「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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6歳の男の子がイボ焼きにやってきました。今日は10回焼く事を目指していたらしくニコニコ顔で処置室に入ってきましたが、やはり痛みは辛いから、治療の初めは話を逸らしてなかなか先に進みませんでした。私は男の子のペースに合わせてゆっくりと進めていると男の子は自分から焼いていく数を数え始め、やがて「数が増えていく事」を楽しみにし始めて、ついには26回もイボを焼く事が出来たのです。(通常大人でも10回程度なのです) 男の子は帰りに「今度は30回焼くからね」と言っていたので、「このまま数が増え続けるとどうなるのかなぁ」と密かに考えている私です。 5歳の女の子もやってきました。私は1ヶ月ほど前女の子に「なぞなぞ」を渡しました。彼女はその答えをお家で探してくるのですが、答えはなかなか見つかりません。女の子のお母さんは「なぞなぞの答え」を知っていますが、女の子が自分で見つけた「答え」を持って病院に来ることを手伝っています。実は女の子、私が出会った頃は「ばか〜人の手に触んないで〜」と大きな声で叫ぶ女の子でした。けれど最近は何故か何時もニコニコ顔です。子どもさんの笑顔は本当に純粋で、その世界は面白いことばかりです。 小さな子どもは「自分の戸惑い」をいろんな形で傍に居る大人に知らせます。私は「何が問題かな?」と思いつつ子ども達にゆっくりと話しかけます。場所は病院の処置室ですから周囲は慌ただしく動いていますが、私は緊急の場合でなければ、「自分のしている事」を大切にします。私が病院で「自分のしている事を大切にする理由」は「大人の都合で子どもを急がせてはならない」からです。私自身は過去に「自分の子ども達」と関わっていた頃、何時もハッキリとした理由のないまま「時間との戦い」の中で「子ども達」を巻き込み続けていて、そんな時には「子ども達の小さな戸惑い」に気が付くことは出来ませんでした。けれど今は「私自身」が子どもの頃に「理由の分からない事」を強制させられてきたことこそが「私自身の傷」だったのだと知ったから、いつも「目の前にある事の意味を語れる大人」として子ども達を見ていたいのです。 大人が「子ども達」をゆっくりと丁寧に見守っていくことの「先」に見えるものは計り知れません。そして私も・子どもも・誰も皆、「先」にあるのは「無限大の可能性」です。
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