「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEXpastwill


2004年08月07日(土) 思考  「私」 の感覚

 私は胎児の頃に 「真の感覚」を傷つけられていたとすると、現在持っている傷を癒やしていくにはそれなりの時間と能力とが必要なのだ。そして最も大切なことは、「傷を癒やしたい」 と思う自分が居ることだ。私は今、「過去と同じ人生を歩くまい」と思う自分を知っている。そして私は、自分の細胞レベルで感じる心地よさも知っている。

 ところで、「思考」に付いて考えている。どうしても浮かび上がるさまざまな思考。浮かんでくる思考の中で、どれをチョイスしようかと考えてみる。そうか、過去と同じ生き方をしない為に、過去と違う思考を選べば良いのか。そうすると、プラスの思考だけをチョイスすることになる。
そして今は、浮かんでくるのはプラスの思考が多いから、どうするかな。優先順位かな。これでいいのかな。更に 「優先順位を選べる私」 が居るために、やっていくことがあるんだね。
混乱し入り乱れたままの思考で生き伸びてきた私は、その混乱がどれだけ心地悪くても、そこから抜け出すには、相当のエネルギーを使うのだ。

私は 「その場所から抜け出しても安全だ」 という確信を持てると、そこから抜け出すことが出来るのだ。

 この作業をしながら、プラスの思考は纏めていけると良いのだ。どうすれば良いかな。でも今はまだまとまらない気がする。纏めようとすると私の感覚は途端に麻痺するから。

 細胞とか、思考とか、私は今、他者とはまったく違う世界に生きている。昨日 「今度、飲みに行こう」 と誘われた。
私は・・ 「心のことが語れるならね」 と、心でそっとつぶやいた。全ては自分が楽になるために。7:17



 一昨日から時々、この状態が「真の私」 だろうと感じる事があり その感覚には、何か確信めいたものすら感じている。私の体の隅々が、自分の感覚を知っている。自分では見る事が出来ない背中も頭のてっぺんも、それから爪の先も足の裏も、全身の全ての神経が自分に向かっている気がするのだ。これがまさに「真の私」 で良いのなら、これまでの私は 「偽りの私」 ということになるだろうか?

そして今日、私は 「真の私」を意識して社会に出ようとした。不思議なものだが、「真の私」 で居られる時には、自分がしていることに集中できている。集中が途切れる 「偽りの私」 になると、周りの言葉が耳に入り作業がごちゃ混ぜになっている。「偽りの私」は、周囲の雑音に意識を取られていて、その中で「今、何をしているのか」を確認することだけにエネルギーを使っているのだ。それから今一度「今はこの仕事をしているのだ」と自分に言い聞かせつつ、自分の事をしていく事を繰り返している。

 書きながら思う。私は自分に意識を集中させることが出来る時、「真の私」 を感じることが出来るのだろう。ということは、どんな時も 「集中」 することはとても大切なのだ。

 私は今はまだ、「思考」に付いて混乱している部分が多い。そしてそれでも毎日、何かを発見している。このようにして、毎日こつこつと取り組んでいくことで、いつか何かが見えるだろう。
今私が意識することは、誰かのフィルターではなくて、私自身の感覚で現実を生き、社会を知り、全てのものを自分の感覚で掴んでいくことだ。それを持続出来る私であれば、私は又成長できるのだ。

私はもっともっと自分の時間を作り、自分の心を見つめる為に使い、 「真の私」 の感覚を取り戻していこう。私は、仕事をしていても車を運転していても、トイレにこもっている時さえも、全てを自分の心の為に使っていく。
21:00






Mamo |MAILHomePage

My追加