イイ男のタンクトップもイイ女のノースリーブもセクシーだと思うみなさん、 こんにちは。
それぞれの持つ意味に違いがあると思うチャボです、どうも。 何かの間違いで女に生まれていたとしても、見せられる体ではなかったと思いますが。
> 女王様とのメッセとかminakoさんのWeb日記とかから 強くあるってのは、ナンなんだろうね。 物理的な強さについては言及するまでも無いから省こう。
精神の強さ。
それは言い換えれば心の大きさになるのかな? 誰にナニを言われようとも自分の心を乱されることは無く冷静に受け止め、 誰に迷惑をかけることも無く、頼られれば尽力することを惜しむことも無く、 一度決めたことを決して妥協せずに何事を投げ出すことも無い。 自立と自律。 この2つを完璧に成すことなんだろうな、きっと。
自らに依ってのみ立つことと、自らを律すること。 よく混同されるけれど、それぞれ別のことだと俺は思う。 どんなに言われようとも確たる信念を持って自己を確立することと、 成すべきと成さざるべきを弁えて自己の言動を律すること。
誰をも頼らずに、自分に起こる問題を自分だけで解決する。 これができれば、きっとそれは強さの表れだとは俺も思う――解決できたならば。 できもしないのにそれを独力で解決しようとするのは、弱さの表れだと俺は思う。 経過を問わず、厄介ごとを解決できないのは弱いからだろ。
自分の動きや言葉が引き起こす事象を考えて、これを律する。 俺が決してやらないこと。 これを言えば傷つくだろうから言わない――そんなことを俺はほとんど気にかけない。 《だろう》《だろう》と憶測してばかりじゃ、何も言えなくなってしまうから。
‥‥ある意味で、これは強さになるのかもv 結局は傷つけただけという結果に終わったこともつい先日にあったけれど、 俺は懲りずに俺が言いたいと思うことをズケズケと言っていく。
俺は、まだ自立も自律もしてない俺自身を、情けなく思う。 在りたい自分になれないから、もどかしい。 そのもどかしさもまた俺の一部であるコトを受容して、俺は俺を俺として確立する。
今そこに在るものをそれとして受容し、それすらもまた向上の糧とする。 それが強さってもんじゃないかと思う。
この日記を書くことも、この日記を通して言葉を交わす人も、 この日記を通さずとも直接的に言葉を交わす相手も、 それらの会話によって生じる意見も感情も、それを受けて何事かを考える俺さえも、 糧として俺自身の向上を俺は図っているつもり。つもりだけかもしらんけどv
全てを糧としよう。 世界は、俺自身を向上させるための糧だろ。 俺は心に強さを得るために、人と関る。 強くなれば、糧として貪ってきた人への恩返しくらいは軽くできるようになるだろ。
弱肉強食って言うだろ。 俺は強くない、けれども他を糧として喰らう。 他肉弱食ってところかな。
> 数字が織り成す華麗な奇術 高齢化社会では4人の労働者が1人の老人を支える(1人あたり0.25人)。 高齢社会では2人で1人を支えると試算されている(1人あたり0.50人)。 日本の1世帯はおよそ4人とされた上での計算。 ただでさえ1人の労働者は伴侶と子供2人を合わせて3人を支えているわけで。 老人を含めて考えると、現状では1人が3.25人を支えているってことだな。 これが今後は3.5人を支えることになる、と。
‥‥‥‥大して差は無いンじゃないの? そう思える俺は、数字のマジックに踊らされる愚かな道化。
> ヨン‥‥様? kakyoumanaさんの《魔那の悠悠自適ゆいがどくそんな日々。》7月4日分。 おそらく《冬のソナタ》に出演しているペ ヨンジュンのことだと思うけれど。 それって《太郎》って名前の人を《タロ様》って呼ぶのと一緒やン? 中途半端じゃん。 ペ様って呼んじゃ駄目?
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