古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2007年05月18日(金) ちゃらちゃらしてさえいなければ正統派になれるかな?

自撮り写真で決め顔をつくることがはずかしいことではなくなり、10代のメイクも普通になってきたこの時代。
極論をいえば、戦時中非常時にくらべれば日本人全員十分ちゃらちゃらしていることにもなるんじゃないかと思いますが、それは極論かもしれないな。
でも、この極論をいいかえると、ちゃらちゃらしているのは世の中が平和だという印のひとつではないかと思います。

たとえばクラシックの一流かつ正統派がどんなイメージかというと。
これは私の、独断ですが、

・ 古典を中心としたプログラムのチケットがすぐに完売する。
・ ジャケ写、アー写がモノクロームである(そうでもないか?笑)
・ TVにでるとき、トークの相手は壇ふみさんみたいな人。
・ 流行のラインというよりはインターナショナルな舞台でうけいれられ、理解される服装を選ぶ。(安易にまねをすると時代性にとぼしく、野暮ったくなる恐れあり)。
・ サービスプログラム系はやらない

この、ステレオタイプをひっくりかえすと意外性にもなるけど芸術家ではなくタレント(ちゃらちゃらしている)なんじゃないかというケチをつける人もいるんだなあ。

でもね・・ちゃらちゃらしてさえいなければ、その音楽家が芸術家であるとは直結してはいいきれないのも皮肉な事実だと思います。
衣装が黒白、あるいはタキシード、『流行感のまったくない黒ドレス』をきるだけでクラシックの正統派にみえるんだったら手段としては楽ですよね。
スタイルがよくないと、一般的な感覚として見栄えあまりよくないと思ってる私は変?
黒は最高礼装にあたるわけで礼節の表現にもなるし、なによりぴしっとひきしまって格調もあるから大好きだけど、顔色悪くてソロのときとか(笑)あんまり黒尽くめにしたくないなと思うときもあります。

ある程度の人数がいるものだと、全員黒でびしっとしているのは壮観ですよね!

でもそれだって一種のコスプレで、本来音楽の演奏、耳の世界だけで
『これぞクラシック』
と思わせるのが本当のクラシックプレイヤーなのだとしたら、黒コスプレにも頼らないでやってみたらいいのにと思う。

誰もが自分の方法を正統と思いたいものだけれど、人間が服をきている限り毎日がコスプレとかかわりをもつものなんです。
『私は、そういうちゃらちゃらしたもので売りません。分類すれば正統はだから』というのもコスプレのひとつ。音楽のクオリティがそれで上下左右されるわけではないはずなのです。

どれを選択しても、その視覚イメージを利用・借用していることに変わりはないのです。
そして、選択するプログラムもあくまでもスタイルであって、『正統派ちっくなプログラムやってれば誰でも正統派になれる』ほど、クラシックは甘くないと思います。

ちゃらちゃらしていなくても 下手なやつは下手だ
と思う....



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