Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
1842年8月9日は、
8月9日は、長崎原爆投下記念日ですが、 アメリカのオブライアン・フォーラム(掲示板)では、そのことを気に留められる方はなく、別の話題が紹介されていました。
これは哀しいことですが、得てして世の中はそういうもので、私も日中戦争の発端になった柳条湖事件は知っていても、それが9月18日だったということは、今年中国で行われるサッカーの、試合日程が変更になるまで気づかなかったのだから、ある意味同じことです。 過去に禍根のある国々がインターナショナルにお付き合いしていく上では、こういう細かい部分の心配りが大切なので、これはなかなかに難しいことですが、
話を戻しまして、今日話題にとりあげるのは、19世紀の1842年8月9日のお話です。 オブライアン・フォーラムによれば、この日はイギリスとアメリカがWebster-Ashburton Treatyという条約を締結し、奴隷貿易摘発に相互協力を行うことになった日なのだとか(下記URL参照)。 http://www.wwnorton.com/cgi-bin/ceilidh.exe/pob/forum/?C3400c740akrw-6430-1242-07.htm
この書き込みを読んで「へぇ〜?」と意外に思ったところとか、疑問に思ったこととかがいくつかあって、この時代関連で幾つか調べものをしてしまいました。 雑学にもならない知識ですけど、こんなことに興味を持たれる方がありましたら、お付き合いください。
まず最初に疑問に思ったのは、1842年という時期、
アメリカで奴隷解放というとエイブラハム・リンカーン1863年というのが一般的な知識でしょう? その21年も前に奴隷貿易摘発なんてやっていたの?というのがギモンの第一、 もっとも協力相手のイギリス海軍は、以前に4月1日の日記でご紹介した通り、1807年から奴隷貿易摘発パトロールを実施していますから、これでも十分遅すぎるくらいなんですが、
ところが、上記書き込みが参照しているアメリカ海軍の歴史サイト(下記)によると、 http://www.history.navy.mil/faqs/stream/faq45-6.htm
アメリカで奴隷貿易が違法と決議されたのは1819年で、アメリカ海軍は1821年から西アフリカで奴隷貿易船の摘発を行っていたというんです。 今年英米で公開されたヨアン・グリフィス主演の映画「アメイジング・グレイス」にある通り、イギリスで奴隷貿易が禁止され摘発が始まったのは1807年ですから、アメリカはこれに遅れること12年ですが、となると次の疑問が、
アメリカは1819年に奴隷貿易禁止を決議しながら、奴隷制度そのものは1863年まで存続していた…ということになるんですね。 もっとも北部は以前から奴隷制度に反対していて、南部は固執していたから、南北戦争まで起きたわけだけれども。
でも上でご紹介した米海軍の歴史サイトによると、この摘発キャンペーンにはずいぶんリキが入っていたようで、投入された艦船がけっこうメジャーどころなんです。 何といっても筆頭があのU.S.S.コンスティテューションですから。 M&C時代最強の最新鋭フリゲート艦でアケロン号のモデル、あのジャワ号(ジャックが6巻でオーストラリアからの帰国途中に世話になっていた艦)を撃破した戦歴もあって、現在もボストンの乾ドックに保存されている歴史的モニュメントです。
あの時代の海洋小説を読んでいると、西アフリカの奴隷貿易摘発というのは、現地の気候条件も厳しい、神に見捨てられた地の果ての任務…みたいなイメージがあるので、こんなところに、あのコンスティテューションを投入?というのはちょっと意外。 でもコンスティテューションのHPでチェックしていみたら、本当に西アフリカに行ってるんですね。 http://www.ussconstitution.navy.mil/historyupdate.htm 退役前の最後のお仕事だったようですけど、
でも他に名前の挙がっている艦、USSコンステレーション、サラトガ、ヨークタウンのいずれも、艦名が現代まで受け継がれている(空母やミサイル巡洋艦として)歴史と伝統ある艦で、サラトガは1812-15年の米英戦争で活躍した当時の有名艦だったり、これだけメジャーどころを投入するってことは、かなり本気だったんだろうな…と思います。
にもかかわらず、同じ地域で15年前から同じ任務を行っていた英国と共同戦線を張ったのが20年もたった後の1842年?というのがこれまたギモン…第二のギモンですね。 イギリスとアメリカは、今日の常識では仲の良い同盟国ですが、ジャックの時代(1812-15年)には戦争をしていたわけで、とりあえず1815年に停戦した後の関係は、どうだったんでしょうね?
このあたりもう少し調べてみないとよくわからないんですが、8月9日に締結されて奴隷摘発における相互協力が確約されたというその条約は、下記によると、本来はアメリカとカナダ(当時は英国植民地)の国境線を画定する条約だったようです。 http://en.wikipedia.org/wiki/Webster-Ashburton_Treaty ということは、1815年以降42年までの間、アメリカとイギリスの間はまだ多少ぎくしゃくしていた…ということなのか? …このあたりを描いた海洋小説がないので、私にはよくわからないんですけど、
それは別として、ヨアン主演の「アメイジング・グレイス」、英国アマゾンではDVDが発売になりました。 米国および日本のアマゾンにはまだ上がってきていませんが、これ日本公開どうなってるんでしょうか? 日本公開があれば、日本版のDVDも出る筈なので、英国版には手をださないんだけれども、悩むところです。
2007年08月12日(日)
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