ざっている。なかなか興味深い混ざり方だと思う。

で、注目の先生。ベルリン出身の60になろうかと思われるじいさん。教室に入るなり、

「(学校名)へようこそ!まずは、私の自己紹介から…」

と、とうとうとドイツ語で自己紹介を始める。なぜドイツ語が分かるのかって?理由は簡単で、先生が、一語一語それこそ噛んで砕くようにゆっくりと話してくれたから。しかも英語に似た、あるいは同じ言葉を気をつけて使ってくれた。それなら何とか分かろうと言うもの。

数分後、英語で、

“Do you understand my story??”

肯く生徒たち。次の一言においらはぶっ飛んだ。

「なんだ、ボクの言ったことが分かるなら、全然初級じゃあないじゃあないか!」

なんだかこの言葉に不吉な予感を感じたおいら。その後授業は、まさに基本中の基本の自己紹介。

“Guten Abend. My Name ist Snigel, und du?”
(意味は読んで字のごとし)

それが終わった時点で、30分の休憩。

この休憩の時に、先生は爆弾発言をする。

「あー、今日は、ビールがあるから飲んでいいよ」

をいをい!どこの学校が中休みにビールを生徒に提供するねん!(しかも無料で)

ま、無論、これは例外中の例外の話でして。何でも先週にMid Summer Party(強いて日本語に訳せば「夏至パーティ」になるのかな?)があって、その残りがタルで残っているそうな…。だとしても、恐るべしドイツ人。

で、休憩のあと、2時間目に突入。…と言ってもさっきと同じ先生。で、今度は、数の数え方。ここでおいらは再びショックを受ける。

…みんな既に数え方知ってるやんけ!!!!

ここは曲がりなりにもElementaryのコースのはず。チラシにも、「ドイツ語の経験のない方」と明記してた。なのに、生徒の多くはドイツ語にわずかながらも知識がある。おそらく、高校時代か何かに1-2年勉強してて、最近必要に迫られて(転勤とか)ドイツ語をやり直したくなった奴の集まりのようなのだ。自慢じゃないが、おいら、ドイツ語など、10語も知らない!

バスを乗り継いで帰宅した頃にはへとへと。今日は6時に起きなければならず、寝不足。今も何となくボーッとしてる。この後このコースはどうなるのか。この話は同時進行にて続く。


2001年07月02日(月) ♪あったまでかでーか

今日のダブリンは暑い。で、このぼろオフィス(築5年は経ってない)、エアコンが効かない。さらに状況を悪くすることには、おいらの机は窓から実に遠く、空気は流れず…Tシャツ一枚でもまだ暑い!ま、これくらいで暑いといってちゃ、日本にいる方に殴られかねませんが。

おいらの事務所の机には堂々と彼女とのツーショット写真なぞが貼ってあります。で、これを見るたびに思うんですが、おいらって頭がでかいわ (T_T) となりの彼女の顔の1.5倍はあるのではないだろうか。なぜだか、武田鉄也を思い出す。

なんだか、日本人というのは頭のでかい人種らしい。で、おいらはその日本人の中でもとりわけ頭がでかい。なにせ子供の頃、入る子供用の帽子が存在しなかったのだ(実話)

それは大人になっても変わらず、プリクラの写真を見ると、女の子の顔はきれいにフレームに収まってるのに、おいらの頭はフレームでちょん切られてたりする。頭はダイエットのしようがないっすからねえ。ま、「脳ミソが人よりたくさん入っているんだい」と、何の根拠もないことをほざきつつ、自分で自分を納得させるしかないのでした。ちゃんちゃん。

考えてみると、頭がでかいと、「8頭身」とかになりにくいですよね。ドラえもんだって、仮に頭が半分の大きさなら余裕で3頭身ですからね。だれか頭がでかくて得な話をご存知の方は、作者までメールをくださいませ。

では、ドイツ語コースに行ってきます。どんなとこだったかは、明日、レポします。




2001年07月01日(日) 誠実って死語なのかな?

今日もまた飲んできました。考えてみると、去年の6月に夜勤を始める前は、毎週末こんな風に飲み歩いていたっけ。5月の終わりに夜勤が終わり、再び以前の生活に戻りつつある。

今日はイギリスにすむ友人(アイルランド人)に会った。彼は髪の部分におでこが侵略しつつある30歳の男。よくしゃべり、話す内容は面白い。で、彼、先週婚約までしていたドイツ人の彼女と別れてしまったそうな。「お気の毒に」何て思ってはいけない。何せ、今度は元彼女とヨリを戻そうとしているのだ。で、昨日彼女と出かけ、結局よりは戻さないと決めたまでも、何やらやることだけはしてきたらしい。

…どうもこの辺の感覚についていけない。たった先週結婚まで考えていた女の子と別れ、その翌週には元彼女とヨリを戻そうとする。笑うかもしれないが、おいら、女性関係に関しては誠実な男なのだ。自分に彼女がいる限り、ほかの女の子と何かしたいとは思わない。一晩だけの関係を喜ぶ女の子をおいらは信じられない。…が、こんな風に考える男はどうも少数派のようだ。

ところで、前にも書いたとおり明日からにわか学生になります。しかし信じられない。自分でドイツ語のコースに通うようになるとは。告白をすると、おいら大学一年の時「第二外国語」としてドイツ語を履修した。ドイツ語に興味があったからではない。必修科目だったから。興味がなかったのみならず金曜の一時限めの授業だったから、教室の一番後ろの机ですやすや眠っていた。当然単位はC。その頃、自分がドイツ系の会社で働き、ドイツ人の彼女を持つなんて全く想像の外だった。…こんなことならまじめにドイツ語の授業を受けとけばよかった…というのはまさに後悔役に立たず。




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