ということで通夜・告別式でした。 その中から他愛ないことだけを幾つか書いておきます。 ここに書けないことは稲葉のプライベート日記帳にでも。
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今回、稲葉がずっと疑問に思っていたことが解消されました。 式から帰ると家に入る前にお清めの塩をふるじゃないですか。 基本的に仏式の葬儀でも最後には塩が出てくる。 でも「穢れを祓う」とか「清める」ってのは神道の発想じゃないのかなあ、と疑問だったんです。 それが今回やっとはっきり。 やっぱり塩をふるあの行為、仏教的立場からは何の意味も無いとのこと。 ちょっとすっきり。
もともと塩をふるの、稲葉はあんまり好きじゃなかったんです。 お清めってのは分かる。 でも自分の身体に付いてきた故人の気配・雰囲気を振り落とすみたいで嫌でした。 あまり親しくなかった人の式なら良いんですが、例えば今回のおばあちゃんのように好きだった人の場合だと塩ふってまでその人の気配を落としたくない。 どうせ服を変えたりお風呂入ったりすりゃ、気配は落ちちゃうんだからさ。 塩使って強引に落とさなくてもよいじゃない。
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今回の葬儀社さんはとても親切でした。 直接交渉に当たったのは伯父上(喪主)や稲葉の父親なんですが、隣で見ていてもとても好感の持てる仕事振りでした。
通夜の前に親族でおばあちゃんに死装束を着せました。 時代劇に出てくる旅人みたいな格好の略式版です。 死装束には独特の作法みたいなのがあって、葬儀屋さんは丁寧にその話をしてくれました。
さて、丁寧な葬儀屋さんの中に1人新人さんがいました。 たぶんこの春から始めて、今回もまだ始めて接することが多いんでしょう。 慣れていないんだけど、姿勢はとても真面目だから頑張れって思う。
ベテラン葬儀屋さんが死装束や死の旅路のお話をゆっくり話してくれている間、新人の彼はベテランさんの後ろで泣いていました。 葬儀屋さんが泣いてるのって初めて見ました。 良い人なんだろうなあ。 でも葬儀屋さんが泣いてちゃダメよ。
死装束の着せ方とか粗相があっちゃいけないし、多少の好奇心も手伝って親族は比較的落ち着いて話を聞いていました。 だからあの瞬間、彼は親族の誰よりも心から悲しんでいたと思うのです。 その構図がちょっと面白かったっす。
それにしても死装束、着る本人は寝たままだし着せるほうも慣れないことが多いし。 着心地悪いだろうなあ。 なんて思ったら自分もムズムズしてきました。
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式の最中にかかっていた曲は『アヴェ・マリア』。 焼き場で待機している時も、式が終わって膳をつついている時も頭の中になんとなく流れていました。 そういえば『アヴェ・マリア』は稲葉の手元には無かったっけ。 MDに入れようか。
さて式も終わったから、明日もまたお仕事です。 変わらぬ生活をちゃんと送るのが、おばあちゃんに対する最後の供養だったりします。
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