古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2003年09月11日(木) ただいま

ただいま〜。今日は岩見沢でコンサートでした。

終電で帰宅しまして、率直な感想をのべさせていただきます。
実は今、酔っぱらってるんですけどね。

いつも思います。自分を守っちゃいけないと。
そもそも大したものじゃない自分を、よく見せようだなんて
おこがましい。個人の芸術性を訴えるまえにまずよろこんで
いただかないと、よばれた意味がない。
捨て身の演奏はともすれば、プロとしての客観性がないと
判断されるおそれも十分にありますが、一生懸命ふかないと
心がとどかないと思うんですよ。

うまいと思われようだなんて、百年はやい。ばかだと思われても
いい、私はけちけちしたフキ方はしたくないのです。次の仕事を
とるために吹きたくない、やる気がないんじゃなくて、私は
いつも正直に本気で演奏したいんです。
まっすぐにむかっていけば嫌われることもあるし、うっとうし
がられることもある。でも、自分を隠したら、ひきょうだとも
思います。死ぬ程恥ずかしくても、まず自分が先に脱いで裸に
ならないと。それで、「なんか違うんですけど」って言われても
しかたがない。ある意味、却下される恐れを十分に感じながらも
私達は先に、自分の思っていることを音楽にのせてつたえるしか
ないんです。
一方的な表現だと、自分勝手だとおもうひともいるかもしれない。
でも、それでも、私は、自分がふきたいように吹くのではなくて、
自分が「こういう音楽をききたいのだ」という気持ちで吹くわけ
です。吹いているようにみえて「きいている」のです。
きかせたいのではなくて、ききたいのです。だから一生懸命
吹くんです。一生懸命音楽をもとめるんです。

いつも心にありったけのロマンと情熱を秘めていたい。
もちろん繊細さも忘れずに、もちろんこびてエレガントじゃなく
なることも気をつけながらですけど。
まっすぐにむかっていくために、どれだけの痛みを感じるか。
まっすぐであるために、どれだけの屈折を感じるか。
まっすぐであることは、単に自分に素直だから気分がいいだな
んて単純なものじゃない。蹴られても踏まれても、やぶられても、
信じるためにものすごく柔軟な感覚を身につけないといけない。

私は、太陽の光りのようだと思います。「直射日光」という言葉
があるとおり、それはまっすぐなんだけれども、どんな形のもの
もつつみこんで無条件にてらす。眠たい朝はそれがうっとうしい。
それでも照らす。
そこにかけひきはないのです。
まあそもそもばかに生まれついているので、計算できないんです
よね。
箱にしまわれてばかりの宝石のように、誰もその輝きに気がつか
ないこともある。でも、輝いていたい。輝こうとしていたい。
なぜなら、暗闇にいる自分はいつも明るい光を求めているから。
太陽にはなれないけれど、私はそれに無性にあこがれるわけです。

私がであった憧れのトランペット奏者の音は、やわらかいけど
いつもまっすぐだった。深みがあるけど明るかった。
私はそういう音をききたいから、不器用でもそう吹きたいと
切にねがう。

...しかし、今日はもう眠いので、このまま興奮して夜更かしなど
せずさっさと寝ます。寝ないと明日がないからね。



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