ままにょにょ窟Lv10,000をまだ目指すしあわせ日記



思考が思考を生み、永遠に答えが得られぬような時でも、
あなたは考え、何かを想い、何かを得て、新しいあなたになっている。
あなたは考えることで、何かを感じることで、 常に新しいあなたに生まれ変わっている。
(RPG《聖剣伝説 Legend of Mana》より)




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2004年05月16日(日) 恥じない

おむすびとおにぎりの違いがよく分からないみなさん、
こんばんは。

どちらを買うときも明太子が入ったものを欠かさないチャボです、どうも。
辛子明太子があれば普通の明太子よりも優先しますが、たらこは駄目です。

ナンでプロ野球に《コールド負け》が無いの?

> なにもない
昨日の教職課程講義《教育原理》を受けながら思った。
《人間は葦以上の何物でもない、自然界で最も弱い存在だ――が、人間は考える葦である》
とは、数学者でもある哲学者パスカルの言葉。
葦とはナニか。
水辺に生える、パイプ状の草で、増水にはあっさりと流される。
パイプ状の草、葦――か‥‥。
それはつまり、人間ってのは中身すっからかんってコトですね?
どれだけ思考を行なおうとも《葦》である以上は空っぽってコトですね?

> 目的と手段と
なお。さんの《love is without limit》のその後
取り敢えず、英語力以前に話すネタを仕入れて下さい。

言語なんて、所詮は道具。
自分の考えやら想いやらを相手に伝えるためだけの、無形の道具でしかない。
金槌の使い方を知ってたって、それを使ってナニをやったかの方がずっと重要でしょや。
英語を話せることよりも、英語でナニを伝えられるかの方がずっと重要なのよ。

できないことは、恥ずかしくない。
できないことをそのままにしておくことを恥ずかしく思うことから、自己成長は始まる。
ナニもできない状態で、誰もが生まれてくる。
自分を恥ずかしいと思うことを恥じず、恐れず、悔やまず、どんどん壁にぶち当たる。
そうやって、成長してく。

《壁を乗り越えるなんて、誰がそンな悠長なコトを? 壁ってのは、ぶっ壊すもんだよ!!》

> 大学と哲学
恩師の言葉を思い出した。
《《phylosophy》とは世界のありようを知る学問》であり、
《《university》とは宇宙はどのようにできているかを学ぶ場所》であると。

世界を知るとはナニか。
世界とはナニか。
大気まで重力で縛り付ける大地、大地に息づく生き物、生き物よりも古い無機物、
無機物から読み取れる歴史、歴史を綴ってきたこの惑星、この惑星が浮かぶ宇宙、
宇宙へ飛び出そうとする人類、人類が作り出した文明、文明を確立させる技術や理論、
これらが世界であり、それを知るための学問こそが哲学である――と。

哲学を行なうには様々なコトを知らなければならないし、
いずれの学を究めるためにも他の学を必要とする。
そして、それらのどれもが世界を知るべく人類が追求してきたものであり、
進めば進むほど知識の不足を感じ、それは自然に哲学へと通じる。
学問は全て哲学から派生し、どれもが哲学へと至る道であり、
また互いの学問へ通じる道も蜘蛛の巣のように張り巡らされている。

学問を文系だの理系だのと分けることはできないし、そこに意味は無い。
例えば――
算数ができなければ数学は解けないし、数学を行なうための論理的思考には国語が必要だし、
国語を学ぶことは自分らの生い立ちを――歴史をたどることであり、
歴史にて既に滅んだ生き物を調べるには生物学に頼り、
生物学を深めるためには数多の数式を読み解かなければならず、最初に戻る。

1つの好奇心はまた別の好奇心を呼ぶ。
行けども行けども終わりは無い。
好奇心の輪廻に囚われる自分に気付くだけなのに、人は一体ナンのために学ぶのか?
《知的好奇心》という名の《脳の肉欲》に従っているだけではないのか?

――などと考えるのも、哲学である。
哲学の《入門》――と言うより、入ろうとする《門》を叩く状態――と言うより、
叩く《門》へと至る道の途中――と言うより、自室を出て《門》への道を踏み出す程度のLvだけど。

《お前を作る存在は、こんな馬鹿げたことを考えているのさ》
外灯でアスファルトに投影される影法師に、そう語りかけてみる。


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