「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日ある女性から 「Mamoちゃんはそんな風に(過去を)語れる位置に居るんだね」 と言われました。私は 「・・やってきた・・」 と少し小さな声で答えました。そして 「そう言い切ってもいいのだろうか」 と考えて 「これでいいのだ」 と思いなおしていました。 「楽になりたい」 というその思いだけで此処まで来た今、自分自身に対して 「周囲の人」 は、「私」 を 「過去とは違う目線」 で見ているように見えるのです。そして 「私」 が 「自分の中にある材料で自分を見ている」 とするのなら、「私」 は既に 「成長した自分」 を 「知っている」 ということにもなるのです。
実は私、少し前には 「過去とは違う生き方をしている自分」 に 「戸惑い」 を持っていました。しばらくして 「戸惑いの時期」 は過ぎると、 「過去と違ってもいいのだろうか」 と思い悩む私として生きていました。2・3日後、「思い悩む私」は「自分自身の成長」 を 「自分で止めている」 のかもしれないと考えられるようになっていました。さらにしばらくして 「では、いいではないか」 と 「過去の自分」 を脱ぎ捨て 「新しい自分」 を見つめられるようになりました。「新しい私」に見えたのは 「・・・してあげる」 を持っている 「自分」 でした。 そして 「私は傷を持った生き方」 をしていくのなら、その 「傷」 は 「小さな部分」 に 「見えにくい形」 で 「現れる」 のではないかと感じました。
2年近く前名古屋へ来てすぐの頃、私は部屋の壁にひとつの貼り紙をしました。内容は 「多くの知識や技術が私の傷を隠すためのものならば私は再び傷つくだろう」 というものでした。今はこの言葉を書いた時の事を覚えていませんし、類似した内容を語るとしても違う単語を使います。例えば 「今の私」 が 「・・してあげる」 を持って人と語るとするのなら 「今私は何も語らない事をする必要がある」 ・それが 「私が自分を大切にする」 為の方法だろうと思うのです。そして今日 「心の事」 を語る私は 「より小さく自分を語ること」 を意識して 「自分に責任の持てる事」 だけを語ることができたのですから、「自分をしっかりと見据えられた」 ことを素直に「嬉しい」 と思いました。「プラスを深められた嬉しさ」 は 「午後の仕事」 に 「より深い楽しみ」 を引き出す結果となりました。 自分に 「心」 を傾け 「丁寧」 に生き、「白衣のすそ」 を弾ませて 「忙しさを楽しみ」 一日を終えた私は 「自分の一日」 に 「心から納得」 していました。
「これでいい」 ではありませんか。そしてまだまだ自分を見ていこうと思えます。「本当の自分」 を知っているのは 「私」 だけなのだから、「私」 がいつも 「私」 を見ていれば・それだけでいいのではないかと思います。 「本当にもう・これでいい・・・ですよね」
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