「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年05月21日(金) |
弱さ 混乱中 自分でない自分 |
結局こういうことだと思う。私は殆どたいていの場合、Sofyとして生きている。それは過去から長い間生き抜いてきた方法だったのだろう。だから、これが “ 傷を背負ったまま生きている本当の私の姿 ” なのだ。そして適材適所でさまざまな人格と入れ替わり、更に自分たちが楽に生きられるように動いてきた。
ではなぜ今までSofyとして生きている自分に気が付かなかったのかと言うと、そんな自分を見る能力がなかったからだということになる。つまり、弱くて人の視線ばかりを気にして生きている自分なんて、自分自身で認められないわけだ。自分の弱さをまるで負け犬のような感覚に捉えていた私は、過去の傷に巻き込まれたままで生きている惨めな自分を見る事も認めることも出来なかったのだ。と書いていると後ろで「惨めと言わないで」と言う声が聞こえるけれど・・。
Sofyは傷を負わされ傷ついたままの私です。だからマイナスの人格をたくさん抱える。そして今でも些細なことに怯え動揺し、その混乱から抜け出す為に他の人格と入れ替わる。でも、そんな彼女がいつも私のすぐ後ろにいるのは何故だろう。まるで裏表だ。私は彼女ですか?どうすればいい?!昨日から頭が混乱しています。こうやって書いているところに、後ろでいろんな声がして私はその度にここを書き直さなくてはならない。私に怒らないで欲しい。悪いのは私じゃない。私は他の誰かにこの作業をして欲しいとは言ってない。私がやろうしてるだけなのだから私の邪魔をしないで欲しい。出てこないでもらいたい。
・・こういうのは方法が違いますよね。私はプラスの事をしていくんですよね。 深みに嵌ってる。7:50
本当の私とはどういうのでしょう。本当の私は、“ 自分の真の感情を知っていて、そしてその自分はどうするかを考えられる自分 ”です。自分でない自分とは “ 元気な振りをする自分であったり、歌を歌って自分の感情を無視する自分 ”であったりします。他にもいろんな偽りの自分がいます。私の場合それらの殆どは人格化しています。
私は過去に、子どもとして大切にされる術をどのようにして学んだでしょうか。残念ながら、“ 子どもとして大切にされた記憶 ”は無いので、子どもとして認められるために学習した事を考えてみます。私の場合は親の表情を見て、伝えたい事を小出しにして、傷ついても傷ついていない振りをして、自分がどうすれば良いのかを瞬時に掴んで動いていました。過去に会議の議長なるものをしてきた人はkyokoですが、たいていの場合彼女が次の動きを決めていたのだと思います。
傷ついてない振りをするのはもう止めましょう。FBしてるのに、それを無視するのも止めましょう。感じないように歌を歌うのもやめにしたいです。 私達はもう今は、自分が傷ついている事を認めても良いのです。私達が本当の自分になったとしても誰も私達を責める人はいないのですから。例えば私のそばに誰がいても、私は自分の事を感じたい事を感じ、好きな事を考え行動しても良いのです。
今朝の空を見ましたか?台風一過で晴天の中を面白い形をした雲がふわふわと浮いていたんです。私はカメラを持参していなかったので、なんとも悔しい思いをしましたが、それでも朝からワクワク気分を味わいました。そして職場に行きその事を話すと、私と同じように空を眺めてワクワクした人がいたんです。何だか嬉しくなってしまいました。
今日の仕事は・・昨日よりは自分を意識できただろうと思えます。他者の表情の中にいろんな想像をする私がいるんです。
疲れて当たり前ですね。職場にお産で退職されて、この度6ヶ月になる赤ちゃんを連れた方が来ました。赤ちゃんとはお肌もお顔も可愛いものだから、大人達の腕と腕の間を行ったり来たりでした。赤ちゃんは丁寧に優しく扱われなくてはなりません。私達が当然と思って触れている肌も赤ちゃんにとっては初めての感触なのですから。そっと優しく丁寧に扱われる必要があるのです。
夕方になり私は家からデジカメを持ち出して、サンセットを撮ろうと車を走らせましたが、こちらも時間切れ。今度飛行機が撮れると良いなぁと思っています。22:26
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