くく、八十一。と思って目覚めてしまった今日の朝。 (ほんとにそう思ったの) 最近妙についているので、今日こそみはなされるかと 思ったけど案外よかった。なんでだろ〜??
おたより運ってのがあるんだとしたら最近それも好調。 (ちなみに先月はあらゆる意味でおたより運は最低だった のだ〜) おたより運というのは「手紙や連絡」をさします。 今月にはいってから、すごく懐かしい人や、大切な人から 手紙やメール、ファックスなどをたくさんいただいている。 9月前半は特に、朝から晩までまで毎日で払っております のでまともにお返事かけておりませんが、かならず書きます から、おまちくださいね。 いいお知らせが多いのでなんだかハッピーです。私も、なにか いいお知らせできればいいんですけど、「おまけ運がいいんだ よね」とか書くのってありなのか? 予想外な人からばかりですので、「おまけ運」その他 好調な私はまた、なにか神様が「いいことをした私」に 御褒美をくださっているのではないかと調子のいいこと を考えてます。でも別にいいことした覚えない...(笑)。
それで思いました。いいことをしたわけでもないのに、 運がよい時期ってのがあるんだとしたら、運の悪い時期も すべて自分がなにか悪いことをしたから罰があたったんだ みたいに落ち込む必要が、ないのではないかと。 よく考えたら、今はわりと好調だけど、不調なときとなにか やってることが得に違ってるわけではないんですよね。 運のとてもよい時も、悪い時も、比較的私は「一生懸命」 なタイミングにぶつかるっていうのは共通しています。 まあ、はやね早起きでぐっすり眠ってよく食べてるっていう 生活のリズムは随分といいわけだけど。自動的にそうさせられた っていうか、意図的に変身したわけではないんですよね。 なんか、あんまり、こうなろうとか、こうしようとか、 考えてるひまがないんです。 と、いうことは、あんまり楽器の好調、不調にも自分を 見失うまでふりまわされるのは意味がないんじゃないかと。 「コンディション」に対して、センシティブであることは 悪いことではないけれども、センシティブなだけというのは ある意味「敏感」という一つの感覚にとわられているので よくないなと。...あたりまえですか、これ。はははっ。 あ、でも、楽器はこうなりたい、こうしたいっていうのすごく 肝心だからもっといいイメージを着実に育てていかないと だめよね。無理矢理つくっちゃだめだけど、あんまりぼんやり しててもだめである。 とか言いながら、最近なにかつかんだの?ってきかれたら 別に何もないのね。ただ、人に与えていただける機会が 妙に多くて恵まれているなと思うことしきり。
なんか、忙しくて毎日ほんと使い果たしてるけど、 なにかすごい展望がひらけたわけではないけど毎日幸福な 気分で目がさめる。結果よりも自分にとって一番しあわせな ことなんだなと思いました。ま、それも自分の力ではなくて いただきものなわけであります。感謝の毎日。それは 美しくて明るくて、やさしい気持ちにさせられます。
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