ただひたすらに長ったらしいだけの読み物をつらく思うみなさん、 こんばんは。
最近はただひたすらに長ったらしいだけの日記を続けてしまったチャボです、どうも。 だからと言って今日こそ短い日記で済ませると言うことも無かったんですけど。
医療センターでバイト。 朝8時から夜11時まで、魔の15時間連続勤務(休憩無し)。 やけに患者数が多いな‥‥それはともかく。 乳幼児に鼻歌を聞かせる母親って、絵になるよなぁ。 聞いてる俺まで癒される感じ――っつか、襲いかかるべきか? 恐るべし人妻パワー!!(マテマテマテ
市の広報(5月21日発行)の表紙に載ってる女の子(推定7歳)がかわいい。 でもよく見ると今だけっぽい‥‥将来は並だろう。
‥‥ほら、あれよ。 生まれたばっかの赤ん坊は猿にしか見えないってのと一緒でさ。 育児雑誌の投稿ページに載ってる赤ん坊はどれも同じにしか見えないのと一緒でさ。 ‥‥。 これ以上は、本当に悪役的発言になってしまうので取り消し。
> 卑猥な替え歌 ♪おじょぉっさーん おまちーなーさい ♪ちょぉぉっと 犯しーまーしょっ
(中略)
♪あらくーまーさん ありがーとーぉ ♪お礼に 抱かれーまーしょっ
> 対不特定多数日記読み極悪日記 人を信じることができないと言う人の日記を読んだ日記を書くことが多いです。 ‥‥‥‥多いと思います。 人を頼れない、頼り方が分からない、無意識下に潜む人への不信。 そういった日記を相手としての日記が、特に最近は多いなぁ‥‥。
鬱陶しくなってきたので、そろそろここいらで毒抜きをします。 文字色を白反転させますが、読むときは覚悟を決めてください。 なお、以下に書くのは俺の奥底に潜む悪意ですが、 それが俺の全てではないことを事前に断っておきます。
さぁ、鋭利な言葉で微塵に刻まれて――泣け。 ↓は《人を信じられない》と言うあなたの心を抉るための文章だ、 泣いてもらわなければつまらない。
人への信頼も人とのつながりも持たずとも、人は生きていける。 他の動物と違って、自分の都合に合わせて食べ物を集めたり増やしたりするための知識を持つから。 この日記では、その知識を持ちながらも行使せずに、人の社会で安穏と暮らす人を相手にしている。 そして俺自身もまた、安穏に暮らしながら、信頼という名の《甘え》を捨てられない1人。 わざわざ寄り集まらなくても生きていけるはずなのにその事実から目を背ける―― そンな精神的弱者の集団が人の社会と言うものじゃないかな。
信頼って、弱さから生まれ出るもんだと思う。 《頼》って字が入ってるじゃん、ナンかしらをアテにするのは弱い証拠でしょや。 自分1人だけではできないから他者の力を借りる――あるいは期待する。 こう考えると《人への不信》ってのは、《強さ》の表れじゃないかな。 《個としての強さ》。
人を信じられないことに息苦しさを覚えるのは、人の社会があなたにはふさわしくないから。 ここから跳び出せば、そンなくだらない悩みに人生を費やさずに済むと思います。 それでもここを出て行きたくなければ、自分が変わるか、人の社会そのものを変えてください。 自分が心地よく感じるには、自分自身を変えるか、環境を変えるしかありません。
それが社会であれ世界であれ、俺たちがいる場所には法則――言い換えるなら原理がある。 決して破れない絶対的なものと、変えられるけど変えるべきではないものとある。 前者は例えば生死であり、後者は例えば文化に則った慣習だろう。 《人の社会に生きるならば人を信じる》ってのは、明らかに後者の《変更できる》原理だ。
けど、絶望的多数の人が、そのルールの変更を望んでいない。 だから、あなた自身が順応してください。適応してください。 既存のルールに順応するなんて、簡単なことでしょう。 人を殺せば罰を受けるというルールにだって、あなたは順応しているはずなのですから。 内容は変わっても、同じ次元の話でしょう。
どいつもこいつもマッタク同じくだらないことで悩んでるクセに、 その中の誰もが俯いてばかりいやがる‥‥。 胸を張れ、首を立てろ、顔を上げろ、前を見やがれ。 悩みへの回答も、それをくれる人間も、お前らの足元なんかに居るはずが無いんだ。
もう何度目かな、俺が《俯くな》と言うのは‥‥。 これほど言ってるのに道往くヤツの大半は前を見やがらねぇ―― そして自転車上の俺と路上マンツーマンディフェンス。 何1つとして思い通りにいかねぇな‥‥それだけが世の中で唯一の真実なのかね。 ちくそ。(カワイク
> 今日の笑点 青木さやか、ちょっとおもしろかったなぁ。 《誰に頼まれたわけでもなく、勝手にバスガイドをやっております》 《いかがでしたか、ノン・ストップ・バスツアー?》
ところで歌丸師匠、佐田岬は四国の愛媛県だったと思いますが、鹿児島県との関連は?
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