SA◎駄記録集
〜脱力万歳〜

2003年07月22日(火) 発掘☆遺物編

ぎゃあ〜☆☆☆

昨日、あれから堪らずに本棚の整理を始めちゃいました。
ここを避けて通るわけにはいくまい!
過去の同人誌だ〜〜っ

うっわ出るゎ出るわ
生まれて初めて作ったのが1995年の6月・・・
いや、発行日は7/23でした。
P20のペラペラコピー本。A5版で。

この頃、なんにも知らなかったよねー
トーンなんて4.5枚しか持ってなかったし。
たった一人で思い立って描いて切って貼って
楽しかったなータイヘンだったけど。

んで、もともと一人でヤるつもりだったのが
当時イベントとか同人界に染めてくれたオタ友が
半ばゴーインにくっついてきて
   ↑や、多分、私一人だったらすぐに飽きて
   足洗ってたハズだから。笑
   その辺は感謝?なんだけど

まだ自分でスペースの取り方とかしらなくて
知り合いのサークルさんに間借りさせても貰ったりしてました。
   ↑後にいらん摩擦に発展(苦笑)

で1ヶ月後には次のコピー本。
・・・2冊?マジで?私この頃からトバしてんのか。
バカじゃねぇ???
現物が手元に残ってないのでうろ覚えなんですが
まぁ描くのが楽しくてイベントも楽しくてウハウハ時代よね。
それまでまさか自分の作ったモノが売れるだなんて
考えたこともなかったもんにゃー

しかもこの頃って・・・
すごいの。絵が。文もだけど何もかもが
へったくそ!ぺーっ!!
初心者丸出しで初々しいです。あったんだよ、こんな時代が!!笑

そっから大体毎月1冊コピ本発行が癖になり・・・
あ、10月からは自分主催の会報誌もスタートだって。
毎月発行だよ?バカじゃねぇ(大笑)
これは編集を当時の相方に任せてたとはいえ
イロイロいらないトラブルがわんさか発生し
まぁ鍛えられたとゆーか。
以後、途中で隔月発行に変更しつつも1997年5月まで続いた。
20号を目前として19号で終わりってトコがイカス!苦

入ったばかりの園児ちゃん(会員さんのこと)もいたりで
迷惑かけて申し訳なかったにゃー。
でも、当時はその回だけが何事もなくスムースに進んで
疲れ切ってたし、限界だったし
ここで終われば後腐れナイ!!との判断だったのよね。とほ。

この会員制サークルをやってたお陰で
人脈とかは盛りだくさんだったっす。
好きな作品を通して、今まで知りもしなかった沢山の友達と
わいわい盛り上がれるって同人の醍醐味ですよねー。
例えその後対人恐怖症になろうとも!笑
いやー酸いも甘いも・・・ごちそうさまでした。
今から思うと、甘酸っぱい初恋の味ってカンジか?

初めて自分でスペースとってサークル参加したのが
1995年10/8東京。浅草文具会館☆
初東京遠征。初オンリーだよ。
この時の記憶が無性に楽しかったのが後々後を引きますね。
私の遠征好き&オンリー好きはここに原因が。笑

コスプレ崩れもしてたもんで、イベントの前にスニーカー買ったり
あ、確か夜行バスで行ったような〜
乗る直前までコピってたような〜〜〜
この時点で発行物は6冊位。オールコピー笑
ほんっとコピーばっかりしてたよな。近所のコピー機の
消耗が激しいこと!
小銭ばっかりジャラジャラ持ってました。

あ、このイベントが終わった辺りで
初めての通販が来たのね。くす。
やっぱり東京のイベントって楽しいなーっと改めて実感。
ちなみに初めてお手紙頂いたのは
なんと、初めての本で3人さんから・・・
私の同人の歴史は、読者さんに支えられてのものだね。感謝。

12/17これって冬コミ?違う、フツーの地元だ。
初オフです。初オフ。
オールキャラのカップリング4つ本。
わけわかんねぇ!!
よく買うな、お客さん!
フツーこんな本作らないよね〜
何やってんだろ。
ここで初めてコピーではなくオフ印刷だったので
在庫が沢山あってドゥーなることやら。
一年くらいかけて完売したときは涙が出るかと・・・遠かったわ。笑

で、私の癖とゆーか貧乏性とゆーか、
当時から無料本が大好きで、おまけ本と称して
オフには必ずといっていいほど付けてましたね。
無料本はいーーーーっぱい作ったなー
売るコトに対してなんか罪悪感みたいのがあって(未熟さと恥ずかしさ)
その点無料本なら気兼ねなしに作れる気がしたのかしら。

その後順調にいろんな本を出しー
8月にはFAXを買っちゃったしー
   ↑このFAXがくせ者よね〜必需品?
   これ故に仲間意識がまた断然UPして
   修羅場とかが楽しくてしょーがなくなる。ブルブル

で、9月にオフと合同誌を出した辺りでドクターストップ☆
桃は身体を壊して入院・手術なのねん。
もともと身体弱いくせに無理がたたったんでしょーね。
そりゃすさまじく荒れてたから。
午前中学校行ってー帰ったら描いて描いてー
結構バイトもしてたしー夏まで大学のサークルもしてたしー
心労もいっぱいあった。

大好きだった憧れの作家さんと仲良くなったのはいいものの
その後すれ違いが多くてなんとか習性しよーとしてたんだこの頃。
その後随分頑張ったけど結局ムリだったさ。

んで倒れたのねーバッタリと。
かなりダメージは強かったんだけど
私はなんだかイロイロとくやしかったのか
翌年1/1付けで小説本出してー
またガーガー本作りまくり。
当時のトークとか読み返すと、全然病気のこととか書いてないの。
なんか、弱いとこ書いちゃいけないとか強迫観念があったんだろーな。

ここで、2.3年しっかり休養してたら・・・とか思うけど。

ちょっと相方の話に戻るけど
コイツ、自分じゃなんにも作らないくせに
同等扱いなんだな(笑・チクショーぐちってやる!)
私は4年制の大学行ってて、向こうは専門学校で
あっちが先に社会に出るときに散々決断を迫られました。
てか、駆け出しの同人屋に何を求めてたんだろう。

就職するなり、フリーターになるなり
自分次第だと思うんだけど?
やる気があったら会社と同人両立出来るし
イザとなったらどっちか辞めればいいわけだし
実際その両方の狭間で頑張ってるヒトがほとんどでしょー?

なんで、そーゆー人生の決断を人任せにするかな?

わからない。わからない。
しかも、私は病後でリハビリ中だっつのに!笑

結局彼女は就職はしないでフリーターだかなんだかやってたけど
ずーっと文句タラタラってカンジだったよ、今思うと。
私は就職もしないでこんなに尽くしてるのに!って。

私がずーっと疑問だったのは
まぁ当時トーンと会計と会報誌の編集とか任せてたけど
自分からする仕事ってなかったんだよね。
仕事ってほどじゃないけど
自分でアイデァ出してー責任とってーってゆーのが下手?
そのくせ、ヒトのすることには文句とゆーか

つーか、自分じゃ何にも作り出さないくせに
指図するんじゃねぇ!!と思ってマシタ。

だって、ネームとか下書きでひぃひぃやってる脇で
ぷかーって煙草吸ったり
まだ出来ないのとか
酷くない〜?

や、なんでこんなに力説してんだ私。笑
結局彼女は現在、自分でもなんかしたいって言い出して頑張ってるみたいだけど
うん、いーことだ。
それで当時の私の苦しみを少しはわかってくれい!
イベントに一人で出て1冊も売れなくても
売る当てのない在庫を抱えつつも
それでも描きたきゃ書くのが同人だぜよ!
やめたきゃヤメロよ。
やりたきゃヤレヨ。
お金がないとか時間がないとか
みんな一緒だっつのー

そんで、そこを乗り越えたら同じ作り手同士
イロイロ語り合えるところも出てくるもんだと思うのよ。

あーよく、この「本を作るお金がナイ」って聞くけど
計画立てればいいんじゃないすか?
私のバーイ、最初のうちは毎月サークル費として幾らずつ
(確か3千円とか?オフの時は+1万5千円とか)
払っておいて、そこから全てまかなうようにしてました。
最初の頃はピーピーお金なくて泣いてたけど
軌道に乗っちゃえば、本の売り上げで次の本が出せるし。

私体力ないからバイトしてなかったんだけど
しょっちゅう「よくお金出せるねー」とか言われてて
当時飲み会だって買い物だってなんにもしないで
花の青春時代をつぎ込んだのよ!
キーっ

あと「時間がない」
これは仕方ないよね。諦めなさい。
時間がなくても元気とか盛り上がってる時は
そんなのカンケーなく本が出来ちゃうものだってば。
でも、その時寝て無かった分とかのしっぺがえしが必ず来る。

私のサイクルとして
2年半から3年ががーっと脇目もふらずに作りまくって
その後パタっと休養期間。
そして暫くしてムクムクと本作りたい虫が復活し・・・

そうやって考えると私のカムバックは2005年だな(爆笑)
何やる気か知らないけど。
その頃またバタバタ書き始めたりするのかもね。

でも、もぅムリはしたくないにょろ〜
ちゃんと環境整えて、
体調管理もして
楽しく、趣味の同人をやってみたい気はするサね。



ふぅ。その後ざっとチェックすると
1997年に入ってオフ本ガンガンだしつつ、
夏には北海道合宿があり
箔押しも張りーの総集編も出しーので
98年8月以降フェードアウト。。

その教訓を活かして?ワンピ活動を始めるのだが
続きはまたの機会にいたしとうございます。


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