「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2017年03月10日(金) 心の目で視えるもの

皆さんは、生活様式や文化の違いなどを理由に特定の人に対してネガティブな感情を持つことがありますか?そんな自分に気づいたらどうしますか?

私は最近、仲良くしようとして接してくれる人を受け入れられない自分に気づきました。それは、無意識のうちに相手が近寄ってこないような方法や理由を考えている自分を何度か演じたあとのことです。私は、相手は自分に好意を持っており良い関係を築こうとしているのを知っていましたから、私の中に芽生えるネガティブな感情は自分の過去の経験から来ていると分かりました。(文化の違いに対する戸惑いは、相手を否定する理由にはなりません^^)

しかし、どうしましょう。そんな自分をわかっても、今、受け入れられないものは、今は受け入れられないのです。それなのに、相手は私に好意を持っているのですから、そんな相手を嫌いになれる理由もないのです。

頭のなかで、この状況を思い浮かべてみて下さい。うっかりすると、罪のない人を嫌いになる自分への否定が起こると思いませんか? 私もその例に漏れず、暫くの間、そんな自分を持て余したのです。

しかしその後、私は不思議と(いやなものはいやなのだから、仕方がない)と思うようになりました。そして、ある時から、私はどれだけその人のことを嫌いなのか、その相手と接している時の自分を観察しようと思い始めました。

すると、どうでしょう。それまで感じていた、いつの間にか相手に対するネガティブな感情が沸かなくなってきたのです。少し大げさな言い方ですが、私はある日、自分実験をしました。ネガティブな感情を持っている自分に気づいた時、「自分を観察しよう」と自分に言って聞かせたのです。すると、そう思えて間もなく、否定の感情は何処かへ行って、ワクワクする気持ちすら沸いてくるのです。

この気持ち、とても楽なのですよ。興味深いと思いませんか?それにしても、この変化は何でしょう?

私は以下のように思います。

相手にネガティブな感情を持つ時の私は、見ている対象、考える対象が相手になっている。(実際に目の前にいる人を見ることではなく、心の目で観察するという意味です。観ている、という字を使うべきかな)反対に、自分を観察しようと意識する時の私が対象にしているのは自分自身。つまり、真に自分に目を向ける時、他者がどうであるかは関係がないのです。実際に、私の心の目が対象にするべきなのはいつも自分自身ですものね。

この私の経験について、あなたはどう思いますか?よかったら、あなたの意見を聞かせてください。そして、生きていくのに大切なこと、ニュートラルな生き方について語り合いましょう。


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