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ここ数年、G・Wには川崎大師に行っている。 交通安全の祈願をし、家内安全のお護摩をたいてもらい お墓参りをして帰る。
地味なイベントだけど、私は案外気に入っている。 私が生まれ育った所は、川崎大師の門前町なので 近くの商店街を歩くのも懐かしい。
今日は雨が降っていて、お参りには向いていない気もしたが 思いきって出かけてみると 10年に一度の大開帳・『赤札』を配る月間であった。 ありがたい。
赤札とは 小さなお札に赤い字で南無阿弥陀佛と書かれてあるありがたいお札だ。 一日に2回乃至3回配られると聞いているが、それが何時なのかはわからない。 朝は早朝4〜5時から 一日中、途切れることなく多くの人が赤札を待って並んでいる。
亡くなった父は子どもの頃、早朝、山門が開く前から並んだものだと言っていたが 私は、近所に住んでいた子どもの頃もその後も、一度も並んだことがない。 母や、今も近所に住む伯父が頂いたもののお裾分けにあずかったことがあるだけだ。
今日も、ほんの一瞬『並んでみようかな』と思ったが そんな根気が自分にあるとも思えず、あやぽんもその気がないというので諦めた。 しかし。 かずぴーは違った。 レアもの大好き・お利益と名のつくものに弱い・タダならなんでももらう という彼にとって、それらが三拍子全てそろった赤札は 彼の信仰心に関係なく、何時間でも待つに値するものであった。
私とあやぽんが、商店街を散歩し、あんみつ&くず餅を食べ、ぼけぼけ過ごしている間 彼はじっと並んでいた。 そして。 待つことニ時間半、とうとう赤札を手に入れた。 彼は大変、満足気であった。その満足感は、彼をゆとりのある人にしていた。 赤札の御利益はすでにあった、と私は思った。
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