今日も今日とて
INDEX過去未来


2009年11月23日(月) いなくなりかた

ワタシには母方の叔母にあたる人間が3人おります。それと叔父がひとり。
母は祖母が40を過ぎてからの末娘で、いちばん上の泰子叔母さんとは20以上年が離れてましてね。
身内自慢になりますが、この泰子おばさん、たいそう器量が良くて、地元の○○市では「○○小町」と呼ばれていたそうです。
確かに目がぱっちりとして、口も鼻も輪郭も申し分なく、品のあるきれいな顔立ちの人でした。
母方の家系の、少し大きめの前歯が、親しみやすい愛嬌を作ってましたが、この前歯さえ品が良かった。
ちなみにワタシの母は全然違う顔してますが。
おまけにこの叔母、非常に頭の良い人で、そちらでも評判でした。
今の時代ならば、もしかしたら何かの功を成し遂げていたかもしれません。
あるいはしていなかったかもしれません。
まあとにかく、年頃になった叔母は、生地から車で2時間ほどかかるところに、フツウにお嫁にいきました。
母が生まれたときには、叔母はもう家にはいなかったのです。

が。
姉妹とは不思議なもので、ワタシが物心ついた頃には、泰子叔母さんの家と我が家は、年に数回は行き来する間柄になってまして。
ワタシは特に、泰子叔母さんの夫である一男叔父さんのお気に入りで、とってもとってもかわいがってもらいました。
ワタシを溺愛する一男叔父さんに比べると、泰子叔母さんは「そつはないけど、べったりかわいがったりもしない」という感じで、ほかの叔父叔母よりもいくらか冷たい感じのする人でした。
それでもワタシはこの叔母夫婦が大好きで、小学校に上がったばかりの頃にひとりで電車に乗って遊びに行くくらいなついておりました。
両親に、最寄り駅から現地までの駅名を、順番に全部教えてもらい、それを覚えて(当時は覚えられたのねー)、どきどきワクワクしながら電車に乗って、覚えた駅名を通るたびにひとつひとつ確認しながら目的の駅に着き、迎えにきてくれた叔母夫婦を見つけてうれしくてぱたぱたと駆け寄って行ったことを覚えております。
車の中で、自分が通ってきた駅名を何度も何度も得意げに復唱し、「覚えられてえらいねえ」「ひとりで来られてえらいねえ」とほめられてまた復唱する、ということに、飽きもせずつきあってくれたふたりの笑顔も覚えております。

一男叔父さんは、ワタシが高校1年のときにガンで早くに亡くなってしまいまして。
それからも年に何回か、泰子叔母さんは電車で我が家にやってきては、母と父とお酒を飲みながらいろんな話を楽しそうにしておりました。
ワタシもその頃には大人の話もわかるようになっておりましたので、一緒にまざって、お酒のお裾分けを頂戴しながら、3人の話を聞いたり茶々を入れたりしておりました。
泰子叔母さんの話は、多分に皮肉めいているものが多かったのですが、それでも「人」というものについての洞察が深く鋭く、やはり皮肉屋の母との会話はワタシにはおもしろいものでした。
叔父が亡くなってからのほうが、泰子叔母さんとワタシの距離は近くなったような気がします。

そんな叔母も数年して、ガンに倒れましてね。
入院いたしまして。
おもな面倒は、叔母の息子のお嫁さんが見てくれていたのですが、母方は兄妹仲がよかったため、少し遠くはあったのですが、母をはじめ叔父叔母もちょくちょく見舞いや世話に行っておりました。
ワタシも二度、ひとりでお見舞いに行きました。
一度目のときは、ベッドから起きあがれないとはいえ、まだ叔母もしゃっきりしていて、たまに目を閉じて痛みに耐えているようなときもありましたが、いろんな話をしてくれました。
その中で

「じょーちゃん、尊厳死って言葉、知ってる?」と、叔母。
「ソンゲンシ?」 知らなかったワタシ。
「尊厳死協会というのがあってね」

ワタシのうろ覚えの遠い記憶では心許ないので、日本尊厳死協会から言葉をお借りしましょう。

                                 
尊厳死とは

 傷病により「不治かつ末期」になったときに、自分の意思で、死にゆく過程を引き延ばすだけに過ぎない延命措置をやめてもらい、人間としての尊厳を保ちながら死を迎えることです。



さらに「尊厳死の宣言書」というものがあります。


尊厳死の宣言書(全文)
(リビング・ウイル・Living Will)

 私は、私の傷病が不治であり、且つ死が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の医療に携わっている方々に次の要望を宣言致します。
 この宣言書は、私の精神が健全な状態にある時に書いたものであります。
 従って、私の精神が健全な状態にある時に私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。 
  
1.私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死期が迫って
いると診断された場合には徒に死期を引き延ばすための延命措置は
一切おことわりいたします。

2.但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施して下さい。
そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとして
も、一向にかまいません。

3.私が数ケ月以上に渉って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切
の生命維持装置を取りやめて下さい。
 
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします。



最後に日付とサインを書いて、できあがり。


叔母は、これを書いてある、とワタシに話しました。
「どこまで効力があるかわからないけど、さっちゃん(母です)たちにも話してあるから」と。

ワタシはこの時点で、生命維持医療のなんたるかや、尊厳死についてまったく無知だったので、叔母の話をふんふんと一生懸命聞き、なるほどねーと思ったものでしたが。
「できればモルヒネも使いたくない」と叔母は申しておりました。
自分で自分の考えが、はっきりとわからなくなるのはイヤだ、と。
私は私のままで死にたいと強い口調でワタシに話しました。

「死にたい」という言葉を肯定すると、叔母が近いうちに死んでしまうことを認めてしまうようで(実際死期は近かったのですが)、かといって否定すると叔母の意志を否定することになってしまうようで、ワタシは返事もできずに黙っておりました。

「おばさんの尊厳死を守るために、じょーちゃんも協力してね」

と言われ、やっと「うん」とうなずきまして。


2ヶ月ほどして、時間ができたのでまた叔母のお見舞いに行くことに。
「もうじょりぃさんのこともわからないかもしれないよ」と母に言われましたが、それでも出かけていきました。
あの叔母さんが、ワタシのことがわからなくなっているなんて、ちょっと想像つかないしー、と思いながら。

行ってみましたら、叔母は眠っておりました。
専属の介護のかたがついていてくださり、姪であると自己紹介をしたところ

「モルヒネ打ってるから、しばらく眠っているでしょうし、起きても朦朧とされているかも・・・」

と教えてくださいまして。

「モルヒネ、打ったんですか?」とワタシ。
「ええ、痛みがひどくて」
「本人の希望でですか?」
「希望というか・・・納得はされてました」

そうか。
叔母さんが負けるんじゃ、ガンて、痛いんだろうな。

「立派なかたですねぇ」

50歳前後に見えるその介護のかたは、若造かつ初対面のワタシなんぞに対して、叔母のことをそのようにおっしゃってくださいましてね。

「立派・・・ですけど・・・お世話が大変なのではないですか」 立派すぎて。プライドも気位も高いし。
「いえいえ。いろんなこと教えていただきましたよ」

立派なのはあなた様でございましょう。
やさしい人ではありますが、こだわりの多い人でありますし、そこに加えて病人です。
気むずかしいに違いない。

介護のかたが「洗濯してきますね」と席を外し、叔母とふたりになったワタシは、することもなく、少しだけ状態を起こした姿勢で寝ている叔母の顔を見ておりました。

「叔母さん、じょーだよ。お見舞いに来たよー」

話しかけてみたりして。
当然、返事はなし。

叔母の出した句集を声に出して読んでみたり、近況報告をぼそぼそしてみたり、持ってきた本を黙読してみたりして、小一時間過ごしまして。
そろそろ帰るかなーと思ったときに、叔母がうっすらと目を開けましてね。
ぼんやりした瞳で、ワタシを見ました。

「じょーだよ。お見舞いに来たよ」

笑いながら話しかけてみました。 「具合どう?」と。

ぼんやりしたままワタシの顔を数秒見つめて、また眠ってしまいました。
たぶん、ワタシだってことはわかってなかった。

そのまましばらく叔母を眺めていましたら、介護のかたが戻ってきまして。

「モルヒネが効いているときは痛みはないんですか?」とワタシ。
「そううかがってますよ」
「効いていないときは痛いんでしょうね」
「見ている方がつらいほどです」



ほどなくして、叔母は亡くなりました。

叔父と、特に叔母の残した言葉や考え方は、ワタシの中でとても大きくてですね。
今でも「お墓参りにでも行こうかな」というときは、まずまっさきにこのふたりのお墓に足を向けます。
両親にも誰にも話せないことも、亡くなった人への気軽さで、ずいぶんと墓前でぶつぶつとつぶやき、話を聞いてもらっております。

そして叔母のおかげでというかせいでというか、ワタシは「人が死ぬ」というときに、その死や死に向かう人への尊厳について、考えずにはいられないようになったのであります。

母が妹にかまけてばかりでワタシが家族の中で透明人間になっていたときに、母親のように慕っていた、なっちゃんの母上様がガンで入院したとき、ワタシにできることならなんでもしてさしあげたい、と切望していたのですが、なっちゃん母がワタシに唯一望んだことは
「弱り切った姿を見られたくないから、お見舞いにはこないでほしい」
というものでした。
以前どこかにも書きましたが、ワタシがなっちゃん母を見た最後の姿は、一時退院して、なっちゃん母がなっちゃんの家に遊びに来ていたときでした。
きれいにお化粧して、しゃっきりしていて、相変わらずの笑顔で、

「じょりぃちゃんはえらいねえ。ひとりでがんばって。ホントにすごいよね」

と褒めてくださり。
そして、別れ際に

「これからも、なつをよろしく頼むね」

と、ワタシの目をしっかり見て、話すというより、お願いされました。
ワタシのほうが日々なっちゃんに助けられているというのに。

なっちゃん母の、顔色の良い笑顔に励まされたワタシは、なっちゃんに
「あの調子なら元気になりそうじゃん! きっと元気になるよ!」
とはしゃいで伝えましたが、なっちゃんはちょっと笑って「だといいんだけどね」と答えただけでした。

しかしなっちゃん母はそれからすぐにまた入院し、ワタシはガンにも効くという健康食品を買い込んで「これなら水に溶かせば口に入れられると思うんだ」と、なっちゃんに押しつけましたら

「じょりぃちゃん、気持ちはうれしいけど、
 おかあさん、もうそういう段階じゃないんだ。 でもありがとう」

と、気丈ななっちゃんの笑顔とともに返されまして。
それからあまり日を置かずに、なっちゃん母は亡くなられてしまいました。

あれからもう10年が経ちますが、ワタシの記憶に残っているなっちゃん母の姿は、きれいにお化粧した、顔色の良い笑顔です。
その顔を思い出すたび、泰子叔母さんから学んだ、その人ごとの、その人の死の尊厳というものも思い出します。


さて。
重たい話で恐縮なんですが。
おまけにここまで、前フリなんです。なっげーーー。

この日曜・月曜と、ワタシは遠出して遊びに行っていたのですが。
日曜日に楽しく過ごした翌朝、きょんからメールが来ました。

「おはよう。体調どう?
 今日は何時頃帰る予定? 新幹線の切符は買ってあるの?」 と。


めずらしいなー、ここまで細かく、遊びにでているワタシの予定を気にするとは。
と思いつつ、ちょっといやな予感もしておりました。

体調はいいよ。
今日の予定はまだ決まっていないよ。
でもなるべく早く帰ろうと思っているよ。
念のため、夕飯は先に食べるつもりでいてください、と返事をしまして。


なるべく早く帰ろうと思っているのには理由があったのですが。
しかし、返ってきたきょんのメールによると、ちょっと間に合わなかったようでした。


「そうか。

 遠くにいるし、せっかく楽しんでいるんだろうから、
 帰ってくるまで知らせないほうがいいかと思ったんだけど。
 昨日の夜、お父さん亡くなったんだ」



もったいぶるわけではないのですが、長くなってしまったので次回に続きます。




2009年11月08日(日) 桃色日曜日

本日、都内へ出掛けて行ったじょりぃだったんですが。
まあ、なんていいますか、きょんがいてナナにもしつこくしている身でありながら、桃色回線もういっちょ追加ー、みたいなですね、
そーゆー相手にですね、会いにですね。
なんかですね、ルックスはなんと蒼井優に似ててっていうか、もしかしたら蒼井優よりかわいいかもっていう、
そーゆーかわゆい女子がですね、ワタシなんかのことをですね、  もごもご。 てれてれ。

その優ちゃんが、「じょりぃに会えなくてさびしい。今度の日曜、デートしてよ」ってスネスネすんすんするもんですから。
お仕事忙しかったんですが、鼻の下をだらんと伸ばして出掛けていったわけですよ。

で、日中、めくるめいた時間を過ごし、後ろ髪引かれる思いで「じゃあ、またね」なんて別れましてね。
優ちゃんは「帰っちゃうのー?呪うー」とか言ってたんですが、ワタシ無理して出掛けてきてますからね。仕事がワタシを待っているわけですよ。
帰ったら仕事しなきゃならないわ、優ちゃんからは呪われちゃうわで、まいっちゃうなこりゃなんてでれでれしつつ、しかたなく帰った。

帰りの電車に乗ってたら、バッグがぶぶぶぶ震えているので、なんだろなと思ったら、優ちゃんから電話の着信だったんですね。
見れば3分前にも電話してくれていたようで。

これは申し訳ないことをした!
と思ったものの、電車の中で電話するのははばかられますから、ちまちまメールを打ちましてね。

「今、電車だから話せないんだよね。どうしたの?」 とな。 やさしーくな。

すぐに返信が来まして、「やっぱり一緒に夕ご飯食べたい。ダメ?」ですって。


(*´∀`*)でれーーん


急いで引き返しましてね。
一緒にごはん食べまして。
もういっそ泊まっちゃおうかなとか思ったんですが、明日は月曜日。
仕事もあるし、きょんにも泊まりって言ってないですし。
泣く泣く帰ってきました。

帰ってはきましたが、やっぱり桃色な日曜日はしあわせなものでございます。
あー、のろけたのろけた自慢した( ^ ∀ ^ )



( ^ ∀ ^ ) ・・・・。




-----ここまでは、じょりぃの脳内妄想による吹き替えでお送りしました。
ここから、吹き替えナシでお送りいたします----------



本日、都内へ出掛けて行ったじょりぃだったんですが。
まあ、なんていいますか、浮き世の義理?
知り合いが講習会やることになりましてね。
この知り合いがですね、志村けん扮する「へんなおじさん」にそっくりな男性なんですけどね。
なんか、見るだけで笑えるんですけども。指毛とかもすごいですし。長くて多い。

その男性が、「参加者がいないとさびしいから、よかったら来てよ。有料だけど」ということでですね。
お仕事忙しかったんですが、その人には日頃からお世話になっておりますし、今後のことも考えてそろばん弾いたりしてですね。
目の下のクマをだらんと伸ばして出掛けていったわけですよ。事前に1万円振り込んで。

で、日中、講習会に参加して過ごしましてね。
ワタシも含めて4人しか参加者がいなかったので、まあ、行ってさしあげてよかったな、って思ったんですが。
実際、講習会自体は非常に勉強になりましたし。
へんなおじさんと少し雑談でもして点数稼いで帰ろうかと思ってたら、「じゃあまたね」なんてあっさり帰されちゃいましてね。
へんなおじさん相手に、なんだかさびしい思いを抱いちゃったりして。くすん。

帰りの電車に乗っていたら、バッグがぶぶぶぶ震えているので、なんだろなと思ったら、きょんから電話の着信だったんですね。
見れば3分前にも電話してくれていたようで。

電話に出ないと怒られてしまうかも!
と思ったものの、電車の中で電話をするのははばかられますから、ちまちまメールを打ちましてね。

「今、電車だから話せないんだよね。どうしたの?」 とな。 なげやりにな。

すぐに返信が来まして、
「今日あたし実家に寄ってごはんも食べてきちゃうので、ひとりで食べてください」

あっ そ。

で、その地元への帰りの電車がですね。
今日、東京で何があったのか不明なんですが、車内はジジババ 失礼 比較的高齢者ばかりでしてね。
なんかね。イカ臭いの。
なんでみんな、示し合わせたようにサキイカ食ってんの?
くちゃくちゃいう音とともに、大音響のおばさまたちの話し声。
いや、話し声は我慢する。
おじさん!おばさん!
イカはやめてイカは!

で、地元の駅に着いて、セブンイレブンでお弁当買って、家でひとりで食べました。
クジ引いたらファンタのメロンソーダ味が当たったので、きょんにあげました。

セブンのお弁当食べながら、「こんな日だったらよかったなぁ(*´∀`*)」と、アルコールがわりにむなしく妄想していたのが、冒頭のしょーもないたわごとでございます。




これ今、上の妄想と下の現実読み返していたら、頭の中で再生がごっちゃになっちゃいましてね。
なんか大変なことに。

大変な状態を再生↓


本日、都内へ出掛けて行ったじょりぃだったんですが。
まあ、なんていいますか、きょんがいてナナにもしつこくしている身でありながら、桃色回線もういっちょ追加ー、みたいなですね、
そーゆー相手にですね、会いにですね。
なんかですね、ルックスはなんと、志村けん扮する「へんなおじさん」に似ててっていうか、もしかしたらへんなおじさんより変かもっていう、
そーゆー指毛の長い女子がですね、ワタシなんかのことをですね、  もごもご。 てれてれ。

その「志村けん子」が、「じょりぃに会えなくてさびしい。今度の日曜、デートしてよ。有料だけど」ってスネスネすんすんするもんですから。
お仕事忙しかったんですが、目の下のクマをだらんと伸ばして出掛けていったわけですよ。事前に1万円振り込んで。

で、日中、めくるめいたというか、なんか志村けん子の顔を見るたびに腹筋がひくひくするような時間を過ごし、
指毛を引き抜くような思いで「じゃあ、またね」なんて別れましてね。
けん子は「帰っちゃうのー?呪うー」とか言ってたんですが、あはははと笑いながら、こっそり指で呪い返しの儀式をささっと済ませちゃったりしてですね。マジ怖えぇし。けん子の呪い。

帰りの電車に乗ってたら、バッグがぶぶぶぶ震えているので、なんだろなと思ったら、そのけん子から電話の着信だったんですね。
見れば3分前にも電話してくれていたようで。

電話に出ないと怒られてしまうかも!
と思ったものの、電車の中で電話をするのははばかられますから、ちまちまメールを打ちましてね。

「今、電車だから話せないんだよね。どうしたの?」 とな。 なげやりにな。

すぐに返信が来まして、「やっぱり一緒に夕ご飯食べたい。ダメ?」ですって。

あっ そ。 (終了)

で、その地元への帰りの電車がですね。
今日、東京で何があったのか不明なんですが、車内はジジババ 失礼 比較的高齢者ばかりでしてね。
なんかね。桃色なの。
なんでみんな、示し合わせたように桃色めいてんの?
おじさん!おばさん!
のろけも自慢もやめて!

で、地元の駅に着いて、セブンイレブンでお弁当買って、家でふたりで食べました。


ふたり?


けん子がついてきてました。どうしよう。





・・・・・・・・・さて、 と。



仕事するかな( ´_ゝ`)ショーモナ






じょりぃ |HomePage