へい太の日記

2004年12月26日(日) オン アイス

目を奪われるとはこのことだった
女の子を担ぎ上げて滑る男性の逞しさを見ていれば
着ぐるみを着たスケーターがこちらに手を振っている
空にはいつの間にか魔法の絨毯が用意され
王子様の隣で腰をくねらせ
魔法の絨毯に乗り込む君
その姿を見て声を上げ声援を送っていたのは
隣の暗がりの中で様子を見ていた仲間だった
出番が来た彼女たちが去った後に
座っていたのは
インカムを着けメモをつけてる大柄な女

厚い氷の上で滑る彼女たちは
華やかに見えて動かされている駒に過ぎないのか
いつでもすげ替えることのできる
そんな中 仲間内で子ども向けに出しては成らぬセクシーさに
歓声を上げる
もしかすると足下の氷は思ったより薄いのかもしれない



2004年12月18日(土) 2005災

1.17
ひとつになったばっかりの娘に覆い被さり
タンスよ 倒れてくれるな 揺れよ 早く収まれと念じた朝から
10年が経つ 娘は今年6年生に進級する

3.20
地下鉄で化学兵器がまかれて10年が過ぎた 
事件の一人に自分の同級生の親友がいたこと
彼のために署名活動が展開されたことを後で知る
暗闇の中に迷い込むことはなかったけれど
同じ闇をのぞいていたのだと思うと
続く事件がなんであるかがわかる

5.29
O157で二人の幼い命を失ってから9年が過ぎた
病院のベッドで死の淵をのぞき込み
生きていて良かったねと語りながら卒業していった子らは
高校生になっている

8.15
向きの変え方を知らずに 明治から80年足らずの終止符だった
敗戦とも言えずに 振りかざした旗と忠誠の歌はそのままにしてる心の闇を見た
60年のスライドの 終戦が誕生17年前で 倍の43年を過ごしてきたから
小さい頃に比べるとずいぶん戦争に近づいた
バブルでまた終戦を迎えて いまだ戦後は終わらず

9.11
煙を上げるビルの映像をぼんやり眺めながら
現実も心も掴みかねていた
ニューヨークへ安否を尋ねるメールを打ち 連絡を待つ
ウェブカメラを通したビルの谷間に煙る鉄骨を見て
悲しみは殺意で汚され もはやLove&Peaceとも叫べず
4年が過ぎた

10.23
打ち合わせの後のラーメン屋で静かにニュースは流れていた
1ヶ月後に開かれた新潟県中越地震朗読チャリティー
1年経ってもまだ色褪せることなく輝いている

11月
二階で音楽会に向けて音源をいじっている最中に知らせは届いた
行く手も退路も炎に包みこんで消えていったのは
はるかに才能に恵まれた人だった
あれから9年
自らの命を絶って逝く人は日に80人を超えている

12.08
釈迦が悟りを開いてから2500年
ジョン・レノンが亡くなってから25年
戦いはいつも神の名のもとに開かれるけれど
愛と平和の使者はまだ見守ってくれているだろうか

12.24
サンタが今年もプレゼントを届けにやってくる
災いが届けられたところにも
早く幸せの贈り物が届きますよう



2004年12月06日(月) 2005

1.17
1歳になったばかりの娘に覆い被さりながら
タンスに倒れるなと願い 揺れよ早く収まれと念じた朝から10年

3.20
地下鉄に化学兵器がまかれてから10年

5.29
O157が発生して9年
8.15
自分が生まれる17年前
生まれてから43年
合わせて60年になる
明治の体制になってから80年足らずでぽしゃった新生ジャパンは
その45年後またもやバブルではじける
そこからまた15年がたった

8.29
炎の向こうに消えてしまった彼女
あれからもう18年
あのころからすれば年間の死者数はずいぶん減っているけれど
それでも毎年7000人以上が死んでいる交通事故

11
炎の向こうに消えてしまった彼女
あれから9年
年間の自殺者は3万人を超えたまま

12.08
ジョンレノンが亡くなってから25年
愛と平和を叫びながら


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