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音のない声。

             byスイチ








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2004年07月21日(水) 『アナログ』2


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 滴葉の住んでいる家は、一,二階あわせて五つの座敷と一つの洋間が有った。
 一階には三間続きの広い座敷が有り、二階は薬棚と箪笥が置かれた狭い部屋と、広い座敷が一間、それから大きな錠前がかけられた洋間が一室有る。

「ここだけドアが違うね。なんで?」
 廊下の突き当たりに立って、西側のドアを眺める。
 そこは洋間なのだと滴葉が説明してやると、ヒヨリは納得して廊下を引き返した。
「手洗いは一階でも二階でも好きな方を使えばいい。……それから寝るのはこの部屋だ」
 障子を開け、部屋に通す。
 滴葉も普段寝ている部屋で、寝具は押し入れに二組揃えられていた。
「ありがとう。……ボク、何でもやるから、言ってね」
「そんなこと気にするな、誕生日祝いなんだろ」
 とん、と指先で軽く背中を叩いて、滴葉は階段を降りていった。

「……滴葉…」
 滴葉の下りていった階段を見ながら、自分のことを小さく責める。
 敷き詰められた畳にうずくまり、溜息を吐く。

 様々な感情の入り混じった、小さな溜息を。



「おはよう……」
 いつもの様に縁側に座ってアイスキャンディーを食べていると、少し遅めにヒヨリが起きてきた。
「おはよう。朝食はどうする。初めにも言ったが、うちにはろくな食料がないぞ」
「いい。……ねえ、ボクもアイスもらっていい?」
 勝手にしろと滴葉が言うと、ヒヨリは冷凍庫からバニラのアイスキャンディーを一本取り出して、滴葉の隣に腰掛けた。

「どうだ、良く眠れたか」
「うん。ボク、いつでもどこでも眠れるから」
 昨日の一瞬の陰りはもう見せず、いつも通りの明るいヒヨリだ。
「ボク、これ食べたら掃除するね。掃除する道具、どこに有る?」
「そこの手洗いの横の物入れに入っているが、電気を使う掃除道具は無いぞ。だいたいそんなこと気にするな。僕がやるから、きみは宿題でもしていろ」
「えー、でもボク宿題持ってきてないしー。やるやるやるのー」
 アイスキャンディーを口から離して、ばたばたと駄々をこねる。
「分かった分かった、勝手にしろ。じゃあ、きみは一階の掃き掃除をしてくれないか。僕は二階の掃除をする」
「やったー。掃除するー、するー」
 手をグーにしてバンザイの格好をし、嬉しそうに笑う。
「家でそういう手伝いとかよくやってたのか?」
「……ボク? あんまりやってなかった。子どもだし、そんなことしなくていいって皆が」
「みんな?」
「あっ、ん、お父さんとお母さんが、ね」
 眉をひそめて苦笑いをする。気にはなったが、滴葉はそれ以上問うことができなかった。
「ねえねえ滴葉。滴葉はお掃除好きなの?」
 ヒヨリが体勢を立て直そうとしたのが、滴葉にも分かる。
「別に好きってわけじゃない、ただ嫌いじゃないというだけだ。誰だって汚い所に居るよりきれいな所に居たいだろう?」
「んー……まあ、ね」
 アイスキャンディーをかじりながら、ヒヨリがうなずく。

 物の無い部屋。
 物のあふれた空間。

 確かに、今のヒヨリにとってはここ以上に安心する場所は無かった。
「じゃあ、僕は先に行く」
 べとべとの手を振ってアイスキャンディーのしずくを払い落とし、手を洗いに台所に向かう。
「あー、ボクもー」
 急いで残りのアイスキャンディーを口にし、棒をゴミ箱に投げ入れたヒヨリが、台所から出てきた滴葉の腕に飛びつく。
「あー、うっとうしいな! 暑苦しいから離れろ」
 邪険に振り払うとヒヨリは不満そうにふくれ、得意の「お兄ちゃん」攻撃を始める。
「お兄ちゃんのケチー」
 お兄ちゃんお兄ちゃんとなつき始めたヒヨリの顔を改めて眺めながら、滴葉はかねてから思っていたことを口にした。
「なんで僕のことをお兄ちゃんと言うんだ? きみがいくつか知らないけれど、もしかしたら僕の方が歳が下かもしれないと考えないのか」
「え……ごめん、勝手に推測しちゃって…。ボク、十一才だけど。滴葉は?」
「きみはいくつだと思っていた?」
「十三……」
「……当たりだ」
 子どもっぽい顔つきの滴葉の年齢をぴたりと言い当てたのは、ただ思い付きの嘘ではないのだろう。
「わーいわーい。当たったから、お兄ちゃんって呼んでいーい?」
「駄目だ。ほら、やるならさっさと始めるぞ」
 こつんと頭を軽く叩き、物入れのドアを開ける。
 このまま話題を引っ張るのは、滴葉にしてもヒヨリにしても、あまり嬉しくない。
「はーい」
 ヒヨリはにっこりと笑って、きれいに揃えられた掃除道具の中からほうきを手に取った。



「この家、カレンダーが無いんだね」
 ヒヨリが滴葉の家に住み始めて何日目かの夜、電気を消して布団にもぐり込んで溜息を吐くと、ヒヨリが静かな声で話し始めた。
「それだけじゃないよね、テレビも無いし通信機器もない。ほんとにタイムスリップしたみたいだよ」
 滴葉は返事をしない。
「街まで下りたら何でも有るのに。こんな不便な生活してるなんて」
 天井を眺めながら、ヒヨリは続ける。
 滴葉と自分の境界を、手探りで探すように。
「これって、時間の流れを分からなくするためなの……?」
 実際この家に来てから、ヒヨリも時間の感覚が狂ってきてしまった。
 せわしなく流れる時間と人に挟まれて当たり前に生きていたヒヨリは、もう数日前の自分を思い出すことさえままならないような気がする。

「……僕は、時間が流れるのが怖いんだ。本当にタイムマシンなんて物が有るなら、乗せて欲しいくらいだ」
 かすれるような声で、滴葉が話す。
「どうして?」
「時間が流れる度に、プラスの可能性が削られてしまう気がする……」
「もしかして滴葉にも……時間が経つと不都合が有るんじゃないの?」
 滴葉は黙った。
「……ごめん、今の無し。気にしないで」
「構わない。タイムマシンなんて、結局は出来るはずがないんだから」
「どーして?」
「クローン人間だって、技術的に可能になった途端問題視されて禁止されただろう。それと同じさ。きっと制作可能になったって、禁止されるに決まってる」
 未来も過去も、現在で関わるとめちゃくちゃになる。
 後悔してから簡単に取り返しがつくようになってしまえば、誰だって戻って最良の選択肢を選び直したいだろう。
「そうかもしれないね……。未来はボク等が選ぶんだよね」
 自分に言い聞かせるようにヒヨリが言い、滴葉は静かに溜息を吐いた。

 自分には、未来を選ぶなんてことが出来るのだろうか。
 結果を受けるだけしか、自分には出来ないのではないか。

「バーカ!」
 滴葉が布団を力いっぱい叩いて、起き上がる。
「滴葉……? ど、どうしたの?」
 驚いてヒヨリも座る。
 滴葉はもう一度拳で布団を殴りつけ、うずくまってしまった。
「どうしたの? 急に……」
 冷たく当たることは有っても、こんなに感情的になるのは初めてだ。
 どん、と鈍い音が響く。
「滴葉……」
 頭を抱え込んでいる手を、ヒヨリが下ろさせた。
 冷たい滴葉の手に、ヒヨリの温かい手。
「滴葉、時間、ほんとに無いんでしょ……」
「何故きみにそんなことが分かるんだ。きみは、何を知っているんだ」
 今度はヒヨリが黙った。
 滴葉には、もう時間が無い。刻一刻と流れていく時を焦りながら、それでもじっと待つ。
「……ごめんね」
「きみが謝る必要はないだろ」
 小さくうなずきながら、ヒヨリは葛藤していた。
 ヒヨリには時間がある。これから生きていく人生の、まだ何分の一も生きていないのだ。
「もういい。早く寝ろ」
 滴葉はヒヨリの手を払って、布団にもぐり込む。
「……おやすみ…」

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