Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
英蘭西1750-1850年 艦船航跡データベース
またまたパトリック・オブライアン・フォーラム(掲示板)から、
「イギリス・オランダ・スペイン主要艦船航跡データベース1750-1850」 http://www.knmi.nl/cliwoc/index.htm という素晴らしいホームページのご紹介。
たとえば、後にジャックの指揮艦となる設定を持つH.M.S.レパードの1798-1803年の航跡図を見ようと思ったら、 HOME>Metadata>English Contribution で下記の英国艦一覧ページにたどりつきますので、
英国艦艦名一覧 http://www.knmi.nl/cliwoc/cliwocmeta_uk.htm
ここから「Leopard」をクリックすると、 レパード号1798-1803年 http://www.knmi.nl/cliwoc/cliwocmeta_leopard.htm の航跡図にたどりつけます。
このレパード号は、あのレパード号というか、ジャックが5巻で指揮をとったことになっているレパード号で、歴史上にも実在します。 それを言えばサプライズ号もそうなのですが、サプライズ号の場合は1802年に退役していて、ジャックが指揮をとっていたことになっている1805年以降には実は海軍の船ではなかった…のに引き替え、レパード号は1814年まで現役艦です。 ただし、残念ながら1812年の艦長はジャック・オーブリーではないのですが。
レパード号は、原作5巻(上)P.41でジャックが説明している通り、1790年に英国シアネス海軍工廠で建造された50門戦列艦。 1797年のノアの反乱に巻き込まれながらも、最初に反乱者の手を逃れた艦として記録に残った後、1802年からは原作5巻(上)P.70にある通り、ピーター・ヘイウッドが艦長となり、セイロン島(現スリランカ)の沿岸測量に従事。上記の航跡図ではこのセイロン行きの航路を知ることができます。
この艦の名前を有名にしたのは、1807年10月22日の米国海軍フリゲート艦チェサピーク号砲撃事件で、これは5巻(下)P.228に語られている通りです。 ここまでは原作通りなのですが、1811年以降が当然ながらちょこっと、いやかなり、史実とは異なります。 史実では、1811〜12年に艦長だったのは、ウィリアム・ヘンリー・ディロンという人物で、ポルトガル〜スペイン沖、地中海に配置されていたということです。レパード号は1814年に英国に戻り、そのまま退役したとのことです。
これらの航跡図、おそらくは英国国立公文書館や、国立海事博物館に残された各艦の航海日誌から日付と緯度・経度を抜き出し地図上にプロットしたものと思われますが、このホームページを作成した団体CLIWOCというのは、EUの研究機関のようですね。 本来は気候変動などを研究するために、過去の船の航海日誌などから当時の季節風や海流の様子を調査しているようです。
先日ご紹介したヴァスコ・ダ・ガマのドキュメンタリー(NHK教育テレビで10月26日に放映)でも、ドイツの研究機関が調査しコンピュータ画面上に再現した15世紀末〜16世紀初頭の海流、貿易風などの様子が紹介されていましたが、 これ、ナポレオン戦争の時代より200年前の話なんですけど、でもあぁなるほど!と思うところが多くて。
英国から西インド諸島(カリブ海)に航海する時は、現在のモロッコの沖あたりまで南下してから西に向かうのはあの時代の常なのですが、上記のドキュメンタリーに登場した海流シュミレーションを見ていると、確かに、モロッコ沖あたりから大西洋を西に向かう大きな海流の流れがあるんですね。なるほど、これに乗れば航海も楽でしょう。
またガマの航海にも関連して解説がありましたが、大西洋を南下してアフリカ大陸(喜望峰)をまわる場合、ふつうに考えるとアフリカ西海岸に沿って南下した方が食料や水の補給も出来てよさそうに思いますが、実はここは海流や風が逆行し、それにさからって南に行くのは非常に厳しいそうです。 それでガマは一旦、南米大陸に向けて舵をとり、その後大回りをするような形で喜望峰をまわるコースをとりました。 このあたりの話も、5巻で喜望峰をおおまわりしてしまうレパード号の話など思い出すとなるほど!と思います。
2005年11月06日(日)
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