「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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この頃の私はこれがいわゆる 「普通の社会」 だろうと思うことが良くあります。 社会で 「そこそこ」 に 「自分」 を持ち 「周囲の人とは適度に馴染み」 ながら、「差しさわりのない話題に花を咲かせその場所を平穏に過ごす」 のです。例えば 「自分の居る家庭」 が 「今のところ」 は 「平和」 で、自分の人生も 「そこそこ」 に 「幸せ」 だという思いがあれば 「人に優しくすること」 は出来るから、そんな自分としてなら 「楽」 に生きていく事も可能なのです。「小さな不満」 を持ったとしても 「大きな波」 だと感じなければ 「こんなものだわ」 と思う事で 「そこそこに満足」 して 「平穏」 を保っていられるのです。 けれど私は 「この社会」 こそが 「間違っている」のだと考えます。 私が子育てを始めた頃の 「周囲のお母さんと自分を比較して苦しんでいた過去」 を思えば、「周囲と同じである」 から 「自分の人生」 が 「そこそこ」 に 「平和」 なのだと 「思い込む事」 こそが、 「社会全体が傷だらけ」 ということではないかと思うのです。私たちがもしも本当に「自分にある可能性」を知っているのなら、「周りと同じに」 という基準は浮かんでこないはずなのです。
私は「自分には人としての可能性がある」 事を知っているから、老若男女どんな人にも 「無限の可能性」 がある事を知っています。だからこそ私はこれからも限りなく 「自分を確かめ続けていく」 のです。
社会と同じ色でなくてもいい・違う色になるのがいいのです。 私が持つ 「カラー」 はもちろん、・・・・・色。
天白公園の外灯に登ってる「人」
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