ぶらい回顧録

2003年11月15日(土) グリーンデイルの物語 そして錆は眠らない

ニール・ヤングとクレイジー・ホースの武道館公演を見ました。観客の大多数は男性、しかも平均年齢はかなり高め。58歳になったばかりのニールと同世代とおぼしき人もちらほら。よって開演前の男性トイレは長蛇の列、女性トイレはがらがら。珍しい風景でした。

席はアリーナ前方ややナナメというなかなかに嬉しい位置。隣に座る友人にチケットの感謝をしつつ開演時間を待つ。

ニールと暴れ馬達の現在のツアーは、最新アルバム「グリーンデイル」の全曲をステージ上で再現する第一部、そして日によってセットの違うヒットパレードの第二部、という構成です。「生きる爆音伝説」ニール登場への期待ではちきれそうな観客をクールダウンさせるように、まだ明るい武道館にビーチ・ボーイズのカラオケアルバム「スタック・オー・トラックス」がなんだかオマヌケに流れます。

サーフィン・ミュージックがあまりにそぐわない場内が突如暗転、大歓声が飛び交う中、キャップを深く被り"GREENDALE"とプリントされたハイスクールTシャツに長袖シャツを腕まくりではおったニールが登場しました。なんだか凄い存在感。マイクに向かい「ドモアリガト」と一言。レスポールを手に取りいよいよ演奏がはじまる。

アルバム「グリーンデイル」は、アメリカ郊外にある人口2万だか2万5千だかの架空の街"GREENDALE"に住むグリーン一家についてのストーリーを語った(いわゆる)コンセプトアルバム。ステージにはグリーン家のポーチ、居間、グリーンデイルの街がセットやフィルムで表現され、役者が歌詞の内容に合わせて演技する、というロックコンサートとしてはかなり風変わりな趣向となっています。

このコンサートがミュージカルと違うのは、役者は歌わず喋らず口を動かすだけ、セリフはすべてニールの歌う歌詞だという点です。ニールとクレージーホースの面々は同じステージにいる役者のことは一切意に介さずただ黙々と演奏します。そのシンプルで骨太なリズムと、見事なセットチェンジや生き生きとした動きで鮮やかに描かれる「グリーンデイル」の街と人、そしてストーリーが進むにつれ次々と起こる衝撃的な出来事、それらの対比がなんとも不思議な魅力を醸し出していて、バンドからも役者からも一瞬も目が離せません。

開演前、その場にいた多くの観客同様、私も第二部を心待ちにしていました。アルバム「グリーンデイル」を聴いてはいたものの、音よりは歌詞に重きを置いてストーリーを語る手法、魅力的ではあるがストーリーを読み取るにはいささかシンプル過ぎるバンドサウンド、そして私の貧しい語学力のせいで、それほどのめりこめていなかったのです。歌詞対訳の助けを借りても、私にはまだ「グリーンデイル」の街が立体的に見えていませんでした。

それがこの日、目の前で再現された「グリーンデイル」にいつのまにか完全に引き込まれていました。ニールが語りたかった、アメリカの小都市、そこに住む家族とその歴史、変容、60年代、ヴェトナム、サマー・オブ・ラヴ、高揚と絶望、理想と欺瞞、ディラン、レノン、成長、闘争、政治、セプテンバー・イレヴン、環境、そういったもろもろが、彼が「アメリカ」という国に対して持つ深い愛着と激しい憤りとともに「モロに」言葉の壁を超え伝わってくる。

そこで彼がスポットを当てているのは、アメリカの本当に「市井の」人達であり、彼らの愛、怒り、悲しみ、喜びに対するニールのシンパシーの表明には感動するほかありません。

第一部の最後に演奏された"Be the rain"では、出演者が全員舞台に出て踊りまくっていましたが、そんな大団円のなか登場した馬鹿でかい星条旗と日の丸の旗は、二重にも三重にもニール・ヤングというアーティストの持つ真摯さ(そして複雑さ)を表しているような気がしました。

いまこの時代にこんなコンセプト、こんな表現がここまで有効であり得るなんて驚きだし、それを実現してみせたニールの手腕とアーティストとしての「現役性」に脱帽です。素晴らしい第一部でした。

そして第二部は…。「まったくもうこのオヤジ達はよう」という感じ。いやあ、すげえすげえ。

スクリーンに"RUST NEVER SLEEPS"の文字。私がニール・ヤングにハマるきっかけとなったアルバムタイトル。そして"Hey Hey, My My(Into the black)"がはじまりギアは一気にトップへ。暴れ馬が暴走列車に変態していき爆音渦巻く中、ロック史上燦然と輝く(または泥まみれの)フレーズ「錆びてしまうより燃え尽きたい」を、本人の口から生で聴くのは、なんとも超一級の体験だったな。

それにしてもまったくこのオヤジ達はよう。遠慮などという言葉は彼らにはない。音圧がスゴ過ぎて、もはやひとつひとつのノートが聴き取れない。いや、聴き取れなくはないんだけどひとつひとつのノートに、もはやあまり意味はない。

衝動と本能だけに突き動かさているようなニールのギターソロはなんともカタルシス。はおったシャツの片袖を脱ぎ、それをダランと引き摺って、ガニ股で体全体をうねらせながら客席など見ずクレイジーホースのメンバーに向かってケンカを売っているようにフレーズの固まりを叩きつける。もちろん暴れ馬連中もニールを叩きのめそうと容赦なく襲いかかる。エンディングもエンディングとしての体を成してない。どんな曲を演奏していてもエンディングはそれ自体独立した「エンディング」というひとつの曲のよう。長い。くどさ100倍。

クレイジーホースがどんなヤツラか、映像で知ってたつもりだったけど、生で観たらこりゃひどい、いや、すごいや。

いやあ、すげえすげえ、と白痴のように繰り返しながら友人と武道館の外に出るとなんと耳鳴りが止まない。こちとら爆音聴いて1年や2年の若造じゃねえってのに、まったくあのオヤジ連中にはやられた。やられました。

御歳58歳のニール・ヤングは、今でも「錆びるより燃え尽きたほうがいい」というフレーズが似合う、そして同時に「錆は決してその動きを止めない」とも言い続けることのできる、現役爆音ヤロウだと確認した武道館の夜でした。

Happy Birthday, Neil.


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