「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年08月03日(水) 「知る楽しみ」

 休日。本日も海へ。到着するとすぐにテントを貼りました。それから「サザエ採り」の為にテトラポットまで「遠泳」しました。前回は少し緊張していましたが、今回はこちらの岸を離れた瞬間から記憶に新しいテトラポットの周りの様子を想像していました。前回しがみつくように持っていた浮き輪も、今日は「ないほうが楽かな」と思え、最後には浮き輪を離して2メートルほど下まで潜ってみたいと思えました。そして実際に目的の場所まで潜ってみると、すぐに「もっと下まで行ってみたい」という思いに駆られました。私は「遊びの中」でも「自分の好奇心を延ばして」成長しているのですね。
海の中ではいつもよりも深い呼吸をしているように思いました。何度も潜っているうちに肺活量が増えてくるかもしれません。肺活量が増えると「一度の呼吸でたくさんの酸素を体に送ることが出来る」のだから、「体にやさしいことの1つではないかな」と思いました。
 お昼を食べたあとは浜の近くで遊びました。二人の少年が海へ向かって石を投げて遊んでいました。彼らが投げた石は水面で何度かジャンプしてから沈んでいきました。私は少年達の傍まで行って見ていました。しばらく見ているうちに私も石を投げてみたくなったので、少年に「どうやったらそんなふうになるの?もう一度見せてほしい」と言ってみました。少年はちらりと私を見て、そして少し照れたような顔をして「うん」と言い石を投げて見せてくれました。次に私が「私にも教えてくれる?」と言うと、少年は「平らな石を見つけてきて水平に投げる」と教えてくれました。私が少年に教わったようにやってみると、私の石も少年が投げた時と同じようにジャンプしてうんと向こうまで飛んでいきました。私が「出来た出来た!」と喜ぶと、少年は、今度はニコニコしていました。少年の笑顔と共に帰ってきた「ウン」という言葉は、私の心にストロークとして残りました。そして「教えて」と自然に言えた自分も嬉しいと思いました。人との触れ合いはこんな小さなことから始まるのですよね。
 ところで今日は「ゴンズイ」という魚を見ました。私が見たのは「稚魚」でしたが、数え切れないほどの群れをなして、まるでイソギンチャクのようにゆらゆらと泳いでいました。背中のとげは毒を持っていると聞きましたので、手に触れないように観察してから海へ返してあげました。浜の近くにあった大きな岩には、茶色い大きなワカメがくっついていました。ワカメのゆれ具合が、まるで「台風の風の中で揺れている大木」のようでした。私はそのワカメを両手で握って強く引っ張ってみましたが、どうしても取ることが出来ませんでした。きっと「強い波の中で生きていくための知恵」なのですよね。
 
 夕方には「眼科」へ行きました。ちょうど一週間前に負傷した目・痛みは取れていましたが、安心してコンタクトを入れるために「完治しましたよ」という判定が欲しかったのです。眼科では前回と同じようにたくさんの検査をしました。前回は痛みを持っていましたが、今日は目も心も元気ですから、自分の目の前にあるたくさんの器械や検査が何のためにあるのかを知りたくて、いくつかのことを尋ねてみました。すると看護師の女性は丁寧に教えてくれました。目は完治しました。これで明日から安心してもとの生活に戻れるのです。
家に帰ってから、「サザエ」を料理しました。今日はルームメイトも一緒にクッキングでした。私たちとルームメイトは「どうせならサザエのおさしみを食べたいよね」と言い、ゆっくりと時間をかけてサザエが殻から顔を出すのを待ちました。硬い殻の中から「サザエ」を出すには、口のあいてきた貝の隙間に目打ちを入れて実を引っ張り出すのです。ところが・・・5匹あったサザエの全ては「不成功」に終わりました。なかなかコツがいりますね。
ちぎれた先っちょを食べてみて「こんなにおいしかったなんて・・・」と言い合いました。そして私は、おいしさも良いのですが「どうせなら、生のサザエを最後まで引っ張り出してみたいなあ」と思いました。
 世の中は「不思議」がいっぱいです。私が感じる「不思議」はきっと「プラスの好奇心」なのでしょ。そして「知らないこと」を「知る」のは楽しいのです。何を見ても楽しいです。「知らないことがある」ということは「知ることが出来る」ということなのです。「何かを知らない」ということは、「知らないことを知っていく自分」を「楽しんでいられる」とも言えます。何もかも面白いです。


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