最近、よく『キャパシティ』について考えてます(考えるといっても寝る前ちょっとだけなんですけど)。
キャパシティのなかでしか、おさまらないことしかやらないと、成長もできないかもししれないし、つまらない人になるのかもしれない。
でも、自分の責任をもてるキャパシティを見極めずにあれこれ展開すると、迷惑もかけるし、自分も十分に練りあがったいい状態ではないから、深い愉しみはえられないんじゃないかなと。 たれながしと見切り発車の荒技の連続が次第とあたりまえになってしまい、それが自分の可能性を逆に閉じ込めている事にも気づけなかったりするんじゃないかと。 というか、自分に今までそういう時期がたくさんあったんだなって、今さらながらどしんと感じたというか思い出したと言うか。 なんて暗い生活をしていたんだろう・・・。 そんなつもりはなかったけど、そうだったんだな、はたからもそう見えていただろうな、と思い出す時期がたくさんある。 だって、自分で扉閉めちゃってるんだから、その扉の向こうに楽園があるとも気づけないでしょ。 『あ〜、いそがしいし、めんどくさいし、ていうか忘れてましたあ』 みたいなね、それじゃかわりばえしなくてあたりまえだよね。 ぬかるみロードにはまるわけですよ。 自分で自分の畑を踏み荒らしていると、うまく実らないので、ろくなものが食べれないから、なおさらすさんでしまい、畑をたがやす気もなくなって、そうするといっそうあれていくみたいな・・・。 うう〜書いてるだけでも寒気がしますが、そういう自分もたくさんいた。と、認めます。今はそんなに暗くもないし、状況がどうであっても、自分が自分に後悔しないように、力をつくすことが心から楽しい。
もっと楽しくやるために、必要な地道なまじめさ、おおらかさ、気づかい、客観性、そういったものをもっと身につけないと、何をどれだけやっても成長できないんだなってほんとに思います。 ノルマをこなしてお金をもらうだけなら、別に、音楽じゃなくてもいいと思うんです。
『ここまでが必要最低限』とおもっている範囲をもっと深く。適確に。 だらだらのんびり時間だけかけてりゃいいもんでもないけど、うかつに『効率よくこなす』ことを求めると一番ソンをするのは自分ですよね。
音楽がそんなに簡単に手にはいるものだったら、逆に続けて来れなかったと思う。 これからも、いろいろ勘違いしたり、間違えたりするんだろうけど、やれるだけのことはやったと思えたら、たぶん私は幸せだと思う。 このイチネン、いや半年、もしくはこの3ヶ月だけでもいろんなことがありましたが、すべてが今私が大事にしなければいけないことはなになのか、それを教えてくれるヒントのような気がしました。
考えてばかりいても、すすまないので、『すかさずさらう』『すかさず連絡』『すかさず行動』をモットーにばしっと決めていきたいです。 ナチュラルな状態は世界一ぼんやりしてるので・・・世界一すかさずやるぐらいでいないと、間に合わないの。要領わるいし、容量せまいからさ!! ま、最近その自覚が行動に移せるようになりつつある感じです。
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