ぶらい回顧録

2004年08月08日(日) バイシクル・ライダー

夏休みまっさかりの息子と公園に行くことにする。彼の小さい自転車も一緒に玄関に出す。えっちらおっちら。

先日、自転車の片側に残っていた最後の補助輪を外した。今日は2度目の「補助輪なし」に挑戦。

1回目。外したその日に家の前の道で試してみた。もちろんすぐにうまく行く筈もない。いつもある補助輪がそこにない、いつも普通に頼りにしている支えが消えている、息子は戸惑うばかり。何度繰り返してみても同じこと、うまくはいかない、少しはうまくいくような気配すら見えない。やっぱりむずかしい、簡単には行かない、おまけに暑い。だが、何度目かに自転車を押してやる手を離したあるとき、すーっとバランスをとって自力で前に進んでいった。

不思議な光景。今まで補助輪をがたがた、がちゃがちゃ、ごうごういわせながら無骨に進むしかなかった「彼と自転車」に、ほんの一瞬だけ羽が生えたみたいだった。

生け垣に激突した彼のところに慌てて走っていく。だいじょうぶ?顔が上気していた。「なにいまのー!」

今日はこのあいだの「なにいまのー!」をもうちょっと確かなものにすることだけ考えよう、「ほんの一瞬」が「もう一瞬」になりさえすればそれでいい、焦る必要はない。

自転車を買ったのは彼が3歳のとき。ペダルを漕ぐのもおぼつかなく、しょっちゅう自転車から転がり落ちていた彼が、ふたつの補助輪を頼りに、それなりに乗れるようになったのが1年後。そのときのなんとも嬉しそうな顔はよく覚えている。ここ数年は補助輪をひとつにして乗っている。サドルの高さはずいぶん上がった。

いま、同世代の子、もしかしたら彼より歳下かもしれない子が街中で、補助輪なしの自転車にすいすい乗っているのをたまに見かける。焦ることはない。彼自身がまるで焦ってないのだから。

彼は、マイペースだ。いつも自分の好きなことを自分の好きなペースでやっている。うまくいくこともあるし、うまくいかないこともある。口を出さずに、ただ見ていてあげるのは本当にむずかしい。何度も過剰に、ときには苛立ちながら口を出してしまう。口を出すことで、できなかったことができるようになったことはある。口を出してみたら彼を混乱の渦に陥れてしまっただけだったこともある。ここは口を出したほうがいい場面なのだろうか、それとも好きなようにやらせたほうがいいのか、いつも迷っている。ひとつ確かなこと、彼は自分のペースをとても大切にする、ということ。それは大事にしてあげよう、と思う。

公園に向かう道。不安そうに「覚えてるかなー」、彼が言っているのはこのあいだの「なにいまのー!」のことだ。だいじょうぶだよ、自転車の乗り方って、一度体で覚えたことは忘れないんだよ、「そう?」そうだよ。

今日は絶対に焦らないでおこう、苛立つのも怒るのもやめよう、彼が楽しく練習できるようにしてあげよう、今日できないことでもいつかはできるようになる、と彼が信じられるようにしてあげよう、また練習しよう、と思えるようにしてあげよう、彼を信じよう。

家から公園に向かう途中、車も人もめったに通らない道に来た。アスファルトで運転しやすそうだ、ちょっと乗ってみる?「うん」

少し押して、すぐに手を離す。その瞬間は本当にあっけないほど突然だった。目の前を彼がペダルをこぎながらどんどん進んでいく、バランスもきちんと取れている。彼はいま、ちゃんと自転車を運転している、当たり前のように自転車を漕いでいる。うわあ、うわあ。

しばらく進んで、転びもせず足をついて止まった彼に、走って追い付く、すごい!すごい!興奮する僕を彼が満面の笑みと真ん丸な目で見上げる。「なにいまのー!!」

公園ではもうなにも手伝うことはない。ベンチに座って、生まれてはじめてびゅんびゅん自転車を乗り回すことに興奮している彼を眺めるだけだ。ときおり拍手をすると、嬉しそうにこちらを見る。その得意げな顔は、はじめて補助輪つきを乗りこなせるようになったときに見せた顔とまったく同じだ。

これが、彼のペースなんだな。

2004年8月8日、覚えておこうな。よかったね。がんばったね。


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