Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
なにわの海の時空館
12月18〜19日と大阪に行って来ました。 用事は19日だったのですが、前日の18日はいつも掲示板でお世話になっている地元のSさんに、なにわの海の時空間+美味しいものをご案内いただき、19日は用事の前に、千里の国立民族学博物館を見学してきました。
「なにわの海の時空館」は、英語ではOsaka Maritime Museum(大阪海事博物館)。Maritime(海事)の名にふさわしく、大阪の町が海、船、港とどのように関わってきたかをわかりやすく展示した博物館です。
東京の「船の科学館」や、英国やドイツのMaritime Museumのように、船というハードウェアを中心とした展示もあり。 サプライズ号の士官候補生たちが実習していた六分儀(アシュロン号に追いかけられながら、正午の天測をする場面に出てきます)の展示もあり、実際に手にとって北極星に見立てた天井の星を観測、大阪の正しい緯度を知ることもできます。
けれども、何と言っても「なにわの海の時空館」の特徴は、ハードだけではなく、海上交通の歴史など社会史や交通史のようなソフト部分の展示に、かなりのスペースが割かれていることではないでしょうか?。
実は、日本は周囲を海に囲まれながら、意外と海の伝統、海の文化が無いのです。 奈良・平安の昔の遣唐使船、足利時代の倭寇、瀬戸内水軍など歴史の教科書には載っていても、実際にどのようなものだったのか、一般書レベルではなかなかわからない。
私もねぇ、恥ずかしながら日本より英国の故事のほうが詳しい。 ゆえに時空館の展示を見ながら、へーほーはぁ…と、全てを当時の英国と比較しながら見てしまう…という困った事態に。
でも英国と日本では、同じ島国でありながら、地形がずいぶんと違うので、船の利用の仕方も異なるようですね。 例えば、大阪の場合は淀川がありながら、港で一度小舟に荷を積み替えて、伏見まで上がらなければならない。 なぜ? どうして? これが英国だったら、帆船がテムズ川をロンドンまで上ってこられるじゃない?
この質問を、実はインターネットに投げかけててみましてね、検索の結果、答えを発見することが出来たのですが、なんとこの疑問に答えてくださったのは、畏れ多くも実は皇太子殿下だったのでございます。 2003年3月に滋賀、京都、大阪で「世界水フォーラム」という国際会議が開催されたのですが、この開会式で皇太子殿下が発表された論文の一部に、淀川水運とテムズ川水運の比較研究…というテーマが含まれていたのでした。 以下がその論文です。さすがに、宮内庁のホームページなので、直リンクは遠慮させていただきます。コピーペーストでご覧くださいまし。 http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/kouen-h15.html
簡単に解説してしまいますと、伏見まで帆船が入れないのは、淀川とテムズ川の河川形状の違いなのだそうです。 水位が常に一定しているテムズ川やライン川などと異なり、日本の川は淀川にせよ利根川にせよ、水位が常に変動しています。 そう言えば皇太子さまの専門は日本史それも経済史でした。その後にオクスフォード大学に留学されていたのでした。なんとこういう研究をされていたのですね。
さて時空館には、復元された菱垣回船「浪華丸」も展示されています。 乗船し内部を見学することも出来ます。 ヨーロッパの帆船は、一般的に船尾を重視する傾向があるじゃないですか? M&Cでも艦尾甲板は重要視されているでしょう? この概念は日本には無いようですね。 驚いたのは、お神棚がマスト…じゃない帆柱の前にあったこと。 英語でマストの前に置くというのは、ジャックがその昔にこの罰をくらってますが、平水兵にするという意味で、決して良い場所ではないのだけれど。 でも船の形状が少し違うから、揺れ方とかも違うのかしら? 大阪湾を帆走している映像を見ましたが、西洋の横帆船より縦揺れが激しいように見えました…が。 実際のところはどうなのでしょう?
なんかこうやって考えていくと面白いですね。 次々といろいろなことが知りたくなって。 東国(とうごく)の人間としては、では江戸の水運はどうなっていたんだろう?とか。 利根川と江戸川の合流点にある千葉県立関宿城博物館(http://www.chiba-muse.or.jp/sekiyado/)には、利根川と江戸川の水運に関する展示はあったと思いますが、ちょっと規模が小さいかしら。
ヨーロッパの船も良いけれど、少し日本のことも勉強しなくっちゃね、と思っています。
2004年12月18日(土)
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