「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年12月16日(土) 死を学ぶ

育成会。「死を教える」。育成会で「死」を勉強するのは今年で3回目。

 今年は、「今回は、自分の過去を語らずに皆さんと一緒に“死”について学び、“生きる”につなげよう」という案を持っていました。
 ある方は、「死にたいと思って実際に死んでしまう人と死にたいと思っても、死なずにとどまる人との境目は何でしょうか?」と、ご自分の疑問を語ってくださいました。私はこの疑問に答えられる人なのかもしれないと、自分に同じ質問を投げかけてみました。
私も何度も死のうとし何度も思いとどまりました。思いとどまった理由は、苦しいことすら気が付かなかったある時は「死んだはずなのに生きていた」で、苦しい自分を知り始めたある時は「子どもたちの存在」。少し楽を知った時点では「死んでしまったらもったいない」。そして最終は「死にたくない。生きたい」でした。書き出してみると、それぞれに現実的な理由だったりその時の気持ちだったり。そしてその奥には、子どもの頃自然の中でたくさんの命に触れてきた経験も大きく影響しているように感じます。さらに、理屈や理由とは違うところで、命ある・生きものとして、死ぬまで生きることをしてきたからではないかとも。
 それから、生き物として死なずに生きてきた私も、これまでは、命あると共に自ら考える生きものとして、何かの物事にぶつかり限界を感じる度に、子どもの頃に学ばされた方法のそのままに、死ぬことで苦しみから逃れようとしてきたのだと整理することが出来ます。

 今は、これがどんなに悲しくて大変なことか、分かります。
そして、物事は先へ向けて解決していけることを知っています。
自分にやさしい解決の仕方があることも知っています。
自分を変えていこうと意識することで次へ進むということも知っています。

自然に死ぬまで生きていることが、自然なのです。
生きていてよかったと、心の底から感じています。



胎児として生まれた瞬間から、死に向かっている。
人は死ぬために生きているとも言える。
こうして考えると、年を取り老いていくという事は健康な証拠なのだから、喜んでもいいような気がする。
必ず死ぬのだから、死ぬまでの間、どのように自分を生きるかが大切になる。


Mamo |MAILHomePage

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