「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2017年08月31日(木) 心のファシリテイターとして育つ会 2017年8月号

心のファシリテイターとして育つ会8月号

こんにちは。心のファシリテイターとして育つ会のMamoです。いかがお過ごしですか?私は先月末から10日間ほど日本に帰っていましたが、お天気は短期滞在の私の味方をしてくれたようで、本来の蒸し暑い日本の夏は何処へやら。ただただラッキーでした^^

そんな中、今回もまた、人々、特に自分に最も近い我が子や親姉弟との関わりを通して今の自分とこれからも育っていく自分に頼もしさを感じるのです。人との関わりはいつも私たちを一つ上の段階に成長させてくれますね。例えば、こんなことがあったのです。

今回の旅で、私は友人宅に3日間、家族たちの家にそれぞれ数泊ずつ滞在させてもらったのです。省略していますが、ワクワクの中で時を過ごしたことは紛れもありません^^。滞在させてくれたみなさん、ありがとう。そして、その中で私は何を考えたでしょうか?

友人のお宅にて。私は初日から二日目にかけては招待してくださった友人とそのご家族に受け入れられるよう、相手を敬う言葉をたくさん使い自分の行動を彼らに合わせようとする私でした。そして後半に差し掛かる頃、私は私でいればいいと悟るのです。私は私でいればいいというのは、相手に構わず自分の好きにしていいということではなく、いつも自分と相談して自分のしたいこと自分で出来ることを自分でするという基本姿勢を持っている、ということ。相手の好意に素直に甘える場面や丁寧にお断りする場面を、自分の気持ちに沿い裏付けと責任を持ってそうしているということです。

その後私は、娘の家に一泊滞在しました。娘はその友人よりも私に近い存在ですから、楽といえば楽ですが、逆に境界線を超えてしまいやすいですね。そこで私の意識したことはやはり、自分をするということです。娘相手なのに堅苦しいと思いますか?しかし、自分がそこにいる理由と自分なりの計画をクリアにしておくことは、自分に最も近い娘と自分との境界線を良い距離で保つのに有効だと、私は思うのです。それは、自分は娘(または息子/夫/親)と時間を共有する時にも自分自身を主体にしているという意識に繋がります。私たちはよく、何か決めるときの理由として「誰それがなになにだから」とか「誰それのために」と言いがちだけれど、その表現は特に、子どもに対して使ってはいけないと私は思っています。

さらにその後、私は姉の家に2泊滞在しました。姉もまた、娘と同じように私に近い存在です。幼少期を共に過ごしたという意味では、時には娘よりも近い存在に成り得えますが、ここで最初の二つの滞在時と違ったのは、私は娘と一緒に泊まっていたということです。娘と姉の関係は、私とそれぞれ娘や姉とほどの心理的な近さはありませんから、私は彼女たちの真ん中で二人をつなぐ役割もしていたとも思っています。

一般的に三角関係という言葉がありますが、三人の集まりというのは時々ややこしくなると思いませんか?三人の中の誰か一人が気を使い始めるとその関係がギクシャクしたものになりがちでしょう?そのギクシャクを避けるために、周囲に敏感な人ほどより気を使って揉め事が起こらないようにするものでは?ともすれば、三人が三人とも気を使って疲れることになりかねないですよね。疲れはトラウマになることがあり、そうすると「もう○○には行きたくない/会いたくない/○○したくない」いう否定の気持ちがが現れるでしょう。

そこで私のしたことは。。。ここでも、自分をする、ということでした。自分の大切にしていること、優先順位は何かをいつでも思い出せる自分をする。それはもちろん、相手構わず自分の優先順位でしたいことをすればいいということではなく、自分の行動に裏付けがあり、仮に問題が発生した時にはそれに対処できる自分を作っておくということなのでした。

と、こうして書いてみると堅苦しいですが、みなさんに協力してもらって楽しく時を過ごせた事は間違いなしですよ。

話は少し変わりますが、今回の旅で私は、20年以上も前の親になりたての頃に、あることでとても悩んでいた自分にも気づいたのです。当時の私にとってそれはとても大きな問題でした。しかし自分がそのことで悩んでいるということに気づけずに、何か変だとうすうす感じていたけれど、それが何かを言葉にするには程遠い精神状態でした。まるで、この問題は私と元夫の結婚生活がうまくいかない原因のひとつとなっていたと半ば確信することすらできるほどの、とっても大きな気づきだったのですよ。

さて、人がこんなことに気づいたら、まず出てくるのが後悔ですよねぇ。気づいた瞬間、あの時気付けていれば離婚せずに済んだし子ども達に悲しい思いもさせなくても済んだかもしれないのにと、本当に心の底から悔やまれました。しかし、後悔しても何の役にも立ちませんからねぇ。今気づけたのはそれなりの成長あってのことなんですから、素晴らしいことではないですか! 

ここでこの切り替えを手伝ってくれたのが離婚という選択肢で新しいものを築こうとした当時の私の<裏付け>です。裏付けとは、単に統計として出された科学的なデータや過去の経験のみではないのです。自分は今(当時)よりも成長して良い大人になるんだ、親として人として成長するために今ここで人生を変えるんだ、という確固たる裏付けを元に新しい一歩をふみだした自分への裏付け。自分の中にある確たる思いやそれに対する満足感を裏付けに行動した自分は、それがたとえ間違いであったとしても自分を責めるに値しません。(裏付けがあれば子ども達にマイナスの影響がない、ということではありません)裏付けを持つことは世の中の動きや他者の言葉に左右されない自分になり、私たちを芯のある大人に育てるのです。

裏付けを持って行動できる大人への要素は本来、幼少期に育てられます。
エリックエリクソンは、人はそれぞれの発達段階の中でさまざまな心理的社会的危機を乗り越えてその人の内面的な強さや自我が育ってくると言っています。[1]
ここでいう危機とは、必ずしも破壊的な出来事ではありません。それはそれぞれの発達段階に沿って与えられる課題で、例えばヨチヨチ歩きの赤ちゃんが自分の足で一つずつ階段を登るその困難を乗り越えていくことです。誰も皆、自分なりの危機/サバイバル状態を持つことができるでしょう。この場合、英語ではSurvival(危機)よりも、Gumption(積極性)の方が似合っているかなー。

以上、育つ会より2017年8月号のニュースレターでした。みなさんは毎日何を考えて/感じてお過ごしですか?ご意見ご感想など、お寄せくださいませ^^ 

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