「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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一泊かけて富士登山に行ってきました。5合目まで乗り物を使い、そこからのんびりと自分の足で歩いていきました。行き交う人々は口々に声をかけ合い、日常の社会とは違う暖かさがあちこちに溢れているように思えました。私は始め周りの景色に目をやり、かわいらしい高山植物にそっと鼻を近づけてみながら、ゆっくり登っていきました。目の前に大きな山がそびえている。その大きな山の目の前で、頂上まで登ることよりも、私の足で・私のペースで登る事を心がけました。とはいうものの、8合目にさしかかる頃には私の足は棒のよう。足は疲れているけれど、もう少し登りたい。でも景色を眺める余裕がなくなっているのです。足の重さをどうすれば良いかな。自分の足元を眺めながら歩いていて、ふっとこんな事を・・。 「ゆっくりで良い。立ち止まっても良い。自分の足と相談して、足が楽なところにつま先を降ろして。私の足は自分の楽な場所を知っている」 それからしばらく、私は心の動きに合わせてゆっくりと自分がつま先を何処に下ろしたいのかだけに、神経を集中していました。 「とても楽ちん。足が重くない」 うふふと頬を緩めたくなったところで、別の思考が沸き起こりました。 「人生もこんな風に歩く事が大切・・」 そうでしたね。私は自分の人生もただゆっくりと前を向いて、自分の心を大切に出来る方法を探しながら、自分のペースで歩いていけばいいんですね。もしも疲れてしまったら、気が付いた場所で疲れない方法へと変えていけば良いのですよね。 気が付くと、足の疲れがあっても登山を楽しむ私が居ました。というわけで、あっという間に9合目まで来て上を見上げるともう一息。気分はとてもすがすがしい。目の前に現れた頂上で、私は自分の心の中にいつもと違う 「優しい気持ち」 を感じていました。頂上で泊った山小屋ではひとつの布団に二人で寝るという面白い寝方。消灯を過ぎると電気は消され時々光る稲妻以外は真っ暗で、敷き詰められて足の踏み場がない布団の上を、寝ている誰かの睡眠を妨げないようにそろそろと手探りで這って歩くのです。間違っても寝ている人の顔の上にだけは足を下ろさないようにと。すぐ傍に知らない人の寝息が聞こえ、誰かの寝苦しささえも私の耳に届きます。かと思えば大いびきをかいている人も居る。何もかもが新鮮に思え、私自身の身体の重たさもたいした問題ではありませんでした。私はまるで世間と違う世界に居るような気がしていたのです。さて 「日の出」 はというと、富士山頂に立つ私の目の前で、ゆっくりとその全様を現しました。私にはオレンジ色の強い光りが印象的に思えました。ところで 「雲海」 というのを見た事がありますか? 私は今日始めてみたのですが、身体の疲れを忘れてしまうくらいに美しい・・。見渡す限りを沸き立つような雲が敷き詰められていて、まるで 「もくもく」 という音すら聞こえてきそうです。自然がかもし出す美しさ。人間には出せない美しさ。私たちは自然に作られるさまざまなものがいつもその場所にあるように、自然を大切にしていく必要があるのだと感じました。そして足は疲れていないかというと、どうやら心の状態と筋肉の疲労度とはほんのちょっと違うようで、下山する時の私の足は、それはもう・・。そして筋肉の疲れが残っていても、私は機会があれば又どこかの山の頂に登ってみたいと思うのです。21:00
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