2007年03月22日(木) |
死を知るということ。 |
祖父がそろそろ死を迎えるようだ。 「死」という言葉が嫌いだ。 特に子供を生んでからというもの この「死=別れ」という言葉が怖くて 仕方がない。 子供との別れがたまらなく辛い。子供を失う事は「死」よりも辛い。 何かの記事で読んだんだけど 子供に先立たれるのは何とかって「罰」だそうだ。その「罰」は世の中で一番厳しい罰だろう、と私は思う。 それは 母親ならおそらくみんなそう思うのだろう。 そんな「罰」はあってはならないし、もちろん、そんな「罰」をわざわざ他人が行うなんてもってのほかだ。 さて、祖父が迎えるであろう「死」だが、その事実を聞いた時 特に混乱はなかった、それは私が孫だからだろうか、それとも 案外冷たい人間だからだろうか。 思ったのは 送り出す者たちが 思い残す事無く送り出せるか、という事だろう。 後で後悔してもどうしようもない、だからこそ 祖父を送り出す者たちは 精一杯後悔しないように行動するべきだ。 お互い納得できるように、それが一番大切な事だろうと思う。 とまあ、これは 孫だから言えるのかもしれない。 とにかく、「死」という言葉は恐ろしいが、誰もが迎えるものなのだから これもまた「現実」なのだろう。 色んな「現実」が転がっている、いちいち逃げていては 先には進めない、 転がっている「現実」を見て 理解して受け入れていかなければ いつまでたってもその「現実」の周りをぐるぐるまわってるだけ。 受け入れて初めて「現実」が「過去」になる。 そう思えた今日この頃。 さて、私もそろそろ「デブ」の「現実」を受け入れましょうか(笑) 制服キツイんだよ!! むっちむち! それが「現実」だ!!(涙)
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