「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年06月14日(月) |
私の現実 自分の人生を楽しもう。 鵜呑み |
仕事の日。出勤前にふと人間の身体に付いて知りたいと思った。ワクワクしてきて、これからは仕事を楽しめる気配がした。
職場では 「 あなたメッセージ 」 が飛び交っている。特に怒りを抱えた言葉は強烈に私の心に突き刺さる。無力な私にはならなかったけれど、自分ではなく他者を見てしまう私がいた。そうか、自分ではなく他者を見るから良くないのだ。そういうことか。やっと分かった。
昼休みに、一昨日の職場で私に怒りをぶつけた人の話が私の耳に飛び込んできた。でもその内容はちょっとだけ事実とは逸れている。そうか・・世間の会話のからくりが見えてきた。たいていの事は感情のままに他者に語られる。そして感情が入った語りは、事実の上に少しだけ何か違うものが上乗せされるのだ。そうか、その人の主観が上乗せされるのだ。だから私たちは、他者の話を鵜呑みにしてはならないのだ。特に人のうわさなど。といいつつ、私はその語りに便乗してしまった。でも今日の私は、「自分には出来ないことがたくさんある」と語ることが出来たのだ。事実だから仕方が無い。出来ないものは出来ないのだ。でも実は、興味を持てれば何でも出来ることも分かる。そしてこの頃は職場でも自然に楽しめそうな気がしている。
夕方になり、副主任が突然 「 私はもうすぐ辞めるからね・・ 」 と言ってきた。あと3週間ほどで退職されるそうだ。彼女は私に「嫌なことがあったら、ただもう “ 仕事だ ” と割り切ってね」と言った後 「 ま、人間関係が難しくて、いろいろあるけど頑張って働いて 」 と付け加えた。 私は少しだけ間を置いて 「 仕事を楽しみます 」 と伝えたら 「 そうそう、そうだね! 」 と返事をくれた。その時の彼女の表情は、私の言葉に少しの違和感も持たなかったように見えた。今の職場に入って半年間「仕事を楽しみたい」と言い続けた私の言葉に共感にした初めての人。プラスを受け入れられると嬉しいものですね。
本読みをしていてふと思う。過去に満たされなかったもの、満たされていなかった欲求を他者で埋める事は出来ないのだ。過去は終わってしまったのだから。例えば何人の男性を付き合おうと、どれだけたくさんの友人を持とうと、私が私を見ずに他の誰かを見ている限り、私の欲求が満たされることは永遠に無いのです。
明日一緒に仕事をする人と話をしていたのに、その何分後かに 「 明日の仕事は何? 」 と真顔で聞いてる私がいた。はっとして一瞬どこかに消えてしまいたくなる。コーヒーを入れて掃除を始める私。パソコンを開いて食事をしに行く私。一週間前の情報を真顔で話してる私。社会の中ではどうしてもまだまだ細かく途切れてしまう。
別の誰かは私の頭の中で言いました。 「 私たちが何度も出入りしてたら、記憶がひとつにならない 」 と。
又別の誰かは言いました。 「 私じゃなくてMamoちゃんに仕事をやらせなきゃ 」 と。
私以外の別の誰かが前向きな発言をするということは、私Mamoはそれが出来るだけの能力をもてたということ。つまり、その部分を楽しめる私になれたということなのです・・・だと思う。何故なら私は、「 自分の生を楽しむために存在する 」 からです。
ではどうすればいいのかな。自分を意識しよう。自分が今何をしていて、何を感じているのかを、私はいつも知っていよう。
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