ままにょにょ窟Lv10,000をまだ目指すしあわせ日記



思考が思考を生み、永遠に答えが得られぬような時でも、
あなたは考え、何かを想い、何かを得て、新しいあなたになっている。
あなたは考えることで、何かを感じることで、 常に新しいあなたに生まれ変わっている。
(RPG《聖剣伝説 Legend of Mana》より)




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2004年05月29日(土) 自滅しない(加筆アリ)

その日に見た中で気になったページへのリンクを日記から張るWeb日記書きのみなさん、
こんばんは。

この日記へのリンクを最新日記のページには張ってほしくないチャボです、どうも。
毎日書いていますから、ログはすぐに流れてしまいますので。

> 自爆
《日常的に自爆的会話してるよな》と心友の使徒サマ。
《昨日はインターンシップの説明会で学校に来てないから自爆してないだろっ》
《でもそのことを話して自爆してんじゃん》

ぎゃふん。
どうせ俺は今日も墓穴の底で墓穴を掘ってるよっ。

> 単なる日焼け
晴天の日のニコチンタイムは光合成タイム。
日光を浴びてメラニン色素を合成。
‥‥一種の皮膚ガンなんだけどね。

> よーし、みんなまとめて面倒みようっ
昨日も書いたけど、minakoさんの恋愛日記《AB(後略)》5月28日分
だから投票ボタンを使(後略)。

信じるってのは、必要なことのくせにものすごく難しいことだよなぁ‥‥。
でも、やってみれば、誰かを信じることなんて簡単だった。
当たり前のことだった。

友人を信じられないのは、どこかに自信が無い証拠だと思う。
いつか裏切られるのかもしれない。
いつか捨てられるのかもしれない。
その恐怖は、確かに俺にもきちんと内在する。

でも、本当に俺を信じてくれている人にそう思うのはよくない。
では、《俺は信じられてる》と考えるには、何を根拠とするか?

こいつはこういう存在である――そう定義づける根拠は常に自分自身だ。
見て、聞いて、知っていく――やがて定義づける。
何かを決めるときに必要なのは情報だ。
それを自分に与えてくれるのは、自分の目や耳や経験――つまり自分自身じゃないか。

自分はこうだと思いたいけど、でも実は全然違うかもしれない。
もしも違ったとき、それは自分の目や耳が未熟であることの証じゃないかな。
相手についての判断を付けるための情報を得るのがド下手ってことじゃないかな。
ひいては《自分には人間を見抜くための洞察力が足りません》って言ってるようなもんでは?

尊敬できる人を信頼するのは、誰にでも出来る。
ガキでも当たり前に出来る。
だって、自分よりも凄いんだから。

でも、尊敬と言うには程遠くても、身の周りには人間がいる。
人間社会で生きてるんだから、コレも当たり前。
仮にも友人と呼ぶ相手ならば、
自分にとって相手がそれに値する人物だと見抜かなければならない。
数多の人間に囲まれる中で、友人と呼ぶ人間の数なんてほんの一握りだし、
それなりの付き合いってもんを、時間と回数をかけて重ねてきているはず。

《コイツは俺にとってどういう存在なんだろう?》
友達として定義付けた相手にそう迷うってことは、自分の洞察力を疑うってこと。
自分に洞察力が無いとすれば、一人前には成れていないってことじゃないかな。
誰も騙さずに危害を与えず、誰にも騙されずに自己を守る――
これって大人に成るための――大人であるための必要条件の1つじゃないかな。

俺は既に二十歳を超えてしまった。
minakoさんも同じだろう。(絶対に25歳以上だと俺は思うv
俺たちは、既に大人なんだ。
大人なんだから、人を洞察できなきゃならない。
そのためには自分を疑っているヒマなんて無い。

もし捨てられたり裏切られたりしたときに、そのときに初めて自分を疑えばイイ。
今の自分は大人なんだ、一人前なんだ――だから、人をきちんと見抜ける。
見抜けている(はず)だから、周りにいる人間を自分こそが信じている。
誰かを信じるってのは、ひいては強い自信を得ることになるんじゃないかな。

《情けは人のためならず》って言うけど、《人のためならず》なのは《情け》だけじゃない。
どれを見つめたって、何をしたって、結局は自分に返ってくるんだ。

俺たちは、もう既に大人なんだ――なってしまったんだよ‥‥。

> 洞察する
重要かもしれないところで言葉を(投票ボタンで)欠く恋愛日記《AB(後略)》で、
《なんで分かるんだろう?》と書かれた。
《冗談で言ってるんだよな‥‥?》と少なからず思うので、冗談で返す。

俺の目はもはや千里眼など超えたっ、万里眼だっv
全てを見抜く、無敵の眼なのだっv

‥‥その割には、ずばりと言い当てられてない部分もあったみたいだけどナー。

> 命
坊主が憎くても袈裟まで憎むのはお門違いだと思う。
そう言い切れるのは、俺が野郎だからなんだろうな。

臼井 櫻さんの《ほんとはね。》5月28日分
人の命はどこから始まるか。
母胎から出たときか、受精したときか。

どちらにしても命はすべからく育まれるべきと考える俺は、理由を問わず中絶を認めない。
そして、それは女の苦しみを理解できない男故の冷徹な意見だとも自覚してる。


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