| 2007年04月04日(水) |
鬱病というファッション。 |
季節の変わり目とか、日照時間が短いときなんかだと自然の摂理で体調もくずしやすいし、気分もふさぎやすいものです。
しか〜し、『自分には鬱のケがあって』『鬱になやまされて』と自称する人がとても増えていることを実感するこのごろ。 癒し、という言葉が不必要なまでに氾濫していらい、なぜ人は自分の健康に対する自信をここまで危うくしておきたがるのだろうと疑問に思います。
かばわれたい願望なのだろうか・・? デリケートさのアピールに聞こえてしまう事がある。 精神医学の時間に学びましたが、だってほんとの鬱病ってシンプルな落ち込みレベルじゃすまされないのです。私はもちろん経験してないです。
へんにためこんで大事になるよりは、デリケートさをアピールするぐらいの積極的な自己開示をする方がむしろ事件をよぼうできるのかもしれないので、あながち悪い事でもないでしょうけど。
『鬱なんです』と、自発的に自分を説明できるその姿勢、けっして自閉的な鬱ではなく開示的である。あえていえば、この自己開示性は躁状態(ハイテンション、ハイポジティブ、ハイアピール)に近い状態にうつります。 内容がどうであれ自己開示に変わりはありません。 鬱病は、躁とセットでわずらうものだからこそやっかいなものなのです。 また、鬱は躁とセットであることがほとんどですので、『鬱なんです』というなら、『今は躁なんです』というのもぜひ自称していただきたい。 もととはセットでひとつの病気なのに、なんで『鬱』の方だけ切り抜かれてはやっちゃうんだろうな〜。 躁なんですっていうと、あんまりかっこつかないからかな。 私はたまに根拠がないのにかってに妄想してわくわくうかれてることがある(かっこわり〜)ので、逆に『躁』状態かなと自分が心配になることがあります(笑)。
鬱病の特徴は、普通1日の体内時計が25時間なんだけど、75時間サイクルになることからはじまることがおおい。 つまり、三日間わざといっさい眠らないとか、三日間わざと明るい場所に絶対いかないようにしてひきこもってカーテンしめてたりすれば、いかに普段の健康を誇る人でも誰でもその予兆を味わうことができるのです(笑)。
・・・試す必要はないですよね。。 本当に鬱病に悩む人、その家族までもがどれだけ大変な思いをして、必死な努力をして社会復帰にむかって尽力されているかも見聞きしてきた自分は、簡単に鬱という言葉を使いたくありません。
今日は、風邪の薬をもらいに病院にいってきたんだけど、なんとあらかじめ電話で再三確認したのに担当の先生が休診だという!! ハラが立つ。 でも、ハラをたてると風邪の直りが悪くなるような気がしたので、ばかばかしいからすぐにおだやかになってみた。 あんまりおこると病気のもとになるからね〜♪
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