「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEX|past|will
2004年05月25日(火) |
風 時間の流れ 二面の私 真実の私を求めて |
夜勤明けです。昼間の仮眠から起きてみたら・・私は今日始めて夜通しで働いた後の自分の身体はとても疲れている事を実感しました。当然ですよね。本当は日中使ったエネルギーの分だけ休ませる必要がある身体を夜通し起こしておいて、仕事をしているのですから。
昨日から、私の中で時間はとてもゆっくりと流れています。社会はずっと前からいつも同じ調子で動いているのだろうけれど、今の私の周りの時間はまるで水道水が蛇口からちょろちょろと流れるようにゆっくりと流れています。そしてこれからの私の人生は、器の汚れがほんの少しの水でもきれいに流されていくように私の傷もただゆっくりと確実に剥がれ落ちていくのですね。
過去には、外を吹く風は鋭く私の肌に突き刺さりました。そして今は、過去と同じように私の周りで吹く風は、私の生身の肌をただ優しくなでるのです。
お掃除をしました。それがですね・・突然靴を洗いたくなり、靴を洗っていてとても気持ちが良いものだから、掃除機をかけたくなり、部屋がきれいになることもとても気持ちが良いものだから、今度はトイレ掃除もしたくなり、それもまたとても気持ちが良いものだから、お風呂のカビまで取りたくなり・・・・と、こんな具合に気持ちよさの延長で動いていたら、いつの間にか自分のいる空間が気持ち良いくらい綺麗になっていたのです。洗剤のアブクの中で綺麗になっていく靴を見ながら、過去にもこんな風に靴を洗っていた自分を思い出しました。 「 あの頃こんなに楽しく靴を洗う自分はいなかったのは何故だろう 」 自分自身に投げかけた問いの答えを今は無理に探し出す必要もなくなり、私は傷を癒す作業をしていくだけで良いのだと、自分を確認する私でした。
私は今日、「癒されて居ない部分の自分」を見ました。 子どもの人格の気配を感じて交代を防ごうとした瞬間に、私は底に落ちていました。それはまったく防ぎようが無い状態でただ苦しくてたまらない、体のおき場所が無い感覚を感じるのみでした。 私は過去にはいつもあんなふうにして、突然闇に吸い込まれていたのですね。まるで自分の力が現実の何処にも届いていないような感覚で。 そして私は・・・ “ その時 ” の自分の姿にとても驚きました。とてもとても・・・。
楽に生きている私と、癒されていない部分で苦しんでいる私。どちらも真実の私なのですね。
そして今は、悔し涙を流すだけでは.癒された部分で現実に適応している私を見ているだけでは、本当の私にはなりえない事を知りました。
今の状態の私では、社会に適応する事が出来るのみで、癒されていない私は永遠に同じ事を言い続けるのですね。
そして癒されていない私を嘆いているだけの自分では、私の楽な部分は今以上に広がっていかないのですね。
私の中の人格の共存がありえないように、社会に適応するだけの自分も、私の中ではありえません。それは “ 真実の私 ” ではないから。
それならば・・・私はこれからも自分を見据えて、本当の私を探して生きます。21:50
|