「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年06月11日(金) |
「二年目の始まり」 社会に出てみよう 断罪 |
一人で家にいて、私は何がしたいのだろうと考えました。こんな気持ちを感じたのは2回目で、今日の私は自分がやりたい事をただ進めていけばいいのだと思えました。少し前にはやりたいことが山ほどあるように思いましたが、今はただひとつ、過去の傷を癒やす事だけなのです。
夕方ゆっくりと料理をし楽しみました。一人で料理して、一人でご飯を食べる。これまで一人の空間を意識したことが無い私だったのだと改めて感じました。こんな時には自分の周りの時が止まっているようにさえ思えました。本当は時間はどんな時も同じように流れているのですよね。
ゆっくりとした空間の中でふと思いました。私は現実を生きている。私がこれからも成長する為に、社会に出ていろんなモノを収集し、その中で自分の価値観に沿うものを選んでいくことは大切なのではないかと。
何となく、プラスな動きが出来そうな予感がしています。 いつもいつも前を向いていけば良いだけ。思考が乱れたらMamoを意識すれば良いだけ。 たくさんの思考の中から私の思いをチョイスすればいいだけ・・。
「二年目の始まり」
二年目の始まりです。といっても、何も特別ではありません、私はただ毎日を生きていくだけなのです。
一昨日語り合った複数人格を持つ彼女と居た空間で、私は重たい何かが背中から襲い掛かってくるような感覚に捕らわれました。二人でいるときにはそれが何なのかを考える余裕がありませんでした。私はそういう場合に姿を変えてしまいがちなのですが、自分を意識しつつ、私が自分への違和感を持ったまま彼女と接することで、彼女を刺激してしまわないようにとも考えていました。
でもそこでふと、ちょっとおかしな考えだということに気が付きました。例えば私が誰かを傷つけてしまわないように意識することはとても大切ですが、そもそも自分に意識を向ける事が出来ていれば、隣に誰かがいたとしても、それはごく自然にそこに居るだけで「刺激してしまわないように・・」と考える問題ではないように思えたのです。
ということは私は私を意識すれば良いだけなのですね。いつもいつも・・。そうですよね。誰かの為にそこに居るのではない。私は私の欲求を感じて、そして現実に存在するのだから。
彼女と別れた後、私は重たい何かが実際に自分の中から飛び出てしまいそうになる感覚を感じました。これは初めての告白ですが、こんな時の頭の中はいつも映画『エイリアン』の中でエイリアンのお腹から赤ちゃんが生まれる瞬間の映像そのものなのです。重たい何かと共に軽い吐き気に襲われて、それから何か表現できない怒りが押し寄せてくるのを感じました。
“ 怒り ” ・・そうだった。私がいつも抱えていたものは、人格を破壊されてしまったことに対する激しい怒りだったのです。以前の私はこの怒りを自分が中に入り他の人格が現実に出た状態で表していたのだと思います。
人格破壊は史上最悪の犯罪です。
何故なら “ 命 ” とは他の何にも変えがたい尊いものだからです。 私はひとつ罪を犯しています。それは私自身の子どもの人格を破壊していたことです。
社会の無関心が人格の破壊に大きく影響していたのだとしたら、遠い過去に作られた法律を変えていく必要があります。 「親のおかげで・・」と言って生きている人が居たら、自分を見直す必要があります。家も土地も地位も名誉も、亡くなった人が眠るお墓でさえも、過去から続いているもの全ては本当に必要なものかを考える必要があるのです。 でも、私は今はまだこの事を人に伝えることが出来ません。何故なら過去に子どもを傷つけていたから。そして今もまだ残された傷に振り回される自分が居るからです。
私は自分の罪を償いたい。 私が罪を償う方法は子どもに対して何かをすることではなく、私が“私”として現実で生きることです。
ロボットではない、自分の傷みを知る “ 人 ” として。
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