「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年05月12日(水) |
私がやっていくこと。 自由に生きてる。大きな変化の予感 ?さんへ |
ただ自分を意識して、でも時々この私のすぐ後ろにもう一人の私の気配を感じて、それがしばらくすると、もう一人の私の中の又別の一人なのだと気が付かされる。それは大人であったり子どもであったりする。いったい何人いるのか分からない。もう一人の私は「100人」とか「とても数え切れない」という言い方をする。私は始めこの人数に驚いた。でもこれが現実だから仕方がない。変えられない事実なのだ。そして私は私を意識する。朝起きた瞬間からそう思う。足を前に出す、自分のつま先が床に付く瞬間を感じようとしてみる。今日の私は何と出会い、何を考えるだろう。楽しみだ。
もう一人の私は、多分私に名前を付けて欲しいと感じているのだろう。それは十分分かるのだけど、何も思いつかない。思いつかない理由がほんの少しだけ分かる。そしてそこを見ていても進まないので、とりあえずいつもと同じように生きてみる。
もういいよね。影のように空気のように生きる事はしなくても良いよね。私はあなたが生きている事を知ってる。一緒に生きる事が出来る・・・かもしれない。7:20AM
部屋の模様替えをしました。何を模様替えしたのかというと・・・。私のこれまでの能力を整理したのです。中には今の考え方として「ちょっと違うなぁ・・」と思えるものもありました。でもそれはそれで良いのです。あの頃はそれらを考えられる私を信じることで生き延び、成長してきたのだから。何個かの能力のリストを剥がした後、現在の私Mamoが全身で感じられる能力を書き足していきました。
過去に感じた能力の中に「過去を捨てられる」と言うものがありました。過去を捨てられる・・・。そうですよね。過去は捨てても構わない。そして今は、過去は過去で存在しても構わない。この過去を持つ私が今此処で生きているのかなぁと感じていますが、どうでしょう・・・。
実は、この先の何日かの間に、私の中でとても大きな変化が起きる予感がしています。それはまるで、私の中に隔たっている分厚くて固い壁が音を立てて崩れようとしているかのようです。壁の向こうに居るのはもう一人の私ですか?私はこれまで、自分と彼女の間にこんなにも分厚い壁がある事を知りませんでした。・・・と書いてみましたが、実際には壁の向こう側には誰もいないのかも知れません。此処のところは分かりません。
でもね。ホントウはですね。私は何かを見る方向を逸らしているのかもしれません。何かが大きく音を立てていて、それはもうすぐそこでトグロを巻いていて、でも私はそれらを簡単に押しつぶせるように思えるのです。
今日私は同じ職場で働く一人の女性に「自由に生きているように見える」と言われました。「この私が自由に見える?!」私は何だかくすぐったくなりました。・・今の私は社会の中でそんな風に移ることがあるのですね。過去には何とか楽に生きたいと、そして何とか自由になりたいと、それだけを考える私でした。4ヶ月前には「優しく生きたいよりよく生きたい」と思う私でした。そして今は、社会の中で自分を遊ばせてあげる楽しさを知り、そんな私はいつの間にか、ごく当たり前に自由を感じて生きられる時間を持てていました。もちろん傷が癒えた部分だけですので、何時もいつもではないことは感じています。だから私はこれからも自分を見つめていくのです。心を見つめることは、何をするよりも楽しいことだと感じます。私のする事の一つ一つが、自分の心の問題の成長と繋がっていくのです。
私を自由だと言ったその人は「自分もそうしていたいけれど、ついつい自分を造ってしまう」と言いました。そうですよね。過去の私もそうでした。そして現在でも過去の傷に巻き込まれて偽者の私を演じる瞬間があるのです。そんな私がその方に語れたことは「みんな楽に生きれると良いですよね」の、一言のみでした。本当に私はまだまだ楽に生きたいと思います。
あっ!書いてみて分かる。私は私の事のみを語れば良いのに、“皆”の事として語ってしまいました。まっいいか。・・・これから先同じような事を言われる事があったらなんと言えるかな。
「私は楽に生きたいのです。・・・自分を大切にしたいのです・・・自由に生きたいのです」うーん。どんな風に自分を伝える事が出来るでしょうか。今のところは「私はもっともっと楽に生きたいのです」かな。こんな事を考えてみる事もまた、とっても楽しいのです。22:43
M ゆっくりで良い。慌てなくても良い。私はあなたを知りたいと思う。私はあなたを知るというよりは、私という別の私を知るのだと思う。知る必要があるのだと思う。ACの本は自分と照らし合わせながら、読めるときに読んでいけば良いと思います。23:00
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