2005年05月11日(水) |
ぼーっとTVを見ている自分 |
最近TVで金持ち披露番組が多くなった気がする。 もっとも、貧乏番組もあったりするが。
インドのカースト制度や江戸時代の”えたひにん”、 中世ヨーロッパの貴族(日本の華族)があったように、 世の中にはランクというものがあって、なかなかそれを越えることはできない気がする。
中には、時代の先端を走って立身出世する人も居なくはないし、 アメリカンドリームなる言葉も存在する。
でも、おらっちは完全に庶民であって、中流の下(或いは下流の上)というランクに位置するのだろうか? 間違っても、この先ランクアップは望めないだろう。 もし、ギャーオッって間違って宝くじで億万長者(今ぢゃ、死語か?)になったとしても、ランクアップするわけぢゃ無いダ・ナ・ゾ それで人間変わるとも思えないし。
人生の岐路ってやっぱり20代までなんだろうな。 脱サラというコトバが無いわけでもないだろうけど、それで成功するとは思えないし。 ましてや気力が萎えている。
確かに、おらっちも幾つかの岐路はあったけど、 ランクアップを望めるような岐路ではなかったろうし、 必然的に流れてきたんだろうなと思ってる。
右を見ても左を見ても、金が無い!って嘆いている人ばかり@勿論、おらっちも それが普通なんだろうと思ってしまうし、 金持ちに産まれていたらなぁとも思わない。 どんなランクであっても不平・不満はあるものだと思ってるから。
ただ、悲しいかな、ランクの違う人の生活とかも知ってみたい気がする。 どういう考えで生活しているのか?とかを。 勿論、そういう方々と知り合う機会もなく、それを知る由も無いのであるが。
昔TVで見た話で、20代の女性だったと思うが、 生活を切り詰めて上流社会のパーティに出席する女性が居た。 所謂セレブの集まりに、4畳半の借家暮らしで出席し、チャンスを伺っているのだ。 どういう環境で育ったのか知らないが、 それはそれで正解だろうし、間違いだろう。
もし、うまく玉の輿に乗れたとしよう。 しかし、世界が違うのだ・・・ 親戚付き合いを考えても、自分と違う世界であって、肩身が狭いかもしれない。 それはそれで、苦しい人生を送るに違いない(と思いたい)
そんなのもあって、そういうTV番組がそれなりに視聴率を稼いでいるのではなかろうか? 歳を取ったら南の島で、のんびり暮らしたいなぁと思う人は多いと思う。 そう思いながら、日常を脱却できないのが庶民だと思う。 ”業”というか、生まれた時に、既に運命は決まっているような気がするわけで。 それでも、もがくのが人間であって、なんらかの活路を求めている。 だからこそ、いけ好かないS木K子のような人間が生き残っていたりするわけで、 あれだけ、とんちんかんな方向転換するような暴言を吐いても、 それにすがってしまう場合もあったりするわけだ。 まぁ、彼女は実際に、凄い人生を体験しているからあれだけ言えるのだろうが、 ひとこともふたことも言いたい位、嫌な人間に思えるな(笑 自分で活路を見出せる人間なら、占いなんかに頼りはしないわ!ってね こんちきしょう!変わってやる!と思った人が、それなりに成功し、S木K子をありがたく思うのだろうけど。 そのままどん底へ沈んでしまったヤツも多いやろうなと思うわ。 ま、宗教不滅の法則だw
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