Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
ダグラス・リーマン(中編)ボライソー・シリーズについて
すっかり間があいてしまって恐縮です。 ダグラス・リーマン(アレクサンダー・ケント)インタビューの続きです。 ちょっとリキが入ってしまって、時間をかけてしまいました。 やっぱりボライソー・シリーズとは私も長年をともにしていますし、愛着がありますので。
以下は下記URLページの内容のみを、管理人のフィルターを通して、要約紹介したものです。原文をそのままを訳したものではありません。要約のため原文とは文章構成も異なります。 原文ご希望の方は下記アドレスをごらんください。 http://www.bolithomaritimeproductions.com/Interview/default%20-%20Interview1.html
--------------------------------------------- 1968年、デビュー10年目のこの年、アレクサンダー・ケントの別名義で「栄光への航海」が出版され、リチャード・ボライソーが世に送り出されました。
◆帆走軍艦時代を舞台にしたこのシリーズはどのようにして誕生したのか? 構想はその数年前からあった。だがそれはシリーズではなく、単独の作品としてだった。 当時、帆走軍艦時代を舞台にした歴史小説は難しいと考えられていた。誰もがそれはC.S.フォレスターの分野だと考えていたから。
リチャード・ボライソーは、C.S.フォレスターの主人公ホーンブロワーより20才年上、ジャック・オーブリーより14才年上で、アメリカ独立戦争当時すでにフリゲート艦の勅任艦長でした。 アレクサンダー・ケント名義の新シリーズは、当時(1968年)発表されていた歴史帆船小説の中では唯一、アメリカ独立戦争を舞台としていました。 その後物語は長く続き、フランス革命戦争を経て、ホーンブロワー・シリーズで有名なナポレオン戦争に至ります。 この時代の流れについては、事前に出版者側と、マーケティングを意識した調整が行われたのでしょうか?
◆ボライソー・シリーズの時代について 物語の舞台をアメリカ独立戦争にするというのは私の考えだった。 ある程度のシリーズになることは想定していたが、シリーズと言っても数冊だろうと考えていた。 時代については、「栄光への航海」の時点で私は、リチャード・ボライソーをある程度の年齢に達した人物と想定していたし、士官候補生ではなく勅任艦長として物語を開始したかった。その方がより面白い小説になると思ったからだ。 ボライソーの生涯を書くべきだと提案してくれたのは、英国ハッチンソン社の編集担当者だった。 その時に初めて、私はボライソーが生涯を終える時期を決め、それからシリーズの網羅する時代が決まった。
ボライソー・シリーズは、日本ではリチャードの年齢を追って1巻(士官候補生時代)から出版されていますが、本国での出版順は異なります。 第一作が26才フリゲート艦長の「栄光への航海」、第二作は37才74門戦列艦艦長の「激闘、リオン湾」、第三作「遙かなる敵影」その後物語は時代を行きつ戻りつしながら20巻を超します。
◆いつの時点で、ボライソー・シリーズは一代記のシリーズになると悟ったのか? 難しい質問だ。2作目の「激闘、リオン湾」を書いていた時には、何となくわかっていたような気がする。だが実感したのは、編集者が一代記を提案した時だ。その時に、これはしばらく続くな…とは思った。でもあの頃は何が起こりつつあるのか、自分でもよくわかっていないかった。 実際のところ、私は本を書き始める時に、何が起こるのか私がわかっていたためしはない。私自身がいつも起こることに驚かされている。
そのシリーズも、開始から30年後の1998年に24巻目に当たる「提督ボライソーの最期」が刊行され、リチャード・ボライソーは60才の生涯を閉じました。
◆「提督ボライソーの最期」の執筆、長年ともに歩んできた人物の死を描くのは困難ではなかったのか? そのシーンは突然やってくるもので、その時までは、何が起こるのかは私にもわからない。 私はただ、登場人物たちが動き出すのを見ているだけだ。 何が起こるのか、登場人物たちがどう反応して何を言うのか、その時まで私にはまったくわからないものなのだ。 ボライソーの最初の艇長だったストックデールが戦闘中に倒れた時、ボライソーは「彼が倒れた瞬間を見ていなかった」と言う、ボライソー自身の死についても同じことが言える。私自身は彼が倒れる瞬間を見ていない。 この巻を書き始めるにあたって私は、多少神経質になっていた。だが書かねばならぬと思った。それを避けて通るなど臆病者のすることで、ありえないと考えていた。 書き始めからその考えに押しつぶされていたとか、そのシーンが近づくにつれて恐ろしくなったということはない。 だがそのシーンの後は、まるで別の物語のようだった。 私はまだ全て終わったとは思っていない。私は最愛の友人を失ったように感じた。今でもまだそう感じている。 だが親しい友が戦闘中に倒れても進み続けなければならない、でなければ潰れてしまう。沈み込んでいることはできない。進み続けなければならない。
◆全編、ボライソーの全生涯の中で特に気に入っている時期、または巻は? 大変難しい質問だ。私にとっては全て一続きの物語なので。 だが初めて書いた本「栄光への航海」には愛着がある。 「我が指揮艦スパロー号」もその艦ゆえに気に入っている。 ボライソーが少年から大人へとの階段を上がる28巻「若き獅子の凱歌」も気に入っている。その時代のことは年代記を執筆中にもずっと考えていたのだが、実際に執筆したのは長い時間を経た後のことだった。
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リーマン(ケント)は、プロットの作家ではなく、物語に没入しあふれ出るシーンをそのまま筆にする作家なのだな、ということがよくわかります。 以前、2002年の24巻発売時に、各巻発行毎に英国の出版社が発行していた「ボライソー・ニュースレター」を友人たちのために翻訳したことがあるのですが、その時もケント氏は、(主要キャラクターの)死は私が決めているわけではなく、私はただ起きたことを筆にしているだけだ…というようなことを仰っていて驚きました。
けれども、ケント氏が仰る通り、リチャード・ボライソー、そしてストックデールの死についてはその通りなのでしょう。 それが、第二次大戦中に17才で士官候補生になり20才で終戦を迎えるまで海軍に従軍したリーマン(ケント)氏にとっての真実なのだろうと思います。
アレクサンダー・ケントというペンネームは、リーマン氏が士官候補生時代に親しかった友人の名前だそうです。 その友人は若くして戦死しています。
その人物はおそらくリーマン氏にとって、リチャード・ボライソーに対するマーティン・ダンサーの位置にあったのでしょうし、ゆえにリーマン氏は最後まで28巻を執筆しなかった…正直言って私はダンサーの死は一生書かれることはないだろうと思っていたので、この巻が出ると聞いた時には驚きました。 24巻ボライソーの死を執筆した時のことについて、リーマン(ケント)氏は、それでも進み続けなければならない、と答えています。 それは28巻の最終章の最後の行と一致しています。
前進あるのみ、一緒に。
ボライソー編はここまで。 次回はインタビューの締めくくりです。
2008年12月23日(火)
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