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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
3人のアイルランド人・前編〔Ireland2〕

前回よりかなり間が開いてしまいましたが、9月のアイルランド旅行報告第2弾は、土産物店で見つけたFamily Tree(家系)プレートのお話。

ナポレオン戦争当時の英国の歴史小説には、アイルランド人と呼ばれる人たちが何人も登場します。
M&Cの主役の一人、我らがスティーブン・マチュリン先生はアイルランド人の父とカタロニア人の母をもつのアイリッシュ・カトリック。
1巻に登場するソフィー号の副長ディロンもアイルランド人。
バーナード・コーンウェルのシャープ・シリーズに登場するシャープの右腕、パトリック・ハーパーもアイランド人。

でも厳密に言うと、この3人は同じアイルランド人でも微妙に違います。
それは多くの民族が入れ替わり立ち替わり侵入したこの島の複雑な歴史を反映したもの。

マチュリンの父親はノルマン・アイリッシュである可能性が高く、ディロンの家はおそらくアングロ・アイリッシュのオールド・イングリッシュ。
ハーパーがおそらく最も真正のアイルランド人でいわゆるケルトの末裔だけれども、そのケルト人とてアイルランドに原初から住んでいた民族ではありません。

先史時代の最も初めにアイルランドに暮らしていたのはどのような民族なのか、実際のところはわかっていないそうです。
けれども、彼ら先史民族が残した遺跡(墳墓)は、明らかに後にアイルランドに侵入したケルト人のそれとは異なる。
その一つ、ニューグレインジ遺跡で正確な天体観測が行われていたことから、この先史民族は極めて高い文明を有していたと考えられています。

ケルト人がアイルランド島に渡ったのは紀元前200年頃。
ニューグレインジ遺跡を残した先史民族も、その後に侵入し先史民族を駆逐したケルト人たちも、いずれもが文字を持たなかったために、実際このあたりの歴史がどのようであったのかは記録として残っていません。
が、口承で伝えられ紀元後になって文字に残されたケルト神話の中では、彼ら先史民族は「ダナの息子たち」と呼ばれ、西の海からやってきてアイルランドの最後の勝利者となった「ミレシアの息子たち(ケルト系ゴイデル族)」に破れ、地下に去ったとされています。

こうしてアイルランドはケルト人の島となり、小王国分立から、やがて半独立の複数王国がその中の一国の王を連合首長(アルド・リー:タラの上王)としていただく七王国時代を5世紀頃に迎えました。
この時代の代表的遺跡がタラで、この地はアイルランド人の精神的故郷となっています。

このあたりの歴史や伝説は「指輪物語」をはじめとする数多くのケルト系ファンタジー小説の元ねたになっているので、ファンタジー好きとしては、史跡見学もガイドさんのお話もとても面白かったのですが、今回の話題ではないので、また別に機会でもありましたら。


さてそのアイルランドが、他民族の侵入者に狙われるようになったのは、8世紀以降。
現在のデンマークからノルウェーの地域に原住するヴァイキング(ゲルマン系北方民族デーン人)が、たびたびアイルランド島、ブリテン島に上陸し掠奪を行うようになりました。
その後、デーン人は一時ノルマンディに退いたものの、1066年に再びイングランドに侵攻、ノルマン王朝を開きます。
このノルマン人が、イングランドからさらに西に目を向け、1169年アイルランド島に上陸、これが以後700年に及ぶイングランドのアイルランド統治の始まりでした。



アイルランドの土産物店には「Family Tree」というこのようなプレートを売っています。
アイルランドの旧家の紋章と由来が記されていて、海外に移住したアイルランド系の観光客が、自らの家に由来したものを土産とするようです。
この中にフィッツジェラルド家とディロン家のものがあったので、私も買い求めてしまいました。

歴史上の実在人物であるエドワード・フィッツジェラルドは、パトリック・オブライアンの小説では、スティーブン・マチュリンの従兄弟という設定になっています。
従兄というからには、エドワードの両親のいずれかがスティーブンの父と兄弟になるわけですが、エドワードの母はイングランド人レディ・エミリア・レノックス(リッチモンド公爵の娘)なので、母方という可能性はありません。
となるとスティーブンの父は、エドワードの父である初代レンスター公爵ジェームズ・フィッツジェラルドと異母兄弟、おそらくはレンスター公の父19代キルデア伯爵ロバート・フィッツジェラルドの庶子という可能性が高いのではないでしょうか?

このプレートによれば、
フィッツジェラルド家はノルマン・アイリッシュ、すなわちスカンジナビアからノルマンディ経由でイングランドにやってきたノルマン人の末裔、1170年最初の侵攻時にこの地に渡ったノルマン貴族の家系です。
ダブリン近郊に領地をもつキルデア伯爵家、すなわちエドワード・フィッツジェラルドの家が本家であり、他にコークとケリーを本拠とするデズモンド伯爵家があります。

フィッツジェラルド家は、アイルランドの支配階級である貴族であり常にアイルランド政治の中心にありながら、また多くの反乱指導者を出した家でもあります。
16世紀に大規模な反乱蜂起に失敗し倫敦塔で処刑されたデズモンド伯トーマス・フィッツジェラルドは有名ですし、また御存じの通り、エドワード・フィッツジェラルドも1798年反乱の指導者として英国当局に追われ、逮捕時に抵抗したことから重傷を負い、これがもとで10日後に獄中で息を引き取りました。

(つづく)
長くなりますのでディロン家の由来、12世紀以降のアイルランド史については、また来週。


2006年10月29日(日)