「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年03月24日(土)

 卒園式。園児さんは、私が就職したたった一年前と比較しても、皆さん大きくなっています。子どもって心も身体も成長するのですねぇ。
そして私も一年間以上働き成長してきた場所からの卒園式。
 式の最中に自分の一年が思い出され、泣けてきました。一年と一ヶ月間、時々おろおろしたけれど、それでも基本的には、面接を受けたときのニュートラルな自分を一年間持続させて成長を続けられました。ですから私の涙の理由は、この一年成長してきた自分に送ったエールの涙でした。
 自分が成長するためには、そのものを素直に見つめる視線があればいい。素直に生きることが、この頃の私の基本です。

 園児さんが退場した後、退職する私も、皆に囲まれ紙ふぶきをかけられました。保育士さんの中の一人は、真っ赤な目をして「これからも、Mamoちゃんらしく生きて」。もう一人は、「Mamoちゃんの存在大きかった。顔見るとホッとした」。どちらも私よりも年上の女性。歓迎されている自分に、どう答えていいのか分からなくて、「ありがとう」と言うのが精一杯でした。
 その後もう一人は、私の胸でしゃくりあげて泣いて…。真っ赤な顔をして自分を語る保育士さんたち。そこにある自分の存在。再び戸惑っている自分でした。
 日本の一般社会において、自分を大切にして生きる事は、自分勝手と受取られることが多い。だから私はここにおいても何処かで小さく身構えていたのです。その私が、ここで歓迎されているという実感。「2万回の思考」の話を思い起こせば、たぶんここに、私の存在そのものを否定している人は居なかったのです。そして、成人してから後、私が想像するよりも多く、私の存在は歓迎され受け入れられてきたのかもしれません。

 園長さんの、式の言葉に、「この保育園は皆さんに育てられている」というのがありました。そう。私も自分で自分を育ててあげられました。
 今日まで勤めたこの職場は、自分の心を育ててきた新しい私として、興味を持ち視線を延ばした場所でした。興味の中には、子どもを見ている環境ならば他の職場とは違う空気があるだろうという思いもありました。私の想像は当たりました。毎日たくさんの気付きがあり、自分の心の作業に利用しました。
 そして、別の部分で働き辛さも感じたから、止めることにしました。働き辛さの根底は、一般社会にある組織ゆえのものでした。ちなみに、組織であることが弊害になるのは、日本という国全体の視点や物事の捉え方がおかしいからです。それでも私は自分を語れたのです。今私は、語る自分を持ってこの世界に飛び込むことが出来た自分がいたことを嬉しく感じています。
 どこまでも自分として成長して生きたい。これからどの職場に行っても、私のスタンスは同じです。

 それから、かしこまった子どもさんたちを見て、久しぶりに自分の子どもたちの事を思い出しました。ずいぶん長い間、私の思考に沸いてこなかったなぁと、まずこんな自分にびっくり。でも、忘れてしまったという次元とは違います。私は、まず自分を生きることが先。そして、自分を生きたいから。だから、子ども達にはいつも、「待っていてね」なのです。
 ちなみに今日は、沸いてきた子ども達への思いを言葉にしたくなりました。私の場合は、子どもの事を言葉にすることそれ自体がマイナスになりますか? いいえ、救いを求めているのとは違うから、だからきっと大丈夫。それでも、成長途中の部分としては、自分の中で比重の大きい分野です。だから私は、こんな私の心を肯定される人にのみ、慎重に自分を語ります。
 「いつも自分の心を語っていこうね」。どんな時も成長のきっかけになりますね。

 新しい仕事探し。今度は何が出来るのかな。外国に広がるような仕事に就きたいな…。
 
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