「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年02月18日(日) モデムちゃん

 昼頃、キッチンの窓の外に、ジョウビタキのオスがやってきました。山吹色の身体の背中に白い模様をつけていました。顔はよく分からなかったけれど、かわいかったのです。ちなみに、名古屋へ来て一番先に、[「かわいい」と感じた鳥は、ジョウビタキのメスでした。それはインターネットの画面の中で白くて真ん丸い目をしていて、くすぐったくなるくらいにかわいくて、いつまでも飽きずに見ていたのを覚えています。
 夕方、久しぶりにベトナムのお友達のところへ遊びに行きました。久しぶりで懐かしく感じました。ベトナムの女性はきれいな黒髪を伸ばしている方が多いです。別のベトナム人の友人の話では、ベトナム人の女性は美容院に行く習慣がないそうです。きれいな黒髪、素敵でした。私も今は髪の毛が長いです。
 それから、今日はベトナムの旧正月(tết)だそうです。Chúc mưng năm mơi(あけましておめでとう)の練習が出来ましたよ。
 それと、ベトナム産のココナッツのアメを頂きました。これが、口に入れてみると、とても硬かった。頭の中で、(食べ終わったら「私はアメが大好きです」をベトナム語で言おう)と計画を練りました。早く食べ終わろうとして奥歯で噛み砕いていたら、アメの中に何か硬いものが当たりました。(やけに硬いなぁ。ココナッツの実?!まるで歯が抜けたみたい)と思っていたら、本当に差し歯が抜けていた…。
あ〜びっくり。自分の出来事に笑えました。隣に居た人も笑っていました。研修生さんは、「Mamoちゃん、もっとアメを持って帰ってください」と言って袋に入れて渡して下さいました。後で思い出しても笑えました。




「したかったことがたくさんあったんだなぁ」
子どもの頃の純粋に楽しい想像も、親たちの争いや乱暴な言葉にかき消されて消されていたことを改めて実感しました。
 私たち日本人が、本当にしたいことがあきらめたり、途中で出来なくなる理由のひとつに、集団にいることをよしとする風潮があります。例えばその場所が誰の目にも乱暴に映る場合は明らかに見分けが付くけれど、ボランティアや癒やしのスペースなど、一般常識の中で一見素敵に見える場所では、そのマイナスは見えにくいのです。学校や職場でも同じことが言えるのです。
私にも、皆と同じであることを基準にさせられた為に、出来なかったことがたくさんあります。赤ちゃんの頃から数えてみたら、その数は300万回以上になるでしょう。
そして私は、その傷を抱えたまま子どもを生み育てようとしました。子どもの泣き声に怯えてうずくまりました。育児雑誌や情報誌は、何が基準か分からない私を混乱させました。母の自分が苦しくて、周囲についていけない自分に泣きました。
 4年前から、自分を大切にすることをしてきました。そして今の自分がいます。
今思うことは、私は子どもを生む前から、周囲についていけない自分に泣いていたということ。それから、母親になった私が本当にしたかったのは、小さな赤ちゃんをやさしく抱いていたかったのだということです。
そして、今は、私は心から笑っています。だから、私は私の基準でいい。これでいいのです。私は今の自分と明日の自分と自分をつなぐ“モデム”なのです。

ジョウビタキのオス


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