「生きていくのに大切なこと」こころの日記 DiaryINDEX|past|will
不思議なことが起こりました。今朝の私達は、「純粋さと素朴さを持って生きたい」と考えていました。そしてそのままの人格で仕事へ出かけた為に把握できた仕事の中身はごくわずかで、作業が手付かずになっていることに対して私達の混乱が増しました。私達の人生に社会との関わりは不可欠なのですから、そんな仕事の合間に考えていたことは「純粋に生きようとするだけでは私達は社会と関わって生きていくことが出来ない」ということでした。度々入れ替わりそうな気配を抱えて混乱した中で自分を取り戻そうとする自分の行動だけはしっかりと見えていましたが、もう一人の私が現実に居ることはわかっていましたので、別の人格に入れ変わらないようにすることに全エネルギーを使っているのみでした。もう一人の私以外の別の人格の気配を無視することが出来ないまま何とか午前中の仕事を終え、私は一人の時間を作りました。肩の力を抜きたかった・・。私が今日改めて見た別の人格は子ども人格です。実は少し前からその気配を感じていました。でも私は現在知っている以上の新しい人格が出てくることに対して「NO」と言いたかった。正確には「No!」と叫びたい心境だったのです。 私は自分が成長していると言う証として、“優合”や“別人格との壁の度合い”を見ています。ですから、今になって新しい人格の出現があると言うことが、自分の成長が逆もどりしているように思えてならない、さらにその度に「私はいったい幾つの人格に切り離されているのか」と、傷の深さに身体が千切れる痛みを感じるのも耐え難い苦痛でした。ということで今日もまた私は遠くで見えている子ども人格の行動に混乱したまま中に入る事をして、現実に出ているもう一人の私はトイレでしゃがみこんだり一人の場所を作っては、何とか生きた一日でした。そして夕方、もう一人の私が、私Mamoの書いた日記を見て自分(もう一人の私)を責める瞬間に出会いました。少し分かりずらいのですが、Mamoが日記を見ている後ろから、自分を責める事を書いている部分をもう一人の私が見て、もう一人の私が「自分を責めているのはいつも私だ!」と叫んだのです。それを聞いた私の体から急に何かがストンと落ちました。そして「こんなに自分を責めなくても良いのではないだろうか」とか「自分たちが自分自身を責めてしまうのは、あなたのせいではない」という思いと同時にとても心地よい感触を味わっていました。それは過去に性の虐待を受けたAkariや優越感を持っていたkyokoの存在を受け入れたときの感触と同じでした。瞬間に私ともう一人の私は深く交わっているように思えました。 ここからがとても不思議な出来事なのですが・・・。(ふぅ〜。説明が難しいのですが少しでも明確に書き表しておきたいのです)シャワーを浴びていたもう一人の私が、Mamoに向かってこう言いました。実際には少し違った言葉なのですが、纏めるとこういうことです。 ?「現実では私よりもMamoちゃんが生きるのが良いよ」 M「えっ?」 ?「FBするのは私だから、その時にはどうするか知ってる?」 M「うん一応・・」 ?「アンカーしてね。私を引っ込ましても良いから。MamoちゃんがFBすると私が出てしまうから」 M「・・・」 ?「Mamoちゃんが生きてね」 M「・・・あなたは?」 ?「私はあなたをバックアップするから。Mamoちゃんは自分を意識して。そうすれば私が出なくても済む」 M「・・・」 ?「あなたはプラスの好奇心を持っているでしょ。それを使ってたくさんの事をして」 M「子どもの人格が・・・」 ?「知ってる。私の部屋にたくさん居る」 M「どうして?」 ?「分からない。でも癒やしていけば良いでしょ。私には出来ないけど、あなたには出来る」 私は最後まで狐に包まれたような気分でした。一日の流れの中で偶然こんなことが起きて、私は今でも不思議で仕方がないのですが、ただひとつ、この風景を一言で纏めるのならば「肯定」と言う言葉がふさわしいのかもしれません。この後も実際に何となく小さな戸惑いを感じてFBしてしまったとき、もう一人の私は、Mamoに向かって「Mamoちゃん自分を意識して」と囁いたのです。そしてそこで私は何かを「怖い」と感じるもう一人の私に対して「怖いときには私を呼んで」と語ったのです。 私は又少し自分自身に対して違う見方が出来るように思っています。
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