「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年09月23日(日) 4383 回の愛

 この頃、愛の不足と性のつながりに思いを馳せる。
赤ちゃんの時の不足部分を補おうとしている自分。不足していたものを自分に与えてあげようとするとき、赤ちゃんは自分の感じたものをそのまま求めることで生きていられるのだから、求めることが可能かどうかは別にして、いつも欲していいのです。いつでも欲していいということを自分に許可してあげられることに、この上ない喜びを感じます。赤ちゃんは愛がなければ死んでしまうのだから。
 そして、性の楽しみは例えばパチンコや野球と同じ、自立した大人の遊びの1つだから、もしも私に心を語るパートナーが出来たなら、それぞれが楽しめる状況になるまでの待ちを自分に与えてあげることが出来る。
 過去に、求められた時にNoと言えなかった自分も、Noと言われて混乱した自分も、愛に飢えて死んでしまいそうだった私の出来事でした。そして今は、どちらも大丈夫にな自分が育ち、さらに待ちの楽しみを味わうことも出来るようになっている。 
 私はこんな区別が出来る自分を愛しています。愛をする自分を自分で育てているみたい。


 夜、布団に寝たときの私は赤ちゃんみたいでした。
心も身体も今は大人。そこに安らぎがあって、自然のままに手足を伸ばして、だから指の関節の曲がるところは自然に曲がっていて、まるでベットに寝ている赤ちゃんの手足がかわいらしく丸まっているように、私の指もまんまるくなっていました。指の先まで力が抜けていたのです。
 赤ちゃんの、うんと最初の時期、私はいつもこんな風に安らかに眠っていたのだでしょう。だからきっと今、私は一種の原体験をしているのです。
 そして私は今、このやすらぎの感覚を心に全身にしみこませたい。そうしていられる自分に対する心地よさを感じ続けたい。

そして、この安らぎを持っている私が私として生きているようになりたい。
そう、やさしく安らぐ Mamo ちゃんになりたいのです。

 そこで計算してみました。赤ちゃんの頃に感じたかった安らぎを今日のような形で今まで出来なかった分だけ・ほんとうに生きてきた年数分だけ感じたいとするなら、回数にしてあと何回試みることになるでしょう。
 1年としてあと364 回。12 年分するとしたら、うるう年を入れて4383 回。1回は済んだから、あと 4382回布団に寝転がって安らぎを感じ続ける。そして、大人の私は、毎日自分が意識した分だけこのやさしさを感じることが出来るから、実際の数はもっと少なくなるでしょう。
自分に心からの満足を与えてあげられらる喜び。やっぱりワクワクしてきました。
そして、自分に愛をすることを楽しめる人生、私の先にある“私の死”が、自分への愛に包まれてあることを思わせます。



丸まった指を感じながら、「あーもう、私は眠るんだ。気持ちいいョ」。
こうして私は、やさしい朝を迎えていました。


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