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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
マルタ(1)まえがき

マルタは、正式にはマルタ共和国。1964年に英連邦の中で独立して主権国家となった地中海の真ん中に浮かぶ島国。
9巻(上)P.6の地図をご参照ください。位置はイタリアの南、リビアの北、チュニジアの東、北緯36度は東京とほぼ同じものの、地中海性気候のためか冬でも暖かい。
1998年12月の旅行先にマルタを選んだ理由の一つはこれです。冬でも比較的暖かく、ぼーっと海を見ていられるところ。
冬の陽の長さは日本とほぼ同じで、冬のヨーロッパではお勧めの地ですが、夏はとても暑いらしいですよ。

マルタ、ゴゾ、コミノの3島と2つの無人島から成るひとつの国家ですが、ただし一番大きいマルタ島でも大きさは淡路島とほぼ同じ。人口は約39万人。
2004年にEUに加盟。

マルタ人は人種的にはセム系で、フェニキア人の末裔と言われています。黒い髪、黒い瞳、彫りの深い美男美女揃い。
マルタ語というのもセム系言語で、今でもマルタ人とレバノン人は互いの言葉で話が通じるそうです。
ところが、実際に現代のマルタ語を聞いていると、ぽこぽこ聞いたような単語が混じることに気づく。アラビア語、イタリア語(マルタ語で「ありがとう」は「グラッツィー」)、そして英語。
1804年〜1964年まで英国の支配下にあったため、今でも英語はよく通じます。ただしマルタ人の英語は…時々ちゃんぽんで、明らかに英語ではない単語が混じったり、

このマルタ語の変遷がそのまま、マルタの支配者の変遷と言えるでしょう。
地中海の要衝に位置するこの島は、古代から何度も歴史上の大事件に立会ってきました。それはある時は占領の歴史でもあったけれど、マルタの人々はあくまでも誇り高く毅然と、ある時は占領者と戦い、またある時は進んで迎え入れ、共に繁栄を謳歌する道を選んだ。

マルタの先史時代には、ブルターニュやイギリス、アイルランドにも共通するドルメンという巨石遺跡が存在しますが、この遺跡を残した謎の民族については、アイルランド同様よくわからず。
現在のセム系マルタ人たちの住む島として、歴史書にその名が記されるのは、紀元前700年ごろから。
当時フェニキアの地中海貿易の要衝だったマルタは、続いてカルタゴの支配を受け、第二次ポエニ戦争でカルタゴがローマに破れると、ローマ帝国に併合されました。

【先史時代の遺跡:ハジャール・キム】


ローマ帝国の分裂後は東ローマ(ビザンチン)帝国に属しましたが、870年チュニジアのアグラブ朝の侵略によりアラブの支配下に入ります。
1048年に再び東ローマが島を奪還したものの、アラブ人の反乱が起こり、支配は安定しません。
1194年に神聖ローマ帝国がシチリア島とマルタ島を併合することになり、さらに1266年にはアンジュー王国(フランス)に継承され、1282年からはアラゴン王国(スペイン)の支配を受けることに。
その後1530年、スペイン国王カルロス一世(神聖ローマ皇帝でもあった)がこの島を聖ヨハネ騎士団に譲り渡したことから、この島は「マルタ騎士団」の島として世界史に名を残すことになりました。

【ムディナ大聖堂:今でも騎士団の定例集会が開催されている】

私が旅行先にマルタを選んだ理由の第二はこれ。
以前にギリシャのロードス島で聖ヨハネ騎士団の城塞を見たことがあり、騎士団がロードスを追われた後に移り住んだマルタにも行ってみたいと思ったのです。

そして第三の理由は、これは理由と言うより私を最終的にその気にさせた勢いみたいなものですが、アレクサンダー・ケントの海洋小説、ボライソー・シリーズの24巻でした。英国ではこの年1998年5月「Sword of Honour」(邦題「提督ボライソーの最期」2000年11月刊)が出版され、リチャード・ボライソーは地中海で59才の生涯を終えました。
翻訳を待ちきれない私は、新刊を原書で手に入れていて、この最終巻を英国で友人に買ってきてもらったのがこの年の9月。これを機に「姿なき宿敵」以降を読み返し、頭がもうボライソーで一杯。勢いで「地中海に行くならこの12月しかないっ!」という結論に至ってしまったという次第なのです。

マルタはリチャードが最後に出航した港であり、彼はそのまま帰らずスペイン沖の地中海に水葬されたことになっています。
このシリーズと私は、人生において最も長き…この時点で15年…にわたりお付き合いしていて、ここまで付き合うとさすがに、たとえフィクション小説の登場人物たちでも他人ではないような気分になってしまいまして、
私なりに、現地に行ってお別れ会のような区切りをつけたいという気持ちになりました。

…と書くと私がリチャードに惚れてたみたいに思われるでしょうけど、好きだったのは彼本人というよりボライソー・ファミリーと呼ばれる、彼を中心とした部下たちの一団です。
リチャードは、まぁ一部の女性の目には魅力的かもしれないのですが、安定志向の私から見るとちょっと危険な要素のある男で、私のタイプではないわねぇ。
上司として見る分には、リチャードはとことん現場の人で行動の人、部下思いだし、この人の下で働いたら大変だけど面白いだろうなぁと思います…ただしリチャードの「現場」は「戦場」なので…まぁちょっと、部下やってると命が足りなくなる可能性があるかもしれませんけど。

オーブリー&マチュリン・シリーズについては、1998年のこの時点ではまだ徳間からの最初の2巻しか発売されておらず(私が9巻を読んだのは2003年)、ジャック達がメノルカ島あたりをうろうろしていたのは知っていましたが、いずれマルタ島に来ることになるとは思いませんでした。
…と言っても、島に残る海軍関係の史跡はたいてい共通していますし、9巻読んでいると何処がどこだか見当はつくので、楽しませていただいています。
マルタと言えば、他にC・S・フォレスターなどが書いた第二次大戦を舞台にした小説が、当時いくつか出版されていて、これらは旅行前にひととおり目を通してから、この島にやってきました。

英国海軍はナポレオン戦争のこの時代に、それまでジプラルタルに置いていた地中海艦隊司令部をこの島に移動しました。
第一次大戦、第二次大戦を経てマルタが共和国として独立した後も、1972年までこの島は、英国海軍の基地の島であり続けました。
島内の海事博物館、戦争博物館には、海軍関係の多くの資料が展示されています。

帰国してから、「マルタ旅行記」というコピー冊子をまとめました。
今回はこの1998年マルタ旅行記から、英国海軍に関するもののみを抜粋して、一部改稿、解説の追加を含め、数回に分けてご紹介します。
カラー写真も今回は山ほど掲載できますね(昔はカラーコピーが高かったので写真は白黒でした)。
新規蔵出しの写真もありますので、以前の冊子をお持ちの方も、新たに楽しんでいただけると思います。


2007年05月18日(金)