「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年03月02日(金) かべの中

 昨日朝、キッチンに降りたら、流しの前の棚にさびた包丁が棚から10センチくらい飛び出して置かれていた。さびて使えない包丁の刃先はこっちを向いていて、まるで私に向かってるように見えた。包丁には恐い経験がたくさんある。傷口から血が拭いて出てきているという思考にとらわれた。私はひどくフラッシュバックした。恐かった。目を開けていたいのに、眠くて眠くてたまらなかった。アンカーして切り替えても切り替えても、恐さが襲ってきた。自分の目が上に下にきょろきょろしてるのがわかった。心に「アーもう駄目だ…。」の声が浮かんだ。
 そこにある思考が沸いた。「待って。こんな自分が分かってる。」。私は自分が分かってるんだ。だから、まだ暴れていないんだ。過去とは違うと実感した小さな変化が、自分への救いのように感じられた。それに自分がフラッシュバックすることの原因は分かっているから、巻き込まれて入り込まないように意識していれば大丈夫かもしれないと、先にある光が見えてきた。私は現実を見れるように、仕事に出かけた。
 夜、やっぱり駄目だった。キッチンに入れなかった。もう一度外に出て、外食をして部屋に戻り本読みをして心を落ち着けた。そうしたら、20歳くらいのことが浮かんできた。怒りを抱えて乱暴な自分だった。今度は私が他者に包丁を向けていた。二つの傷を癒やした。少し落ち着いた。
 その後、これからの事を考えた。チャイルドを癒やしたというのに、尖った刃先が浮かぶとどうしても恐い。恐さが来て暴れてしまう自分では、チャイルドを引き出せない。
 トラウマは、もう一度その場所に行って楽しむことで癒やせることもあるのだ。それならまず、キッチンに入れるようになるまでの能力を蓄える為に、現実を生きよう。順番が逆だけれど、今出来ることをする。今のことをしよう。そうすれば、自分の抱えているこの大きな傷を癒やせるはず。そう決めて布団に入った。布団の中でも、さびた刃先が何回もちらついた。それでもたぶん、じきに眠った。きっと、自分はどうするかを決められたからだろう。

 今朝、確認の為にさびた刃先を思い浮かべてみた。背中がむずむずして暴れたい気持ちが少し。刃先が浮かんで恐かった。まるで刃先依存になったみたいだ。でも、昨日と同じになるのは嫌。今を生きたかった。
 台所を後回しにしても、今のことが出来ていれば大丈夫のはずだと、能力を意識して家を出た。コンビニでパンを買って食べた。昼間は丁寧に仕事をした。それでも昼休みには頭に刃先が浮かんだ。恐さがあるけど大丈夫。昨日の朝より、昨日の夜より、そして今朝より、少し小さくなっている。それから今は、今日の昼間よりも小さくなっている。もうすぐ大丈夫になる。この調子で進めば、このことをきっかけにして心の傷を癒やせるはず。
 それから、同じものを見ても、大丈夫な人も居る。もうじき私も、包丁を見ても平気な自分になれるはず。未来に興味がわいた。

 それにしても、どうしてあの場所にあのような形でおいてあったんだろう。だれがしていてもいい。責めるようなものとは別の視点で、自分に起きた、この点の理由を知りたい気持ちがある。しかし、それを知っても意味がないそうだ。仕方がない。

明日も今の事をしよう。明日は今日よりも楽になるだろう。
心がさびてしまわぬよう、自分にやさしく生きよう。


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