古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2006年03月29日(水) 気高き夢のため..

春は出会いの季節であるとともに、移動や引っ越しなども多く、ついでに携帯番号かえたりアドレス変更のお知らせとかもすごく多いですね。変更の登録をさっさとやらないとわけわかんなくなるのでがんばってます。
卒業してみたり入学してみたり、はじめてみたりやめてみたり、みなさんもそれぞれの転機をむかえてらっしゃる季節ではないかと思います。
ずっと札幌にすむ私ですので、自分から離れることはないけど、誰かかれかの引っ越しとかの話しを聞いて遠くなることなどを聞くと、なんだかさみしくなります。

毎日あっているわけでもないのに、ふしぎですね。。

思い出してみると、自分はさみしがりなんだなと思います。
なんか、いつでもどこでも、やはり知り合うすべての人と小学校みたいに毎日そこにいけばかならず一緒ってのはありえないことなので、『どうして、一緒にいられないのかなあ』って思ってしまうんです。
あの、別に特別好きとかそういう人じゃなくても、『どうして明日は別々なのかなあ』って考えてしまうくせがあり、『それが大人になるってことなのかな』って思うけど、なんかさみしいなあと。

だからこそ、そばにいる時にそばにいる人を、目の前にいるときに目の前にいる人を精一杯好きになりたいし、大切にしたい。
しかしそれもなかなか実行できてもおらず、つくづく弱輩者だと思う今日この頃。。

でも、最近ひらめいて実行してることがあって、寝る前になるべくたくさんの人を思い出すことにしてるんです。
そのひ1日に話した人の数とかは限られてるけど、なるべくずーーっと前のこととかもできるだけ思い出してみて、さみしくなるのも覚悟の上で思い出してみるんですよ。ほとんどの人と、今はなかなか御会いできていませんから、さみしくなるんですよ。さみしがりだから。
でも、さみしいのをがまんして思い出していたりすると、ふしぎなんだけど、よくわかんないんだけど、『であってよかったな。』と思ったりし始める。
と、『もう少し本気だしてがんばってみよう。』みたいな気持ちになってくるのです。

私の好きな言葉に、
『愛さずに失うよりも、愛して失った方がよい』という言葉があります。
20才の時に知った言葉です。
今でもその言葉が好きですが、当時より多少長生きしてみて思っているのは、逆説的ですが、
『自分が捨てたり、忘れたりしなければ、失われる愛は存在しない』ということです。
対象は人に限らないんだけど、一度好きになったらずっと好き、それでいいと思うしそれが私らしいと思うのです。
自分ひとりで自分を成立させてきたわけではない、ということを忘れずに、新年度への生活の準備を整えたいと思います。
といっても、とまってる時計に電池いれておくとか、こわれてるのを修理するとかそういうちっちゃいことできりきり舞いなんですけどね。
いろんなことを、ちゃんとやりたいです。
今までであってきたすべての人に感謝します。





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